◇ 申請審査 ◇

 夢開市の教育特区本申請を受理した内閣府構造改革特区担当室は教育文化省に認定審査を依頼した。それを受けて教育文化省は全国教育審議会・初等中等教育分科会に審査を指示した。
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 初会合が開催されたのはその翌月だった。わたしも出席していたが、この件に関わりがあるため一切の発言を禁じられていた。だから、会場全体を見渡せる事務局席の一番端で唇をギュッと結んで、会議の行方を見守るしかなかった。          
 冒頭、事務局から申請内容の説明があり、それが終わると、育多会長が静かに審議の幕を開けた。
「本日はご多忙の中ご臨席賜り誠にありがとうございます。先ほど事務局から説明がありました通り、本日ご審議いただきますのは日本で初めてのスポーツ専門中学校設立申請についてです。資料は事前にお配りしておりますので、委員の皆様におかれましてはしっかり読み込まれた上でご臨席賜っているものと存じます。さて、本件は日本の中学校教育に一石を投じるものであると共に全国一律の学習指導要綱の見直しに繋がるものでもあります。とても重要な案件であることは間違いありませんので、皆様から忌憚(きたん)のないご意見を賜りますよう、よろしくお願い致します」
 育多が着席すると、すぐに教員代表の委員が手を上げた。
「日本初のスポーツ専門中学校設立と(うた)っていますが、基礎教育という観点から見ると違和感を覚えます。スポーツの時間を優先するあまり国語、算数、英語などの授業が最低限しか確保されていません。これでは基礎学力を養うことに不安を覚えます」
 学習指導要綱との整合性に大いに疑問があると反対の姿勢を明確にした。
「私も同じです。部活動がメインで授業がサブのような、このような考え方に違和感を覚えます」
 有識者代表の委員が同調した。
「その通り。そもそも、スポーツ専門中学校という考え方がおかしい。スポーツバカ養成学校としか思えない。公立でやることではないだろう。それに、無試験で進学できることが前提の公立中学で選抜試験を行うなんてあり得ない」
 学会を代表する委員は更に厳しく、会合は反対意見一色に染まりかけた。その時、温守部会長が手を上げた。
「公立中学校の授業は今のままでいいのでしょうか?」
 ゆっくりと委員全員を見回した。
「中学生の不登校が急増しています。教育文化省の調査では、全中学生の約3パーセントが不登校であり、1年生よりも2年生、2年生よりも3年生と、進級するほどに不登校率が高くなっています」
 調査資料を高く掲げた。
「学校に魅力がないのです。授業に魅力がないのです。その多くは教師の力量不足から来ています。学習指導要綱をなぞっただけの授業しかできない教師が多すぎるのです。そこには工夫というものがまったくなく、生徒に関心を持たせることさえできていないのです。そんなつまらない授業を受けさせられる生徒は、ある意味被害者と言えるかもしれません。生徒が居眠りしたり無駄口を叩いているのは、大部分が教師の責任なのです。しかし、レベルの低い授業をしたとしても厳しい評価を受けることはありません。それどころか、その力量にかかわらず彼らの給料は上がっていきます。公立中学校の教師は公務員なので年齢と共に給料が上がっていくのです。魅力的な授業をしたかどうかではなく、経験年数で年収が上がっていくのです。逆に言うと、そこには能力的な評定はありません。こう言うと、評価評定はあると反論されるかもしれませんが、それは学校側からの評価評定であって、生徒の満足度を反映した評定ではないのです。一番大事なのは生徒の反応です。授業に興味を持てているのか、大事なことが理解できているのか、もっと勉強したいという意欲が湧いてきているのか、そこが大きなポイントなのです」
 そこでわたしは教員代表の顔を見た。予想通り〈現場のことを何も知らないくせに〉というような表情が浮かんでいた。温守もそれに感づいたようだったが、それで話の流れを変えることはなかった。
「荒れている公立中学校の原因の多くが教師です。校長、教頭を含む教師団です。彼らの努力不足のために、授業に興味を持てない生徒、疎外感を持つ生徒、落ちこぼれる生徒が増え、その()け口がイジメや暴力に繋がっているのです。それに、ルールを守らない生徒に対して注意できない情けない教師もいっぱいます。公立中学校の現場は目を覆いたくなるほどの状態になっているのです」
 そこで一旦話を切って、教員代表の方に顔を向けた。
「ただ、教師の負担が大きいことも問題だと考えています。授業だけでなく、生徒への生活指導や膨大な事務処理に忙殺されています。不登校や虐め、保護者への対応など、精神的にきつい仕事を日々こなさなければなりません。加えて、部活動への関与があります。放課後だけでなく、休日も潰れてしまうのです。明らかに過重労働です。一か月当たりの時間外勤務は100時間を超えているというデータもあります。これは過労死の危険に(さら)されている教師が少なくないということを意味しています。公立中学校の教師はへとへとなのです」
 すると、さっきまで顔をしかめていた教員代表の委員が同調するように声を上げた。
「仰る通りです。精神を病む教師、体調を崩している教師は少なくありません。『もう限界だ』『死にたい』という嘆きを聞いたこともあります」
 温守が大きく頷いてから話を引き取った。
「今回申請されたスポーツ専門中学校では、教科を担当する教師は部活動から解放されます。放課後や休日の監督業務・顧問業務から解放されるのです。そうなれば、授業の魅力化を考え準備する時間を確保することができます。それに、」
 教師のプライベートな時間にも問題があると指摘してから、「家族との時間をしっかり持てている教師がどれくらいいるでしょうか? 公立中学校の教師は生徒への対応に精一杯で、自分の子供と遊ぶ時間がほとんどないというのが現状ではないでしょうか。これっておかしくないですか? 父親や母親としての役割を果たすことができないで、教師としての務めが果たせるでしょうか」と問うた。
 その途端、委員全員の顔が一斉に曇ったように見えた。それは公立中学校教育が置かれている問題の深さを、それぞれが感じ取ったからに違いなかった。
 このあと昼食休憩に入ったが、出された弁当を黙々と食べるだけで、話し声は一切聞こえてこなかった。