「お兄さんに相談があるの」
「兄は、今ちょっと……」
 あの事件以来誰にも会っていないと妹は顔を曇らせた。
「知っているわ。でも、あれってお兄さんのせいではないわよね。大学という組織を守るために犠牲になったのは明白だわ。違う?」
「でも、兄は自分を責めているの。自分の指導が行き届いていなかったと」
「それは違うわ。学生を100パーセントコントロールすることなんてできない。どこにでも異分子はいるし、性根が腐っている人もいるのよ。そんな人が起こした事件にまで責任を負うのは無理だわ。人間は神様ではないのだから」
「そうだけど……」
 口を(つぐ)んだ妹の表情が事の重さを表しているように思えた。さすがに秋村の口も重くなり、2人の間に出口の見えない沈黙が続いた。
 それを破るかのようにドアノブが回り、応接室のドアが開いた。
「秋村さん、いらっしゃい。お久しぶりね」
 奥さんだった。手に持つトレイにはコーヒーカップが見えた。
「お元気そうね。第一線でご活躍されているから肌が艶々して」
 その言葉に秋村は少し照れたが、「ありがとうございます。奥様こそいつもお綺麗で」と世辞(せじ)返しを忘れなかった。
「秋村さんがお兄さんに会いたいって言うんだけど、お義姉さん、どうかしら」
 妹が助けを求めるような目で奥さんを見つめた。
「そうね~」
 奥さんは小首を傾げてから、〈誰が訪ねてきても会わない〉ときつく言い渡されていることを秋村に告げた。
「あの人頑固だから」
 肩の前で両手を広げると、妹も苦笑して同じ動作をした。
「なんとかお目にかかる方法はないでしょうか」
 秋村はすがるように2人を見た。
「ん~、そうね~、ん~、ちょっと考えさせてくれるかしら」
 そう言ったきり、奥さんが会話に戻ることはなかったが、その日の夕方、自宅に戻っていた秋村に奥さんから電話がかかってきた。あることを頼みたいと言う。
「わかりました。あとで伺います」
 秋村は身支度を整えて家を出て、百貨店の食品売り場に直行した。そして、電話で依頼されたものを買って、その足で夏島の家に向かった。