◇ 夏島熱男 ◇

「なんでこんなことが!」
 事件のことを知った夏島は怒りに震えた。あろうことか、ラグビー部員が不祥事を起こしたのだ。それは部員同士の交流会の場でのことだったが、交流会とは名ばかりで実は1年生部員に喝を入れる会だった。

 年が明けて、1月2日に行われた全国大学選手権大会準決勝で敗れたラグビー部は、4年生が退部したあと新主将が決まり、新たな体制がスタートした。しかし、主将指名に不満を抱く一人の部員がいた。その3年生部員が新主将に相談もなく各学年の部員を集めたのが、この会だった。陰のボスを目指すその部員は準決勝敗退に苛立ち、酒の飲みすぎも相まって、複数の1年生部員にビンタを張った。日ごろの態度がなってないというのが理由だった。しかし、実態は絶対服従を誓わせるための脅迫でしかなかった。そればかりか、止めに入った2年生にはゲンコツを食らわした。鼻血で真っ赤に染まった2年生の顔にビールをぶっかけもした。大荒れになりそうなところを3年生が4人がかりで止めてなんとか収めたが、それでお開きになることはなかった。1年生を全員正座させ、日本酒の一気飲みを強要したのだ。1年生は吐きそうになりながらも飲み続けたが、遂に落伍者が出てしまった。一番体が小さい男がぶっ倒れたのだ。しかし、陰ボス男は許さなかった。ぶっ倒れた1年生部員を無理矢理引き起こし、その部員の顔にタバコの火を押しつけたのだ。周りの部員が水をかけて氷を押し当てたことで最悪の状態になるのは免れたが、浅からぬ火傷を負わせることになった。
 翌日、1年生部員が全員退部届を出したことで事件が明るみに出た。加えて、タバコの火を押しつけられた部員の親が警察に被害届を出したことで報道関係者の目に触れ、一気に炎上していった。
『名門大学ラグビー部、モラル無き狂宴!』
 新聞各紙の一面や社会面、スポーツ面にこの文字が踊った。
 大学は緊急理事会を開いて特別調査委員会を立ち上げると共に、ラグビー部の活動停止を決定した。監督、コーチ、部員は、全員自宅待機となり、特別調査委員会からヒアリングを受けることになった。
 その後、特別調査委員会による事情聴取と警察の捜査結果から3年生の陰ボス部員に全責任があるとの結論が出されたが、ラグビー部は1年間の活動自粛となり、責任を問われた監督とコーチは1年間の指導禁止が言い渡された。事実上の休部であった。

 夏島は自己嫌悪に陥った。「俺は何をやっていたんだ」と新聞の見出しを見ながら強く唇を噛んだ。教育者として、スポーツマンとして、ルール遵守を口を酸っぱくして部員に説いてきたし、喫煙禁止、20歳未満の部員の飲酒禁止を徹底してきた。なのに、暴力と喫煙と未成年の飲酒が同時に起こってしまった。
 なんで? という問いを発し続けたが、明確な答えに行きつくことはなかった。それだけでなく、今まで為してきたことが音を立てて崩れ始めた。それは自我の崩壊の音のように聞こえた。自らの存在をどこにも見つけられなかった。
 監督に責任があるとは誰にも言われなかったが、例え直接的に関与していなくても責任は取らなければならないと理事会に辞表を提出した。引き留められても固辞するつもりだった。しかし、まるでそれを待っていたかのように理事会はあっさりと受理した。引き留める人は誰もいなかった。不祥事の幕引きを主犯者の逮捕と監督の辞任で図りたいに違いなかった。
 それ以降、夏島は家に(こも)った。それは、自宅前で待ち構えるマスコミを避ける意味もあったが、社会とスポーツ界と被害部員に対する懺悔(ざんげ)の意味合いの方が大きかった。
          
 人の噂も75日と言うが、1か月もしないうちに事件はほとんど忘れ去られていた。それでも夏島は自分をまだ許していなかった。家に籠って自省を続けていた。心配した妻や彼の妹が外へ連れ出そうとしたが、彼は頑なに拒否した。家族以外の誰とも接触しないまま、一日、また一日と時が過ぎていった。