アポイントが取れたのは定期演奏会の1か月後だった。具体的な用件は伝えていなかった。門前払いされる心配があったからだ。
 しかし、満面の笑みを浮かべて迎えてくれた秋村を見て、わたしの不安は霧が晴れるように消えてなくなった。でも拙速(せっそく)を戒めた。夏島に断られている以上、失敗は許されないからだ。定期演奏会の時のことや秋村の指導方針などの話題で盛り上げながらタイミングを見計らった。
 話がわたしたち3人のことに移った時、今しかないと用件を切り出した。秋村は何も言わずじっと聞いていた。その顔に拒否反応は現れていなかった。手応えを感じた。
 話し終えると、「ありがとう。嬉しいわ。それに、光栄だわ」と静かな声が返ってきた。
「では」
 わたしは前のめりになった。
「でもね」
 秋村の顔から笑みが消えた。
「わたしは適任じゃないわ。スポーツのことはなんにも知らないし、中学生を指導したこともないから。日本初のスポーツ専門中学校を率いるには力不足だと思うの」
「そんなことはありません」
 間髪容れず丸岡が身を乗り出した。
「チームマネジメントは音楽もスポーツも一緒です。なんら変わりありません」
 その突き刺すような目に圧倒されてか秋村がのけ反るような仕草を見せたが、「ありがとう。そんなに褒めてもらって嬉しいわ。でもね」と押し返そうとした。しかし、最後まで言わせないというように鹿久田が割って入った。
「先生は調和と主張と言われました。これはチームスポーツの不変の真理でもあります。これに勝るものはないのです。それを完全に理解され実践されている先生をおいて他に適任の人はいません」
 赤みを帯びた彼の顔から湯気が出そうだった。秋村は明らかに圧倒されているように見えた。チャンス! 
「先生!」
 わたしは決断を促した。しかし彼女は困ったなというような表情を浮かべただけで、「気持ちはありがたいけど、もっと他にいい人がいると思うの」と逃げ口上で終わらせようとした。それでもわたしは諦めなかった。
「お願いします。先生しかいないんです」
 しかし返ってきたのは無言の首振りだけだった。それは、これ以上は止めてね、というシグナルのように思えた。本音を言えばもう一押ししたかった。しかし、ここで無理強いすれば関係を壊すことになりかねない。そうなれば時期をみて再考を促すこともできなくなる。それは避けなければならない。夏島に続いて秋村というカードを失うわけにはいかないのだ。わたしはぐっと我慢して出かかった言葉を飲み込んだ。