「家族や知り合いがみんな驚いて、私の周りで話題沸騰ですよ」
 パソコンショップを再訪した弟が大げさに報告した。オーナーは、そうでしょう、というような顔で満足げに頷いた。
「いや~、本当に素晴らしい。この技術は半端ないですね」
 一気におだて上げると、オーナーは照れることもなくニヤついた。
「これだけの技術があれば、どんな依頼にも応えられますよね」
「まあ、そうですね」
 満更でもないような表情で顎に手をやった。
「一度、いろんな話を聞かせていただけませんか?」
 弟は盃を傾ける仕草をした。オーナーは、んっ、というような顔になったが、それが(ほころ)ぶのに時間はかからなかった。無類の酒好きというのが顔に出ていた。
 それを見た弟は胸の内でほくそ笑んだ。オーナーが罠に掛かろうとしていたからだ。しかしそれを顔には出さず、オーナーの言葉を待った。急いては事を仕損じる、と自分に言い聞かせて。
 顔を綻ばせたオーナーが舌なめずりをするような表情になった。
「いいですね、詳しいことは話せませんが、ちょっとだけなら」
 まんまと術中にはまった。しかしこんな簡単に物事が進んでいいのだろうか、という思いもあり、ちょっと焦らすように時間を置いた。すると、「いつにしますか?」とせっついてきた。待ちきれないというのが顔に出ていた。
「では、明日にでもいかがですか」
 そして、店の名前を告げた。予約が取りにくいことで有名な小料理店だった。
「そこは……」
 オーナーの口が開きっぱなしになった。驚きを通り越しているようだった。それが余りにも狙い通りだったのでおかしくなったが、「では、決まりですね」と念を押してその場を切り上げた。 

 小料理屋での会合が功を奏したのか、オーナーとの関係は急速に近しくなり、飲む度にオーナーは饒舌になっていった。しかし弟は焦らず、取り止めのない話を続けた。完全に心を許してくれる時を待っていたのだ。

 それは、二つ目の餌を仕掛けた時だった。彼は食いつき、強烈な引きを示した。
「旨いね。最高だね。言うことないね」
 夢開市唯一の板前割烹の個室でオーナーはご機嫌になっていた。滅多に手に入らない希少な日本酒、日本一に輝いた大吟醸に酔いしれていたのだ。
「オーナーほどのお人には、これくらいの酒をお出ししないと」
「いや~、ハッ、ハッ、ハッ」
 お上手とも気づかず、天にも昇るような笑い声を発した。それを弟は見逃さなかった。チャンスとみて店の人を呼び、耳打ちをした。
 しばらくして芸術的なデザインが施されたボトルが運ばれてきた。
「これは?」
 テーブルに置かれた途端、オーナーが大きく目を開いた。幻の酒と呼ばれている極上の大吟醸だった。
「まさか、これを……」
 恐る恐るという感じで手に取って愛おし気に撫でた。滅多なことでは手に入らない高嶺の花を前に感激しているようだった。一口飲んでは褒め、一口飲んでは礼を言うということが続いた。呂律が回らなくなるのに時間はかからなかった。
 幻の酒を飲み干して店を出たのは11時前だった。オーナーは真っ赤な顔をして足元がおぼつかない様子だった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫!」
 これくらいの酒でつぶれるほど軟じゃないと豪語した。
「それは恐れ入りました」
 感心したように頭を下げて敬意を表すと、「飲もうと思えばあと一升は飲める」と調子に乗った。すかさず弟は紙袋を差し出した。この時を待っていたのだ。中には最高の餌を入れていた。必ず食いつくはずだ。オーナーはなんだろうという感じで受け取ったが、中を覗き込んだ瞬間、「えっ! まさか……」と口を押えて大きく目を見開いた。幻の酒を見て仰天しているようだった。思惑(おもわく)通りだった。そこで芝居を打った。
「ご自宅でごゆっくりお召し上がりください」
 帰る仕草をして一歩、二歩と歩き始めた。すると、「店で一杯どう?」と背後から声がかかった。パソコンショップで飲み直そうというのだ。それは正に針がかかった瞬間だった。しかしすぐにリールは巻かなかった。「今からですか?」ととぼけたのだ。オーナーはそれに答えず弟の腕を取って、「今までの仕事を見てもらいたいんだ」と酒臭い息を吐きかけてきた。そして、自ら釣りあげられるのを促すように店の方へ弟を引っ張った。