玄関をふと見ると自分のスニーカーのほかにシックなピンヒール。あ、いるんだお母さん。
そっとリビングの扉を開けると、「ああ、日那おかえり。ポトフ作っておいたから。」
綺麗に巻かれたブロンドの髪にカールした長いまつげ。水色のロングドレスがよく似合ってる。
「ありがと」短くそう言って机の上のボトルの麦茶をコップに注ぐ。長く置いてあったのかぬるくなっている。
「学校どうだった?体調は大丈夫?」心配そうに聞いてくる。担任から連絡でも入ったんだろう。
「別に。」ぶっきらぼうにそう答えてテレビをつける。お笑い番組がやっていた。
「お腹痛いなら、おかゆもあるから。あ、先生に何か言われたりしてない?」お母さんは優しいと思う。でもきついんだ、その優しさ。
「大丈夫だから!お母さんはほっといてよ!」口調が強くなってしまう。ハッとしてももう遅い。
「ごめんね。今日も遅くなるから戸締りはしっかりしてね。じゃあ、行ってきます。」寂しそうにそう言う母の声に続いて扉の閉まる音がする。母の那月はこの町からは少し遠い六本木のキャバクラで働いている。
昔はお母さんの友人の飲食店を手伝っていた。
でもその人がお店を閉める事になり他の仕事よりも高く稼げるのがキャバクラだったらしい。
六本木で働く理由は私がクラスメイトからいじめられないようにする為だった。そういう気遣いが重く感じる。
お母さんにそんなつもりがないのも分かってる。けど、なんか心にずっしりと来る。
ポトフを食べる気にもなれずテレビを消して二階に上がる。
自分の部屋に入り制服を無造作に脱いで適当なパジャマを着る。それだけのことが今の日那にできる精一杯だった。
ベッドに潜って体を丸める。なんでいつもこうなんだろ私。全部面倒くさいし気持ち悪い。
消えたいなあ。このままどこかに溶けちゃいたい。溶けて消えてなくなる。それでいい。神様って不公平だよね。
「生きたい」と思う人は寿命が短くて、「死にたい」と思う人は寿命が長いことが多いから。
部屋には日那のかぼそい吐息だけが広がっていた。