「フロリアン、そこの書類を読んで適当にサインしてくれないか?」

お屋敷の中にある執事室で、テーブルに山積みされた書類をリュメル様はアゴをしゃくって示されました。私は鬼の形相で睨むへクセを気にしながらも、一応目を通します。でも、それが外交関係の書類であることは見なくても分かりました。

「君は父の仕事を手伝っていたそうだな」
「はい。病弱な父の代わりに代筆などさせて頂きました」
「ふん」
へクセの人を小馬鹿にしたような鼻を鳴らす音が聞こえます。私がここに居ること自体、気に入らないのでしょう。そんなへクセの態度を見て見ぬフリして、リュメル様はお話を続けられました。

「僕は外交などこれっぽっちも興味がない。ベリューム家を継いだからやらされてる訳だ」

……それは、私のせいなのでしょうか?

「君なら、大体のことは理解できるだろう?」
「ですがリュメル様、これはセンシティブかつ国の重要な決定を承認する書類も含まれています。私の一存では決めかねます」
「いや、君は長年外交の主宰であった父をサポートしてきた。それに隣国へ留学した際は貴族院で首席だったそうではないか」
よくご存知ですね。調べたのですか?それとも?
「宮殿では評判のようだ」
「ふん」と、また鼻音が聞こえる。
「まあ、頼んだよ。外にも出られず掃除ばかりじゃ、君も気分が晴れまい」

そうお考えでしたら、私の処遇を改善して頂きたいものです。でも、それもへクセが決めることなので無理でしょうね。
私は気が進まなかったけど、少しでもリュメル様のお役に立てればと思い……いえ、正直に申せばへクセの悔しがる顔が見たくて、この仕事をお引き受け致しました。この劣悪な環境のせいで、私の性格が少々悪くなった気がします。

「フロリアン!話が終わったなら、その書類を持ってさっさと屋根裏へ行け!」
「……かしこまりました」
ここでは仕事をさせてくれないのですね。まあ、いいでしょう。それにしてもへクセはいつもより乱暴な物言いです。まるでお下品なモッペルのようで……

私はリュメル様に愛されていない。でも、へクセは私を警戒しているのではないかと時々思ってしまいます。決して自惚れているわけではありません。私は女性として些か魅力に欠ける平凡な素材ですので。ただ、へクセの連れてきた使用人は全て、ご年配で『ふくよか』な体型のご婦人方。つまり、このお屋敷で若い女性は唯一、私だけなのです。

へクセは私とリュメル様がお屋敷の中で顔を合わせないように掃除の場所などを限定していますが、この仕事を通じて少しは接触する機会が増えるかもしれません。それに過敏になるへクセが見ものですが、それは危険が伴います。どんな意地悪が待っているか分かりませんから。

でも、もっと正直に申せば、へクセのことよりも少しばかり私の価値がお屋敷の中で上がった気がするので、それがささやかな喜びだと感じています。