その後、魔法使いがポツリポツリと話してくれた。

800年前に王家に代々伝わる『魔封じの指輪』というものに、黒魔法を生み出した罰を背負わされた自分が封印されてしまったこと。
指輪の中は城の地下にある迷宮と繋がっていて、自分の力では抜け出すことが出来なかったこと。そして迷宮の中は……時間が停止していることを。

「でも、良く分かったね? あのギルバート王子が僕を封印していた指輪をはめていたってことに」

魔法使いが尋ねてきた。

「それは簡単よ。ここは小説の世界で、私はこの話を知っているからだって。私は悪女として描かれていたサファイアの身体に憑依してしまったって何度も言ってるじゃない」

「うん……。前もそう言っていたけど……果たして本当にそうなのかな?」

ズイッと魔法使いが顔を近付けてくる。

「な、な、何よ! ど、どういう意味なの?」

美しすぎる魔法使いに見つめられて思わず赤面してしまう。

「サファイアのお陰で封印が解けて、魔力が完全に戻った今なら分かるよ。君……無意識の内に自分自身に暗示をかけていただろう?」

「え……? 暗示……?」

一体、どういうことだろう?

「自分で暗示をかけていたことも気づいていないんだね。でもまぁ、確かにそうかもしれないね。ならいいよ。僕を助けてくれたお礼に、サファイアが自分でかけた暗示を解いてあげるよ」

そして魔法使いは突然私の額に自分の額をくっつけてきた。

「キャア!! い、いきなり何するのよ!」

恥ずかしくて、思わず離れようとすると止められた。

「おとなしくしていて。暗示を解いてあげているのだから」

「え……?」

すると、私の頭の中に覚えの無い記憶が蘇って来た――



****

『イヤアアアアア!! な、何! この姿は!!』

池に映る蛙姿の自分に絶叫した。

『嘘よ……こ、こんなのは……そう、これは夢の中の出来事に違いないわ。きっとここは物語の世界なのよ。そして私はその身体に乗り移ってしまった読者なのよ。このサファイアの身体に憑依した全くの別人……』

記憶の中の私は池を見つめながらブツブツと『自分はこの身体に乗り移った別人』と言い続けている。
やがて……意識が遠のき、私はそのまま気を失ってしまった――


****

「そう……思い出した……わ……」

私は両肩を抱きしめた。
小説を読んでいたのは自分の前世だった。蛙にされてしまった状況に耐えられず、無意識の内に暗示をかけて前世の自分が今の自我を上書きしてしまったのだ。
だからこの身体の記憶が全く無かったのであった。

「そ、そんな……それでは、私は初めから……サファイアだったのね……?」

俯きながら、ドレスをギュッと掴んだ。

「そうだよ、サファイア。……ショックだったかい?」

私の肩を抱いて声を掛けてくる魔法使い。けれど、不思議とショックは無かった。
むしろ……。

「ううん、ショックじゃないわ。だって……私は魔法使いと同じ世界の人間だった……ってことだから」

すると、魔法使いは笑った。

「アベルだよ」

「え?」

「魔法使いじゃなくて、アベルだよ」

「ア……アベル……?」

顔を赤らめながら、初めて魔法使いの名を口にする。

「そう、サファイアには……名前で呼んで貰いたい」

そして魔法使いが目を閉じて顔を近付けてきた。私も真っ赤になりながら目を閉じる。

 この日、私と魔法使いは初めてキスを交わした――



****


 その後ギルバート王子の蛮行は世間に広まり、彼は貴族からも平民からも猛烈なバッシングを受けた。

 私という婚約者がありながら、他の女性と恋仲になったこと。邪魔な私を消す為に封印していた魔法使いを脅し、呪いを掛けさせたこと。

さらに偉大な魔塔主であったアベルに言いがかりをつけて、今迄封印してきた罪を何故かギルバート王子が背負わされることになった。こうしてすべての罪を背負わされた彼は王族の身分をはく奪されて追放されてしまったのだった。




 そして――

「残念だったよ、サファイア。僕は君を自分の婚約者にしたかったのだけどね」

私の屋敷を訪れていたクロードが寂しげに笑った。

「申し訳ございません、クロード様。ですが、コーネリア様がいらっしゃるではありませんか?」

クロードと向かい合わせに座った私はにっこり笑った。

「彼女はただの幼馴染だよ。でも、本当に僕に乗り換えるつもりは無いのかな?」

すると――

「駄目ですよ、クロード王子。サファイアは僕のものですから」

隣りに座るアベルが私をギュッと抱きしめてきた。

「ちょ、ちょっとアベル……! クロード王子の前でやめてよ!」

恥ずかしくて顔が思わず赤くなる。

「何で? 彼の前で僕達の仲をみせつけてやればいいじゃないか」

「あはははは…‥ごめん。冗談だよ、少しからかっただけだから。だけど……」

クロードは私をじっと見つめた。

「時々は城に遊びに来てくれないかな? ベンもアビーもジャックも……皆、君に会いたがっているから」

「はい、いつか必ず遊びに行きますね」

私は大きく頷いた——



****


「サファイア、クロード王子の城に行くのはいいけど……条件がある」

クロードが帰った後、アベルが神妙な顔つきで話し始めた。

「条件? どんな?」

「それはね……僕と結婚してからだよ!」

「ふ~ん……そう。結婚……ええっ!? け、結婚!?」

「そうだよ。クロードの目を見たかい? 彼は僕の魔法ですっかり身体が元気になってからというもの、足繁くこの屋敷に通っているじゃないか。それはね、まだサファイアを諦めきれていないからだよ! 不安なんだよ! 彼にいつかサファイアを取られてしまうんじゃないかと思うと、おちおち夜も眠れないよ!」

まるで捨てられそうな犬のように縋り付くアベルがおかしくて、笑ってしまった。

「アハハハハ……! や、やだ。何言ってるの? それは確かにクロードは格好いいけど…‥」

「ああ! やっぱり! 本当は僕かクロードにしようか迷っているんじゃないの⁉」

「馬鹿ね。アベルは。私が好きな人はね……自慢屋で笑い上戸の人だから」

「え?」

その言葉にキョトンとするアベル。全く仕方ないなぁ……

「あなたのことだって言ってるのよ」

耳元で囁くように言うと、途端に抱きしめられた。

「ありがとう、サファイア。愛してる、君のためなら、僕の全ての魔力を注いでこの世界を捧げたっていいよ?」

「そんなのいらない。ただ……ずっと、もうそばにいてね? 以前みたいに時々いなくなったりしないでよ?」

「しないよ。と言うか……もう、片時も僕は君から離れたくないから」

潤んだ瞳で私を見つめるアベル。

「アベル……」

そして、私達は互いを抱きしめあったままキスを交わした。



 その後私達は結婚した。

 勿論伝説の魔法使い、アベルの結婚が歴史に残されたのは言うまでもなかった――

<完>