翌朝、桃花が定刻十五分前に出社すると、社長室にはもう既に総悟の姿があった。

(昔は私よりも後に出勤してたのに……)

 デスクの前でうつらうつらしている彼を起こさないようにと桃花は注意を払ったのだが……
 彼はパチリと目を開けた。

「……ああ、もう来たのか」

 総悟の少しだけ険のある態度に、桃花はちょっぴり腹を立てつつも毅然とした態度で返した。

「はい、おはようございます、睡眠の邪魔をしてしまいまして申し訳ございませんでした」

「……別にそれは構わない。コーヒーを淹れてきてくれないか?」

「承知しました」

 桃花は自身のデスクに向かうと、部屋の端にある給湯スペースに向かう。
 コーヒーメーカーにコーヒー豆を淹れながら、ムカムカを抑えようと頑張っていた。

(もう、朝の挨拶ぐらい爽やかにしてよ……!)

 怒りに身を任せつつコーヒーカップに沸騰したコーヒーを注ぐ。

(もうもう言ってたら、また獅童が真似するかもしれない)

 そんな想像をしていたら、ふっと頬が緩んだ。
 気を取り直して、桃花が盆にカップを置くと、白い湯気がもくもくと立ち込める。
 そうして、総悟の座るデスクまで移動して、カチャリとソーサーごとカップを置いた。

「はい、二階堂社長、コーヒーをどうぞ」

「ああ」

 それだけ言い残すと、総悟は黙ってカップに口をつける。
 相変わらずコーヒーを飲み干す姿も、モデルみたいに様になっていた。

『桃花ちゃんのコーヒー、すごく美味しいから朝から精が出るな』

 獅童のようにニコニコと笑っていた総悟のことを思い出して、桃花の胸がズキンと痛んだ。

(もう忘れなきゃ、二年前の数か月は、総悟さんの気まぐれで、ひと時の夢だったのよ。それにしたって……)

 総悟の顔を見ると、目の下にくっきりとクマが出来ていた。
 桃花は気になって問いかける。

「もしかして私の残した仕事を残ってやってらっしゃたんですか?」

 すると、コーヒーを飲み干した総悟が、優雅な手つきでカップをソーサーに戻す。

「君の残した仕事は大した量じゃなかったから、あれからすぐに終わっている。あの後、別の仕事が急に入ったから、さっさとやってしまおうと思って徹夜しただけだよ」

「徹夜で大丈夫なんですか? そういわれれば、昨日も私よりも早くいらっしゃていましたよね。まさか……」
 
 桃花はとある事実に気付いてハッとなる。
 すると、総悟が立ち上がった。ギシリと椅子が軋む音が響く。彼の表情はどこか険しいものだった。

「別に……徹夜は三日ぐらいなら平気だよ」

「三日……!?」

 桃花は総悟のそばに近づいた。

「社長、今日は週末で会議もありません。だからどうかお体を大事になさって……」

「そんな気遣いは必要ない。もう俺のことは良いから。そうだ、君に今日の仕事を……」

 その時、総悟の身体がぐらりと傾いだ。

「社長!?」

 桃花は慌てて彼のそばに近寄る。
 彼が机に手をついてしゃがみ込んだかと思いきや、ずるずると床に倒れ込んでしまう。

「社長! 社長! 目を開けてください!」

「う……」

 総悟が呻き声を上げる。
 なんだか手足まで冷たくて、桃花の背筋にゾクリとした感覚が這いあがってくる。

「誰かっ……総悟さん……!」

 桃花は慌てて立ち上がると、机の上の受話器を手に取って、急いで電話をかける。

「誰か来てください……!」

 桃花の悲痛な叫びが社長室に木霊したのだった。