覚悟は決めていたつもりだったが、かつて優しかった総悟から投げかけられる冷たい言葉の数々に、桃花の筋がどんどん強張っていく。
 相手の放つ言葉の鋭さに耐えるべく、きゅっと唇を噛み締めた。

(総悟さん、仕事を放棄して急に姿を消した私に対して怒っているんだわ)

 総悟の表情には、桃花への侮蔑が滲んでいるようで、直視することができない。
 彼が眉一つ動かさないまま、手にしていた書類をバサリと机の上に放った。
 乱雑に扱われた紙切れを見て、彼女の胸はズキンと痛む。

(こんな酷い態度をされたことはなかったのに……)

 けれども、自己都合で突然姿を消した自分にも非がある。
 彼女は傲慢な彼の振る舞いを黙って受け入れることにした。

(あの日から、もう二年が経つ)

 人は変わってしまう生き物だ。
 桃花に優しかった総悟はもういないのだ。
 そう思うと胸がぎゅっと苦しくなる。
 彼が彼女に問いかける。

「竹芝から、お金に困っている女性だから、どうしても採用してやってほしいと頼まれていたけど、本当かな?」

「それは……本当です」

「二年前に俺のそばから逃げなければ良かっただけだ。君が金に困っているのなんて自業自得だろう。俺に雇ってやる義理もない」

 優しい言葉を掛けてくれていた彼が、今は嘲笑を浮かべていた。
 そんな表情をさせている原因が自分なのかもしれないと思うと、胸がぎゅっと苦しくなった。

(本当は総悟さんから逃げたくなかった。だけど、逃げるのが一番良い選択だと、あの時は思ったし、今でもそれは間違いだとは思っていない)

 彼が口にしていた言葉が脳裏に浮かぶ。

『……彼女が俺と付き合ってから色々決めたいって言うんだったら、しばらく試しに付き合う期間を設けても良い。だけど、俺は……子どもは必要ないと思ってる。大事なものを失うぐらいなら……最初から子どもなんて必要ない……欲しくないんだよ』

 今は思い出すタイミングではない。
 桃花はぎゅっと一度だけ瞼を伏せると、まっすぐに相手を見据えた。

「二年前、急に退職したことの理由についての説明は?」

 総悟からの問いかけに対して、追い詰められた桃花は言葉に詰まった。
 ぐっと拳を握る。

「さあ、俺に理由を説明してくれないか? 内容次第で再雇用を考えてやっても良い」

 総悟は、豪奢な黒塗りの椅子に身体を沈めたまま、高慢な態度ですらりと長い脚を組みなおす。
 不遜な表情を浮かべる総悟の瞳には、桃花に対する憎しみの炎が宿っているようでもある。

(総悟さんの元を去った事情を、総悟さん本人に伝えることは出来ない)