どれぐらい深呼吸しただろうか?
 すれ違う人が幽霊でも見たかのような視線を送ってくる中、桃花は颯爽と社長室へと向かう。
 どうやら元々総悟が副社長時代に使っていた部屋を、今は社長室として使っているようなのだ。

(つまり、働きなれた場所に戻るということなのだけど……)

 これまで以上に緊張して全身が鉛に覆われたかのようだった。
 なんとか社長室の前に辿り着くと、桃花は緊張した面持ちで扉をノックした。
 コンコン。
 相手の返事を待って入室するはずが、緊張のあまりうっかりドアノブを捻って、扉を開けてしまった。
 しばらく働いていなかったからか、ぼんやりしてしまっていた自分に心の中で喝を入れる。

「申し訳ございませんっ……!」

 うっかり開いた扉の向こうに人影が見えた、その時――

「ひどいです! 二階堂社長! 遊びでも何でも良いって言ったじゃないですか! どうして私じゃダメなんですか!?」

 室内に甲高い女性の声が響き渡る。

(ものすごく既視感がある……)

 ちょうど女性社員の立っているせいで、社長室の机に座っている人物の姿が見えない。
 復帰初日早々、男女の痴情のもつれのような現場に出くわしてしまうとは……

 桃花が二階堂会長と竹芝に呼ばれたのは、総悟が社長の仕事をせずに再び女性社員と遊びはじめでもしたからだろうか?

(総悟さん、二年前はちゃんと理由があって女性社員をそばに置いていたはずだけど……)

 そんな疑念が桃花の中に沸いてくる。

「……そうだな……」

 久しぶりに聞いた総悟の声。
 桃花の胸がドクンと大きく跳ね上がる。

(総悟さんは何て答えるの?)

 そうして、彼が女性社員に向かって口を開いた。


「遊びで仕事に来られても困る。俺はもう誰もそばに置くつもりはない。専属秘書ならなおさらだ。出て行け」


 今まで聞いたこともないぐらい低い総悟の声を聴いて、桃花は身体をビクリと震わせた。
 女性社員も怖かったのか震えており、しばらくしたら泣きながら扉に向かって駆けてくる。扉の前にいる桃花とぶつかりかけたが、そのまま廊下へと飛び出していった。

(総悟さん、あんなに女性には誰に対しても優しかったのに……)

 パタパタと靴音が聴こえる中、総悟が桃花にいる方向へと声を掛けてきた。

「誰かは知らないけど、そこにいるのは、竹芝が用意したとかいう専属秘書なんだろう?」

 ドクン。

 どうやら総悟は何者かが扉の前に立っているのには気づいているようだが、桃花だとは思っていないようだ。
 総悟は親しみのある喋り方をする男性だったが、桃花の知っている総悟と比べると何となく冷たい印象を受けてしまう。
 そうして、書類に目を通していた彼がゆっくりと彼女へと視線を向ける。

「良ければ帰ってもらおうか? 繰り返し言うが、俺はもう専属秘書は……」