「総悟さんに、なんて説明しよう」

 夜を迎えて、桃花は布団の上で悩んで過ごしていた。
 子どもの父親が、二階堂総悟であることは間違いない。
 PCからメール返信をしようとしたけれど、船酔いみたいな吐き気が収まらなくて、結局ベッドで横になって過ごした。
 まだ胎動がある時期ではないけれど、なんとなく下腹部に手を添えてしまう。

(実感はわかないけれど、お腹の中に赤ん坊がいるのよね……)

 なんだかいつも以上に身体は怠いし、胸も張る気がするし、とにかく胃の奥深くの気持ち悪くて仕方がない。
 体に今までにない変調を来しているのは確かだった。
 スマートフォンで総悟へのSMSメールを返信しようとしたが、指がうまく文字をタップしてはくれない。
 ひとまず、病気かどうかだけは伝えないといけないと思って、端的に文字を打ちこむ。

「『病気ではありませんでした』」

 とりあえず嘘は吐いていない。
 すると、すぐに既読がついて、返信があった。

『良かった』

『明日は来れそう?』

 画面越しだが、総悟の優しさが胸にじんわり染みてきて嬉しくなってしまう。

「二階堂社長のそばで働き続ける以上、妊娠していることは隠し通すことはできない」

 だったら、早い内に覚悟を決めて、子どもの父親であることを伝えないといけない。
 けれども、言われてみれば、身体の関係にもなったし、デートも何回もしているけれど、総悟から「恋人になってほしい」と言われていなかったことを思いだす。

「あれ? もしかして、私たちの関係って、まだ上司と部下以上、恋人未満……?」

 そう考えた瞬間、全身が冷たくなった感覚に陥ると同時に、一気に頭が冴えてくる。

「恋人でも何でもないのに、もしも産むなって言われたら……」

 総悟に必要ないと言われたら、怖くなってくる。
 桃花は唇をきゅっと噛み締めた。力が入らなくなっていく指先にきゅっと力を込めた。

「私は……」

 両親が亡くなって、祖父母と三人で暮らしてきた。
 もちろん祖父母は優しかったけれど、やはり両親の代わりとまではいかなかった。

「赤ちゃん」

 寂しい気持ちを埋めるかのように、愛らしいぬいぐるみに囲まれて過ごした。
 一体一体に名前を付けて、まるで自分の子どものように愛した。
 ……いつか自分に子どもが出来たら寂しい思いはさせない。
 将来的に好きな男性の子どもを妊娠して、出産して幸せな家庭を育むんだろうなと、そんな夢を膨らませていた。
 けれども、今お腹の中に授かっているのは、ぬいぐるみではなく本当の赤ん坊なのだ。

「家族が出来たら大事にしたい」

 桃花のためにぬいぐるみをとってくれた総悟の顔を思い出す。

『俺が獲ったんだから、大事にしてよね』

 桃花の幼い頃からのヒーローである獅童くんのことを馬鹿にすることはなかった。
 ぬいぐるみだって大事にしてくれるし、桃花のことだって大事にしてくれる。
 クレーンゲームでとってくれた黒い熊のぬいぐるみ。
 大事に抱き抱えていた総悟の姿を思い出すと、頬が緩んだ。
 総悟は、具合が悪くなって救急車で搬送されることになった母親を助けたことだってあった。

「だったら、きっと……自分たちの間にできた赤ん坊のことも大事にしてくれる気がする」

 桃花は白いうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。

(だって、あの夜だって、私のことを、あんなにも大事に抱きしめてくれたのだもの……)

 きっと幸せな未来が待っているに違いない。
 そんなことを思いながら、その日、桃花は眠りに就いたのだった。

「総悟さん」


 だけど……当時の桃花はまだまだ大人になりきれていなかった。

 いいや、まだ知らないことが多すぎたのだ。

 彼女の両親の交通事故の時に起きた出来事。

 総悟の写真の女性の正体。

 総悟の抱えた心の傷が想像以上に深いことを……

 桃花に宿った赤ん坊が、ものすごい偶然と奇跡の末に出来た赤ん坊だということを……

 そして……

 この奇跡的な妊娠が、二人の命運を大きくわけることになるなんて、妊娠したての桃花は想像すらしていなかったのだ。