桃花は、そこまで自惚れてはいない。
 表情は崩さずに、桃花は二階堂副社長に向かって話を続けた。

「それで、噂とは何のことでしょうか……?」

「淡々と仕事をこなすクールな暗殺者みたいな女性がいるっていう噂だよ」

「暗殺者……?」

 桃花はぽかんと口を開けた。

「まあ、暗殺者っていう割には……まあ確かに真面目で堅いタイプの女性だけど、可愛い印象の方が強くて、うっかりドジを踏みそうなタイプに見えるかな?」

 総悟がフランクな調子で話し掛けてくる。
 一方、桃花は童顔コンプレックスを刺激された気がしてグサリと来てしまった。

(なんて失礼な男性なのかしら? これだからモテるタイプの男性は、他人を見下すようなところがあって、あまり好きになれないのよ……少しだけカッコイイと思った私が馬鹿だったようね……)

「二階堂副社長、そうでしたか、話はそれだけでしょうか? 冗談に付き合っている暇はありませんので、失礼いたします」

 桃花はそれだけ伝えて踵を返すと、ヒールの音をツカツカ鳴り響かせながら、廊下を進む。
 だが、なぜか二階堂総悟は桃花の後をついてくる。
 くるりと振り向くと、彼が哀愁を誘う表情でこちらを見てきていた。
 桃花は……犬みたいな表情にとにかく弱い。
「ついてこないでほしい」と返事をしたかったが、言葉に詰まって出来なかった。

「ねえ、梅小路桃花さんに頼みがあるんだ」

 総悟が、他の女性なら一瞬で虜になっていただろう、蕩けるような笑みを浮かべている。
 けれども、桃花の警戒心は強くなる一方で、相手が気安い態度で近づいてくるものだから、一歩後ろに下がった。
 だが、相手は負けじとさらに詰め寄ってくる。
 何度か繰り返していたら、壁際まで追い詰められてしまった。
 桃花は逃げ場を失ってしまったため、改めて二階堂総悟に用件を尋ねることにする。

「二階堂副社長、いったいどのような用件があるというのでしょうか?」

 すると、総悟が壁に肘をついたかと思いきや、桃花に向かってゆっくりと顔を近づけてくる。
 鼻先が触れ合いそうなぐらいに接近されると、心臓がおかしな音を立て始めた。

(近い近い近い……!)

 これまで二十二年間、男性たちから告白はされてきたけれども全て断ってきたため、交際に至ったケースは一度もないのだ。
 こんなに至近距離に今をときめくイケメンの顔が近くにあるなんて、心臓が持ちそうにない。

(いったい用件って何なの……!?)

 彼の唇が、彼女の耳朶に近づいてくると、吐息がかかってくすぐったくて、ピクリと身体が反応してしまった。

「梅小路桃花さん」

 そうして、総悟がまるで愛を囁いてくるかのように囁いてくる。

「君に俺の専属秘書になってもらいたいんだ」

「はい……?」

 桃花の声がひっくり返った。
 まさか、聞き間違えだろうか?

「今なんと仰いましたか?」

「あれ? 聞こえてなかったの? まだ若いのに耳が遠いのかな?」

 厭味ったらしい言葉をかけられ、桃花の顔がひくついた。

「梅小路桃花さん、君は今日からこの俺……二階堂総悟の専属秘書だ。よろしくね?」

 二階堂総悟は、天使のような悪魔の笑顔を浮かべていた。

 かくして、桃花にとって、青天の霹靂のような出来事が起こる。

 まさか、これから先、彼とあんなことが起こるとも思わずに……