迎えた翌日。
 今日の桃花は、そつなく専属秘書の業務をおこなうことに成功した。
 もうすぐ終業時刻を迎える。
 けれども、終わり際だからと油断してしまったのだろうか。
 桃花の頭の中に二階堂副社長の姿がどんどん浮かんでくる。
 どうにかしないといけないと思えば思うほど、頭の中の総悟の比率が増えて止まらない。

(二階堂副社長の好きな人よね、あの写真の綺麗な女性……って、また私は何を考えているの? 業務にちゃんと集中しないと……!)

 桃花は部屋の中を整理していたが、ふとファイルに手を伸ばしたまま固まってしまった。

(本当にどうしよう、せっかく今日はうまくいったと思ったのに、また同じことで悩んでしまっている)

 考えたって仕方のないことで堂々巡りをしてしまっている。

「桃花ちゃん、桃花ちゃん、ねえ!」

「……あ!」

 突如として二階堂副社長の声がクリアに聞こえてきたため、桃花はハッとした。
 どうやらファイルに手を伸ばしたまま、ぼんやりしていたようだ。

「申し訳ございません!」

「何回も声かけてるのに、全然気づかないんだもん」

 二階堂副社長が唇を尖らせながら抗議してきたため、桃花は自分自身を恥じ入った。
 けれども、彼に気に留めた様子はなさそうだ。
 彼は口の端をゆるく吊り上げると、軽口を叩いた。

「仕事中にぼんやりするとか、桃花ちゃんらしくないんじゃない? せっかくだし、気分転換に帰り道に遊園地に行く?」

 ……ドクン。
 桃花の心臓が大きな音を立てた。

(私らしくない)

 誰にも迷惑をかけないようにと、自分の力でこれまで何でも頑張ってこなして生きてきた。
 他の人には頼らず、自分自身を律して生真面目に生きてきていたのに……
 なのに、二階堂副社長と一緒にいると、これまでの自分の努力が全て無に帰してしまいそうで……

(このままの私じゃダメよ、ダメなんだから……)

 桃花は唇をぎゅっと噛みしめた後、ポツリと返した。

「私らしくないって……だったら、私らしいって、どんな私なんですか?」

「え?」

 二階堂副社長の動きがピタリと止まった。

(あ、私は……)

 桃花は、上司相手に思いがけず低い声が出てしまったことを後悔し、慌てて頭を下げる。

「申し訳ございません。失礼な態度をとってしまいました」

 すると、二階堂副社長がこちらを心配そうにのぞき込んできた。

「やっぱり、今日の桃花ちゃん、調子悪いよ。もう今日の仕事は終わりにしよう。具合が悪いんだったら、俺がマンションまで送るから」

「待ってください、まだ仕事中です!」

 桃花は顔を上げたものの、彼の言い分も間違っていないので、なんとなく気まずくて俯いてしまった。

「今の君の状態じゃ、上の空で良い仕事できないよ、ほら、帰ろう」

 そうして、二階堂副社長の手が桃花に向かって差し出される。
 彼は優しさでそう言ってくれたのだろうけれど、彼女の心には鋭いナイフが刺さって抉れてしまいそうだった。
 彼の前で失態を犯してしまったのだと、異常なまでの羞恥が全身を駆け巡っていく。

(あ……私は……)

 なんだかもう気持ちはぐちゃぐちゃで、頭の中がぐるぐるしてくる。
 いてもたってもいられなくて、焦燥でどこかに駆けだしてしまいたくなった。

「桃花ちゃん?」

 二階堂副社長が優しいのが、もう何だか本当に自分がダメだと知らしめられているようで、何もかも嫌になってしまって、桃花は叫んだ。

「もう、私のことなんて放っておいてください!!」

「桃花ちゃん!」

 二人の間に気まずい空気が流れはじめるのには耐えられない。
 桃花はその場を脱兎のごとく逃げ出したのだった。