結局仕事に集中できないまま過ごしてしまった。
 終業時刻はとっくに終わっていたが、会議が夕方遅くまで白熱したことと、その議事録を作成していたため、普段の倍以上の時間がかかってしまったのだ。
 二階堂副社長はもう終業して良かったはずなのに、桃花の手伝いをしながら待ってくれていた。

(上司を補佐する立場の専属秘書なのに、上司に手伝ってもらうなんて本末転倒すぎる)

 桃花は心の中で自分自身を呪いながら、なんとか仕事をやり終えた。

「桃花ちゃん、お疲れ様」

「ひゃあっ!」

 二階堂副社長がひんやり冷たい缶コーヒーを桃花の頬に押し当ててくる。

「びっくりさせないでください!」

「桃花ちゃんの反応がいちいち可愛くてね」

「……っ……」

 桃花の頬が勝手に赤らんでいく。
 ふいっと顔を逸らしつつ、缶コーヒーの蓋を開けて縁に口をつける。

(ちゃんとミルクが入ってる)

 クールな女性社員を装って頑張っていた桃花だったが、正直ブラックコーヒーは苦手だ。
 毎朝、二階堂副社長にコーヒーを作って手渡しているのだが、その時に彼女も一緒に一服している。その際に、ミルクとシュガースティックを注ぎがちなのだが、もしかしなくても、彼には見られてしまっていたのかもしれない。
 桃花がコーヒーを全て飲み干した後、二階堂副社長が声をかけてきた。

「ああ、今日も車で送るよ、さあ、行こうか?」

「はい、ありがとうございます」

 そうして、副社長室を出ると、ビルの地下駐車場へと向かい、二階堂副社長の白い愛車に二人して乗り込んだ。
 車内では彼は好きなクラシックの音楽が流れており、爽やかな海を連想させるフレグランスが香っていた。
 彼は軽妙な語り口調で、最近の竹芝部長の面白い出来事などを喋っていたけれど、桃花の気持ちは晴れなかった。

「桃花ちゃん、どうしたの?」

「え?」

「なんだか今日は半日調子が悪そうだったね?」

 二階堂副社長に今日の桃花の仕事ぶりを指摘されてしまい、なんとなく恥ずかしくなってしまう。

「ごめんなさい、ご迷惑をおかけしてしまって」

「俺は別に君に謝ってもらいたいわけじゃないよ」

「ええっと、副社長が気になさるようなことは何もなくて……」

 けれども、どうしてもうまく覇気が出なかった。
 ちょうど桃花の自宅マンション前に停車する。

「ありがとうございました、それでは」

 そうして、退席しようとした桃花の手首を、二階堂副社長の手が掴んだ。