二階堂総悟は昔から身体が弱かった。ドイツ出身の母親は育児を放棄してどこかに去ってしまった。
 父親の二階堂総一朗は多忙なため、姉の嗣子が親代わりを果たしてくれていた。
 母親不在といえば、世間は可哀そうだという視線を送ってくることも多かったが、姉の嗣子だけではなく、幼馴染の竹芝や京香に可愛がられながら育ったので、当の総悟本人は身体が弱いのがちょっと嫌だったけれど、世間が思うよりも幸せに暮らしていたのだった。
 けれども、病魔は総悟がささやかな日常を送ることを許してはくれなかった。
 日本での治療には限界があるらしい。そこで、母の出身国であるドイツで治療をしてはどうかという話になった。

『総悟、私もついていくから』

『嗣子姉さん、もう俺も十七だし、一人で大丈夫だよ』

 そうして、高校二年生だった総悟は、治療のために数か月ドイツに滞在することになった。
 一人で大丈夫だよと話したけれども、姉の嗣子は治療中ドイツについてきてくれることになった。
 なんだかんだ言いながらも、総悟は姉が一緒に来てくれるのは嬉しかった。

(最近の嗣子姉さんは、家にいないことが多かったから、しばらく姉弟で仲良く過ごせる良い機会かもしれない)

 ドイツに向かってからしばらくした頃、嗣子が国際電話をしている姿を目撃した。

『武雄さん、もしかしたら反対されるかもしれないけれど……帰国したら、貴方に話さないといけないことがあるのよ』

 嗣子には高校時代から交際している男性・嵯峨野武雄がいた。
 大手・嵯峨野機器の社長の甥っ子のようで、容姿にも優れているだけでなく、人望もあるようで、健康な体も羨ましかった。
 一度だけ会ったことがあるが、総悟に対してとても朗らかで謙虚な態度で接してきて、非の打ち所がない人物といった印象だった。

『総悟くんというのかい? 君みたいに優秀な子が弟になるなんて嬉しいよ。嗣子や君に恥じないよう、僕も努力しようと思う』

 武雄と嗣子は大学も同じ先に進んだ。竹芝や京香と四人で同じ教授のゼミに所属していた。だから、最近は二階堂家に皆で集まると、ゼミの話題で持ちきりで、総悟はなんとなく疎外感のようなものを感じていた。

(姉さんはいずれは結婚して俺のそばから離れていってしまう。皆も俺のそばからいなくなってしまう)

 嵯峨野に大事な人たちを奪われるような感覚が、総悟の中になんとなく存在した。

(だけど、ドイツに行って健康になれば、こんな気持ちにならなくて済むはずだ)

 そんな風に前向きに治療に臨んだ末に総悟は生き延びる未来を手にすることができた。
 けれど、「これから先、子どもは望めないかもしれない」と医師に宣告されてしまった。

(神様は俺に意地悪ばかりしてくる)

 総悟は未来に対して悲観的になって過ごしていた。
 何度か検査はしたし、セカンドオピニオンを求めて他の医師にも診察を依頼したけれど、結果は同じだった。

『俺は何のために生きてるんだろう』

 捉えどころのない苦しみを抱えながら、日本に帰国することになった。
 嗣子はなんとなくドイツ滞在中に体調が優れない雰囲気だったが、総悟には理由をおしえてはくれなかった。
 そうして、日本に帰ってすぐに――あの事故は起きた。