先ほどの阪子の話を聞いていたせいか、嵯峨野が浮かべる微笑みが、途端に胡散臭く見えていた。

「『その必要はない』とは、どういう意味でしょうか?」

 桃花はきっと相手を睨みつけたが、嵯峨野にはサラリと流されてしまう。

「すでに二階堂商事は嵯峨野グループの傘下に入ることが決定している。貴女が知った情報を総悟くんに伝えたところで、全くと言って意味がない」

「な……!」

「人事決定も全て私の手中に入る予定だ。残念ながら総悟くんに社長を続けてもらう予定はない。梅小路さんは本当に運が良い。これから職も金も、何もかも失う男の妻になどなりたくないでしょう?」

 桃花は獅童のことをぎゅっと強く抱きしめると力強く返答した。


「私は総悟さんの地位や名誉を愛したわけじゃありません! たとえ、これから先、彼が全てを失ったのだとしても、彼に何かあったのだとしても、私のことを信じて待ってくれていた彼のことを、私は愛し続けます……!」


 桃花は言葉にして初めて――自分がどれだけ総悟のことを愛しているのかに気付いてしまった。

「財産なんてなくったって、私が総悟さんと獅童ごと養えば良い」

 嵯峨野が続ける。

「君の両親を見殺しにするような男でもかい?」

「確かに両親は亡くなりましたが、総悟さんは誰かを見殺しにするようなことはしません。おかしな嘘は吐かないでください」

 二年前、もっと自分に自信があったら、嵯峨野に言い返せただろう言葉。
 二年経って、総悟からの愛を感じとれたからこそ、今はちゃんと相手に言い返すことができる。

「たまたま今回、その子どもが生まれたようだが、次にはもう子どもは望めないかもしれない。それでも?」

「子どもの父親になってくれるから、総悟さんのことを好きになったわけじゃありません。たまたま好きになった相手の子どもを妊娠して産んだだけです」

 すると、嵯峨野がフンと鼻を鳴らして嘲笑を浮かべた。

「まるで十二年前の再現だ。俺が嗣子を失った時、総悟は君を手に入れていたわけか。不愉快だが、まあ良いか……そのうち、そうは言ってられなくなるだろうからな」

 そうして、彼は阪子へと視線を移す。

「阪子、嗣子を殺した人間の子どもに生まれてしまったお前に、良いところなど全くないと思っていたが……総悟の愛する梅小路桃花を公園に引き留めることが出来たことだけは褒めてやろう」

 阪子は何も言い返さず、地面を見つめたままぼんやりと立ち尽くしていた。
 阪子が嵯峨野に頼まれて桃花を引き留めていたのか、それとも、たまたま嵯峨野が現れたのかは定かではない。
 けれども、桃花は本能的に危険を察知した。
 なぜならば、彼の背後には黒いスーツを纏った男たちがズラリと立ち並んでいたからだ。

「さて、梅小路桃花さん、子どもに危害を加えられたくなければ、車に乗ってもらおうか」

 桃花は獅童を抱きしめる力を強くしたのだった。