桃花は獅童を預けている子ども園の門柱へと向かう。

「獅童、迎えに来たよ」

「まま」

 仕事帰りに我が子を抱っこすると、日中の疲れや漠然とした不安も、どこかに飛んでいってしまいそうだ。
 ふにふにと柔らかい肌に頬を擦り寄せると、獅童も嬉しそうに頬ずりしてくる。
 担任の先生から、日中の園の様子などを尋ねた後、獅童を抱っこしたまま外に出た。

「じゃあ、帰りましょうか」

「うん!」

 獅童を抱っこしながら、桃花の心中は気が気ではなかった。

(総悟さん、大丈夫かしら?)

 あんな事態でも冷静そのものな総悟の態度が逆に心配なぐらいだ。

(無理しないと良いのだけど……)

 すると、獅童が桃花の頬をぺちぺちと叩いた。

「まま、やくそく!」

 そうして、背中のリュックにつけた黒いクマをアピールしてきた。

「ふふ、獅童ったら。そうね、獅童のパパなら、きっと大丈夫よね」

 桃花の頬が自然と緩んだ。

(そうよ、総悟さんを信じなきゃ)

 そうして、桃花は正面玄関を出て、遊具が立ち並ぶグラウンドを横切ってから、門の外に出る。
 道路沿いの門柱の手前、誰かと待ち合せをしている様子の女性が立ち尽くしていた。

(あれは……)

 流麗な黒髪に切れ長の瞳の持ち主である女性。
 なぜか、そこに立っていたのは……

(京橋阪子さん)

 彼女はそもそも総悟に気があるからこそ、彼の子どもを妊娠したと嘘を吐いていたはずだ。
 だから、総悟に会いに来るために、二階堂商事に顔を出すのであれば理解もできる。
 けれども、どうして獅童のいる子ども園の前で立っているのだろうか?

「こんにちは、梅小路さん、お会いしたかったです」

 彼女はこちらに向かってぺこりと頭を下げてくる。
 なんとなく警戒心を抱きながら、桃花は獅童をかき抱く力を強くした。

「社長にお話でしたら、今の時間の私に取り次いでも意味がありません。どうぞ会社に向かわれてください」

 しかしながら、阪子は首を横にフルフルと振った。
 彼女の表情は、初めて会った頃よりも冴えない。
 頬も心なしかこけているので、妊娠しているけれども、つわりがひどくて食事が入っていないだろうか。
 こちらに歩んでくる足取りも、ゆらゆらとして、まるで生きる屍のようだ。
 幸いながら、眼下が窪んでいないので、生きている人間だということが分かる。

「いいえ、今日は梅小路さんにお話があって、ここまで来たんです」

「私に、ですか……?」

「ええ」

 そうして、阪子がお腹をそっと撫でながら、桃花をじっとりと見つめてきた。


「……貴方に謝罪したいことがあるのです」


 ――桃花の頭の中で警鐘が鳴ったのだった。