あの頃の桃花は、総悟に「好き」だと伝えて、一緒に将来を見ながら歩きたくて、自分から告白しようと思っていたのだ。

(そのまま伝えたら、ただの愛の告白になってしまう)

 プロポーズに承諾できないでいるけれど、総悟の最近の獅童への態度を見ていると、桃花は自分だけが頑なになっている気がした。

「二年前、俺も君に話したいことがあった。だけど、伝える前にいなくなってしまった。良かったら、今日の仕事が終わった後にでも、あの時のやり直しがしたいと思ってる」

 桃花の心臓がどんどん高鳴っていく。

「本当はどこか素敵なお店にでもとは思ったけど、あの子の寝かしつけのこととかがあるから、君のマンションになっちゃうけど……」

 桃花の胸はどんどん期待に満ちていく。
 だけど、彼の提案に頷く前に確認しておきたいことがあった。

「その……」

「ん? どうしたの?」

「社長にはお姉さんがいるんですよね?」

「親父から何か聞いた? そうだよ、姉がいる」

 桃花はおずおずと尋ねた。

「よろしければ、お姉さまのお名前をうかがってもよろしいでしょうか?」

「え? 俺の姉さんの名前?」

「はい、そうです」

 面食らった顔をしていた総悟だったが、柔らかな笑みを浮かべた。少しだけ寂しそうにも見える、そんな表情だ。

 そして――


「俺の姉さんの名前は――嗣子。二階堂嗣子だよ」


 桃花の写真を持つ指先が震えはじめる。一方で、春の花が芽吹くような心地がしてきた。

(やっぱり……私はずっと写真の女性のことを勘違いしていたんだわ)

 なんだか目頭が熱くなってきた。就業前だから泣いちゃいけない。両手の拳をぎゅっと握った。自然と溢れ出そうになる涙が流れないようにぐっとこらえる。

「桃花ちゃん、どうしたの?」

 桃花の異変に気付いたのだろう。総悟が心配そうに覗き込んできた。

「大丈夫です」

 そうして、桃花は首を左右に振ると、そっと総悟の手に写真を返す。
 彼が翡翠の瞳を見開くと、朝陽が入り込んで忙しなく揺れていた。

「ああ、これを拾ってくれてたの? この写真の人は――」

 何か言いかけた総悟に対して、桃花が力強く答えた。

「総悟さんの大切な人なんですよね。今、名前を教えてもらいました」

 彼がはっと息を呑んだ。

「ごめんなさい。私はずっと総悟さんのこと、大切なその女性のこと、ずっとずっと誤解していたんです」

「桃花ちゃん……」

 そうして、桃花は目頭の涙にそっと指を宛がいながら、総悟に向かって優しく微笑んだ。

「総悟さん、今晩どうか、ご一緒にお話させてください」

 総悟が蕩けるような笑みを浮かべていた。

「そうか、ありがとう、すごく嬉しいよ、桃花ちゃん」

 二人の間にこれまでで一番和やかな時間が流れはじめる。
 その時、総悟のデスクの電話が鳴り響く。

「さて、電話だ。終わったら、今日のスケジュールを教えてね、僕の専属秘書さん」

「はい、分かりました、準備をしておきます、社長」

 そうして、桃花は期待に胸を弾ませながら、本日の業務を開始したのだった。