(総悟さん、まだ獅童に触れるのにためらいがあるのね)

 二階堂会長と総悟、対照的な二人の姿を見て、桃花の胸が軋んだ。

(そういえば、総悟さん、獅童の名前は呼んではくれないし……)

 総悟が獅童を完全に受け入れるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
 そんな桃花のことを見て、二階堂会長が穏やかな口調で話しかけてくる。

「総悟が小さい頃に母親が出て行ってしまったから、総悟には弟妹はいなかった。小さい子を可愛がるよりも、可愛がられるのに慣れてしまっているから、桃花さんにはこれからも苦労をかけるかもしれないね」

 もうすっかり会長は桃花を総悟の妻扱いしてきている。
 総悟が会長に向かって悪態をついた。

「そういえば、今回は親父が竹芝に桃花ちゃんが帰ってくるように頼んでいたみたいだけど、もしかして桃花ちゃんに子どもがいたのに気づいていたの?」

「どうだろうか……」

 一度目を瞑った会長が厳かな口調で返事をした。
 納得のいかない様子の総悟が口を開きかけた、その時。


「おじさま! 遊びに来たわよ!」


 聞き覚えのある明るい声。
 聞こえた先、障子の向こうに目をやると、声の主も桃花に気付いた。

「桃ちゃん!」

 天真爛漫な笑顔を浮かべるのは……

「京香さん!」

 竹芝副社長の妻・京香さんだった。
 相変わらずのマッシュボブで、猫のような顔立ちの美人は健在だ。今日は橘色の着物を身に纏っていた。
 
「お義父様に聞いた通りだわ! 二階堂のおじさまが寂しがってるかもって遊びに来たら、桃ちゃん達が遊びに来てるなんて!」

 感極まった京香が桃花に抱き着いてきた。

(京香さん、本当に喜んでくれてるみたい……)

 桃花もなんだか胸がじんわり熱くなってくる。

「清ちゃんから、総悟君がやらかしたって、ずっと聞いてて心配してたのよ! だけど、会いに行こうとしたら、清ちゃんが『しばらく待ちなさい』って言ってきたのよ! もうもう!」

 「清ちゃん」というのは、竹芝部長の愛称のことだろう。

(それにしたって、二階堂会長宅に気安く訪問できる京香さんは何者なの?)

 わざわざ義父の方の竹芝に会いに来たとは思いにくい。
 桃花が疑問に思っていると、京香の反応に釣られたのか、獅童が一緒になって「もうもう」言いはじめた。

「もう、もう!」

「獅童くんっていうの? 総悟くんにそっくりじゃない!」

 京香は続いて二階堂会長の傍にいる獅童の元へとネコのように飛び掛かる。
 我が子を中心に皆が嬉しそうに笑顔を浮かべている姿を見て、桃花の心は和んだ。

(獅童、皆に愛されているみたいで、見ている私も嬉しい……)

 その時、二階堂会長が総悟に向かって声をかける。

「さて、これから桃花さんがこの屋敷に来る機会も増えるだろう。せっかくの機会だ。総悟、中を案内してやれ。この子は儂が大丈夫なようだから見ておくよ」

「桃ちゃん、獅童君は私が見ておくから!」

 京香さんも、獅童を見てくれる気満々のようだ。
 総悟がここぞとばかりに声をかけてくる。

「じゃあ、お言葉に甘えて行こうか、桃花ちゃん」

「お断りを……」

 ……したかった桃花だったが、チラリと二階堂会長と京香に視線を移すと、両者とも爛々と目を輝かせていた。

(うう、断りづらい……)

 振り仰げば、総悟がしてやったりの笑顔を浮かべていた。

「逃がさないって言ったよね?」

 総悟の手が桃花の手にそっと伸びる。

 かくして――退路を断たれた桃花は、総悟に手を引かれて、屋敷の中を散歩することになったのだった。