桃花が働いている会社の社長と言えば、総悟のことだ。

「どうして、おばあちゃんのところに二階堂社長が……?」

『そりゃあ桃花ちゃん……』

 電話口で桃花が困惑していると、獅童がデニムをちょんちょんと引っ張ってくる。

「おばあちゃん、ちょっと待っててね。獅童、どうしたの?」

「まま、あっち」

「あっち?」

 獅童が指さす先を見る。
 なんとそこには……

「桃花ちゃん、今日の私服も可愛いね」

 総悟が正面玄関入り口に立っているではないか。

「二階堂社長、どうして?」

 桃花の声が思わず上ずった。電話口で祖母が何か話していたのに、うっかり着信を切ってしまう。

「俺、今日は休みだって連絡入れたよね?」

「私だけが休みなのではなく、社長も休みだったのですか?」

「もちろん。今日の予定は緊急のものじゃなかったから、来週に回してもらったよ」

「なぜ社長まで休日に……?」

 桃花が困惑したまま問いかけると、総悟が少年のように無邪気に笑った後、おどけたように肩を竦めた。

「そりゃあ、朝一番に君の祖父母に挨拶を済ませてきたんだよ」

「挨拶……?」

 桃花は内容が頭に入ってきても整理がしづらい。


「決まってるだろう? 君と俺との結婚の挨拶だよ」


 総悟の飄々とした発言に、桃花は目を真ん丸に見開いた。

「な……! 私は、そんな許可はしてません……!」

 憤慨する桃花に対して、総悟が淡々と続ける。

「そういうと思ったけど、君の子どもの父親だってちゃんと話して、君の世話を一生見たいっていうのをしっかり伝えたら、ちゃんと了承してくれたよ」

「私の祖父母の許可の話をしているんじゃありません! 私本人の了承がまだでしょう!?」

「だから、君にちゃんと了承してもらうために、仕事は休みにして、ここに来たんだ」

「……っ」

 総悟のまっすぐな瞳を見るのが怖くて、桃花は視線を逸らすと、反対側へと歩み始める。

「どこかに出かけるの? せっかくだから車に乗りなよ」

 総悟の提案に対して、桃花は首をフルフルと横に振る。

「乗りません、獅童とお散歩するんです!」

「お散歩は後回しにしなよ」

「ダメです、お散歩するって獅童と決めたんです」

「だけど、俺たちの子どもの方が、車に乗り気だよ」

「え?」

 思いがけない話をされて、桃花はハッと車を見る。
 前回乗った時にはなかったのだが、後部座席に高級なチャイルドシートが備え付けられており、座席の周囲には獅童が好みそうなクマのぬいぐるみや電車の玩具なんかが飾られていた。

(あれは、ずっと獅童が欲しがっていた限定車両のE3系こまち!)

 どうやって入手したのか分からないが、なぜか限定車両まで手に入れてあるらしい。

「こまち、こまち」

 獅童が目を爛々とさせながら、車の座席によじ登ろうとしていた。

「ほら、俺たちの子どもは、乗り気だよ。散歩は後にして、桃花ちゃんも乗りなよ」

「し、獅童、ダメよ! 単純な罠にかかっちゃ!」

「父親の俺の方が、男の子の気持ちはよく分かっているつもりだ。ほら、中に入ったら、恐竜の最新図鑑も置いているよ」

 獅童はまるで吸い込まれるかのように、車の中へと入っていき、ちょうどシートに座り込んだ。