すると、総悟が顔をくしゃくしゃに歪めた。

「ほとんどゼロに近い確率だったはずの、俺の子を妊娠した上に、しかも出産までしてくれた。ちゃんと奥さんにしないといけないに決まっているでしょう?」

「それは、そうとは決まっていないのでは……」

 ついつい気持ちとは裏腹な返答をしてしまう。
 本当はプロポーズされて嬉しいくせに、どう受け止めて良いのか分からなかったのだ。

「だから、俺のワガママだけど、どうか俺と一緒になってもらいたいんだ」

「あ……」

 ずっと好きだった男性の奥さんになれるところを想像すると、すごく嬉しい。
 しかも、絶対に結ばれることがないと思っていた男性。

(総悟さんの奥さんになれるなんて……)

「桃花ちゃんとあの子のこともひっくるめて絶対に幸せにするから」

 だけど、心のどこかに刺か何かが引っかかっているようで、なんとなくスッキリしない。
 どうしても、総悟が後生大事にとっていた写真の女性のことが頭の中に浮かんでくるのだ。

(京橋阪子さん)

 総悟の子どもを妊娠していると話していた。
 彼は否定しているが、色々と未解決なことが多い。
 誰かの幸福を犠牲にしてまで自身が幸せになりたいとは思えない。

 それに……

(総悟さんから好きだって聞かされていない)

 その時、総悟が口を開いた。

「これから先、俺に子どもができるかどうかは分からない。あの子は、二階堂グループの跡継ぎでもある。絶対に結婚してもらう」
 
 桃花はハッとすると、唇をぎゅっと噛みしめる。
 

「二階堂社長」


 彼女は彼の手をそっと押し返す。

「ごめんなさい、このお話はなかったことに……」

「どうして? 子どものためにも父親がそばにいた方が絶対に決まっている」

 気持ちの伴わない結婚をして夫婦になって……愛のない両親の元で過ごしても、獅童が不幸になるだけだ。

「自分が出来たから仕方なく両親は結婚したんだって思ったら、それこそ獅童が不幸になってしまいます」

 総悟が眉を顰めた。

「違う。子どもができて仕方なく君にプロポーズしているわけじゃない。俺は最初から君を……」

「あの当時、私たちは恋人同士だったわけではありません。だから、社長のそれは後付けの理由です」

 桃花は左手の薬指からダイヤの指輪を外すと、そっと相手に返した。

「そうじゃない。この指輪だって、もうずっと君に渡そうと思っていたもので……」

「そもそも跡継ぎだからと獅童の未来を狭める選択肢を選びたくありません」

「そんなつもりで言ったんじゃない……!」

「声が大きすぎると、獅童が起きてしまいます。今日は一度お引き取り願えますか?」

 総悟が室内を一瞥すると、きゅっと唇を噛み締め、指輪ごと拳をぎゅっと握った。

「分かったよ」

 そうして、スーツジャケットを羽織ると、玄関へと向かう。
 靴を履いた後、ドアノブに手を伸ばした総悟が、ポツリと呟いた。

「だけど、俺は絶対に諦めない」

「二階堂社長」

「君が、俺のことが好きじゃないって、結婚はしたくないんだって、それはよくわかった」

 好きじゃないわけじゃない。
 結婚したくないわけじゃない。
 けれども、好きだという思いだけでは、一歩前には踏み出せない。

「君が大変な思いをしていた時に何もしてやれなかったぶん、絶対に君を幸せにする。俺はもう覚悟を決めたんだ」

 それだけ言うと、総悟はマンション玄関から出て行ったのだった。