迎えた夜。
 桃花と獅童は、マンションの高層ではなく、ベランダから外を覗くと道路が見える場所に住んでいる。
 すっかり熱が下がって元気になった獅童が寝静まった後、桃花はそっとベランダ越しに道路を観察していた。

「総悟さんの車がまた停まったりは……していないわね」

 獅童に気付かれたのは午前中だった。
 それから午後になるまでずっと総悟は外に待機していた。
 午後からは会議などの予定が入っていたからだろう、その後去って行って、それ以来もう姿を現すことはない。
 桃花は彼から連絡がかかってきても、まだ心の中は乱れたままで、どうして良いのか分からなくて、スマホの電源を切って全ての連絡を絶っていた。

「私ったら何を期待しているの?」

 心のどこかに総悟に期待している自分がいて、自分はなんて愚かな人間なんだろうと思う。

「総悟さん……」

 だけど、電話に出るのは怖かった。
 やはり、子どもが欲しくないと話していた彼から、否定的な言葉が出てくるのではないかという懸念があったのだ。
 総悟に獅童のことを否定されたらと思うと……二年前以上に身が竦む。

(自分では母親になって、すっかり強くなったと思っていた)

 だけど、そんなことはなかった。
 本当はまだ弱かったけれど、獅童を守らないといけないからと、気丈に自分を奮い立たせていたにすぎないのだ。
 けれども、今日の午前中、総悟の眼差しをまっすぐに見るのが怖くて、やっぱりまだ自分は本当の強さを手に入れたわけではないのだと気づかされた。

「もう夜の九時、明日の出社までには覚悟を決めないといけない」

 ちゃんと総悟に真実を告げないといけないのだ。

(覚悟を決めるのよ、桃花)

 けれども、やはり否定されたらと思うと……堂々巡りを繰り返してしまう。
 胸が苦しくて、苦しくて、悪い想像ばかりが膨らんでいく。

 その時。

 ポーン。

 マンションのベルが鳴った。

 ドクン。

 心臓が大きく音を立てる。

「まさか……」

 総悟の車は停車していない。
 だから、彼が尋ねてきたわけではないはずだ。
 何か宅配注文していただろうか?
 心臓がドクドクと鳴る。
 恐る恐るカメラ付きのインターホンを開いた。

『桃花ちゃん』

 真っ先に聞こえてきたのは優しい声音。
 桃花は瞠目した。
 もしかしたらと思っていたが、相手は総悟だったのだ。

「あ……」

 画面越しに見える総悟の顔は、どこか切なげだ。

『良かったら、話だけでも聞いて欲しい』

「今日は帰ってください」

 桃花は淡々と返した。
 だが、総悟に引き下がる気配はない。