「あ、あれは……!」

その服を目にした途端、エイドリアンの表情が青ざめる。

ほぅ……一応、心当たりはあるようだ。

「それはステラの服じゃないか……? だが何故そんなに汚れているのだ?」

父が怪訝そうに首を傾げる。

え? もしかして覚えていないのだろうか? 夕食の席で私が土下座させられた話はしたはずなのに? ひょっとすると、相当酔いが回っているのかもしれない。

「ステラ嬢の服……?」

一方のロンド伯爵も不思議そうに私の服と、エイドリアン、そして私に視線をせわしなく移している。

「ステラ、何故この服がこれ程までに汚れてしまったか教えて差し上げなさい。そこにいる男共に」

母が顎でしゃくる。

おおっ! なんて言葉遣いに、その態度!
やはり母も酔っ払っているのかもしれない。

「はい、お母様。このスカート部分の汚れは、本日エイドリアン様以下3名の男子学生達に強要されて土下座させられたときについた汚れです」

「な、何だと!? 土下座だと!?」

父がソファから立ち上がる。
あ、その様子……やっぱり覚えていなかったか。

「ど、土下座……?」

ロンド伯爵は震えながら、隣で青ざめているエイドリアンを見つめる。

「はい、大勢の学生たちが見ている中で4人の男性たちに強要されたのです。……とても怖かったです。しかもその理由はエイドリアンを含め、3名の男子学生達が好意を寄せている女性を噴水に突き落としたという濡れ衣を着せられたからです」

「な、何と……。エイドリアンッ! それは本当のことなのか!?」

「……」

青ざめたエイドリアンは唇を噛み締めて黙っている。

「沈黙は肯定を意味する……つまり、そういうことですわ。伯爵?」

微笑し、腕組みする母の姿はまるで悪女? そのものだ。

「エイドリアンッ! な、何てことをしてくれたんだ! 仮にもお前の婚約者であり……アボット家の御令嬢のステラ嬢に! しかも、好意を寄せている女性だと? どういうことなのだ!」

激怒した伯爵は、エイドリアンの胸ぐらを掴むと自分の方に引き寄せた。
伯爵はますます頭全体が真っ赤に染まる。その有り様がおかしすぎて、私は笑い出したくなるのを必死で耐えていた。

「エイドリアン君……今まではステラに免じて素行の悪さを見逃してきたが、もうそうはいかない。何しろ、婚約破棄を娘の方から訴えてきたのだからな。婚約者がいながら、他の女性にうつつを抜かす。挙げ句に屈辱を味合わせるとは……」

父は静かな声でエイドリアンに語りかけ、次にロンド伯爵に目を向けた。

「もう、婚約破棄は決定だ。ということで今日限りで資金援助は一切停止させてもらう。借金もまとめて返済してもらおう」

え!? ロンド伯爵家は借金までしていたの? それなのに、あんな態度を私に取るなんて……エイドリアンは余程の阿呆と見える。

「そ、そんな……! 婚約破棄は受けます! で、ですが……資金援助停止に借金をすぐに返済なんて……! そんなことをされたら、ロンド家はお終いです! 我々家族はどうなっても構いませんが……従業員が路頭に迷ってしまいます! 何とかお慈悲を! 土下座なら、この私がいくらでも致します! せめて、借金返済だけはお待ち下さい!」

ロンド伯爵は、ソファから降りると床に座り込んで頭を床に擦り付け始めた。

う〜ん……ここまでされると同情したくなる気持ちになってきた。
何故なら私も、元社畜。何となく伯爵の気持ちが理解できるからだ。

「お父様、少し宜しいでしょうか?」

「何だ? ステラ」

「ロンド家の会社で働く従業員たちには何の罪もありません。悪いのはエイドリアンですから」

「何だって!?」

エイドリアンが声を荒げた。

「この馬鹿息子! 静かにしろ!」

当然伯爵に叱責される。

「だが、エイドリアンは散々お前に酷いことをしてきた。それを見逃すわけにはいかないな。彼にはそれ相応の罰を与えなければ」

「でしたら、エイドリアンが二度と私の前に現れない約束をして貰えればいいです。そうですね……ついでに大学もやめてもらって。 もし、この約束を破れば、即刻借金返済に資金援助の停止を行うというのはどうでしょうか?」

大学に行けば、イヤでも顔をあわせてしまう。

「何だって!? 大学をやめろだって!?」

未だに阿呆なエイドリアンが喚く。本当に自分の立場を分かっていないようだ。

「はい! 明日にでも退学届を出します! それにもう二度とステラ嬢の前に姿を現さないと約束致しますから!」

エイドリアンの代わりに伯爵が返事する。

「……どうだ? ステラ」

父が尋ねる。

「そうですね、それでいいです」

すると母が笑顔を見せた。

「それでは、ロンド伯爵。すぐに、そちらの令息を連れて帰っていただけますか? もうこれ以上、彼の顔を見ていたくもないので」

その言葉にエイドリアンの顔から血の気が引く。
すごい……さながらパワハラ上司のようだ。

「は、はい! すぐに連れて帰ります! おい! 帰るぞ! 今すぐだ!」

ロンド伯爵はエイドリアンの腕を掴んで立たせると、まるで引きずるようにして連れ去っていった。

その後ろ姿を見送る私と両親。

「……やれやれ、やっと静かになったか」

「ええ、本当ね」

互いの顔を見合わせ合う、両親。
結局、何故私より立場の低いエイドリアンが威張り散らしていたのかは不明だったけれども両親に尋ねるわけにはいかない。

でも、まぁいいか。
少なくとも、明日からは私を脅かす存在が1人減るのだから。

ただ、一つ気になることがある。
去り際にエイドリアンは言葉を発することなく口だけ動かして、こう言った。

『覚えていろ』

また、私に何かしでかしてくるつもりだろうか……?

「どうした? ステラ、浮かない顔して」

父が不意に話しかけてくる。

「いえ、何でもありません」

私は笑みを浮かべて返事をした。

そうだ、気にしていても仕方がない。今の私は他にするべきことがあるのだから――