グリアは、亜矢のすぐ近くまで歩み寄る。
亜矢はグリアの瞳に焦点を合わせたまま、引き下がる事なく見上げる。
抵抗や拒絶の心は全く起こらない。見ず知らずの人なのに、なんでなのか?
グリアは、自分の胸元に手の平を添えた。

「だが、あんたの記憶はココにある」

グリアは『魂の器』の儀式の後に一度、亜矢の魂をその身に取り込んだ。
だから、その魂と共に亜矢の記憶もグリアの中にあるのだ。

「返しにきてやったぜ、記憶を」

グリアは胸に添えたその片手で、今度は亜矢の頬に触れた。
もう片方の手で、亜矢の腰を引き寄せ、近付ける。
亜矢の体は簡単に引き寄せられた。拒絶の意志は感じられない。

「あ……や、やめて……何す………」

亜矢は口でこそ拒否するが、拘束されている訳でもないのに身動きが出来ない。

「『口移し』いや、『口付け』か?ま、どっちでもいいが」

亜矢はその言葉に反応し、至近距離ながらもグリアを睨み返す。
だが、僅かに紅潮した頬と亜矢の鼓動が、余計に男を煽っている事に気付かない。

「いや………」

亜矢は瞳を閉じた。
拒みたい訳じゃない。どこかの潜在意識が、認めたくないと信号を送っているのだ。
彼を受け入れるという事は、この唇が触れるという事は、つまり———?

「相変わらず素直じゃねえなあ?」

2人が触れる瞬間、亜矢の口から最後に小さく零れた言葉。


「………グリア……」


その言葉を聞いたグリアは一瞬目を見開いたが、もう止められはしない。

重なった唇、注がれる記憶。
受け止める少女、甦る記憶。

その口付けの途中、いつの間にか亜矢の閉じた瞼の端から、涙が流れていた。
2人が離れた後、亜矢は小さく息を吐いたが、いつもの彼女らしくグリアを突き放そうとしない。

今、やっと全てを思い出した。

とは言っても、あの時に自分の魂をグリアに注ぎ、倒れた後の空白時間の記憶はないが。

「グリア………生きてる………」

亜矢は、グリアの存在を確認するようにじっと見上げる。

「ああ?生きてるぜ。あんたもな」

何が起こったのか、亜矢には分からない。
『魂の器』の儀式の後に、自分は死んで、グリアは永遠の命を手に入れた、と。
その結末の後、何が起こったのか。どうして今、自分は生きているのか。
だが、確かな事実は、今もこうして、グリアも亜矢も生きて存在している事。
2人が生きる上で縛るものは、もう何もないと思えた。

「良かった…ぁ……」

亜矢はポロポロと涙を流し、グリアの体を自らの両腕で抱き締める。
今までにない亜矢の行動にグリアは意表を突かれるが、すぐに気を取り直して亜矢の顔を上に向かせ、指先でそっと涙を拭ってやる。

「言っただろ?あんたを生かしてやる、と」
「うん……ありがとう」

普段は面と向かって言えないような言葉が、今は不思議なくらい素直に出てくる。

「やっと……あなたが誰なのか分かったよ」
「ああ、記憶を戻したからな」
「そうじゃない、あなたの正体。あなたは死神じゃなかったわ」

命も、記憶も取り戻してくれた人。奪うのは、魂でなく唇と心だけ。
正直、彼の正体は何であるかは、もう問題ではない。

「残念だが、オレ様は死神だぜ」
「じゃあ、ヘタレな死神」

そんな今の亜矢にさえ、少なからずグリアは惹き付けられるものを感じた。