春野亜矢、16歳。
彼女は一度、事故で命を失ったが、死神グリアから『仮』の心臓を与えられ、今も生き続ける事が出来ている。
その心臓に毎日、死神から『口移し』によって命の力を注いでもらわなければ、生命を維持出来ない体になってしまったのだが。
そして今日が、あの日からちょうど1年。
365回めの口移しの後に、少女を待っている結末とは。






ごく、普通の日だった。
普通に登校して、普通に過ごして、普通に帰宅して。
今日が、最後の『口移し』の日だって事は、グリアも分かっているはず。
なのに、彼は普段と何も変わらない様子だった。
いつものように、グリアは意地悪を言いながら絡んで来たし、いつものように、2人して下らない事で口ゲンカもした。

そんな平凡な日、初めていつもと違う事が起きたのは。

亜矢が帰宅し、マンションの自室のドアを開けた時だった。
ドアを開けた瞬間、亜矢の目の前に広がっていたのは、真白な空間。
どこまで見渡しても、無の空間。地と空の境界線すら判らない。
亜矢は一瞬、驚きに足を止めたが、すぐに前に向かって歩きだす。
その白い霧の向こうには、死神グリアが立っていた。
長い、黒のコート。首には、大きな赤い宝石のついた首飾り。
正面から向かいあうようにして、亜矢はグリアの前で歩みを止めた。

「なんか、懐かしいわ」

そのグリアの姿は、亜矢にあの日を思い出させた。

「1年前、あなたと初めて会った時もその格好だったわよね」

グリアは目を伏せ、小さく笑った。

「こっちの方が正装だぜ?」

そう、彼は死神。亜矢のクラスメイトであり、高校生であるというのは仮の姿。

「それに、この空間。あたしが事故に遭ったあの日も、気付いたらこの空間に居て………あなたが現れて」

亜矢は、昔を思い出すような口調で語る。

「誰にも邪魔されたくねえだろ?今日の『口移し』は」

どこまでも勝手な人、と亜矢は思いつつも、1年前とは明らかに違う感情をグリアに向けていた。

『魂の器』の儀式。

それは、禁忌とされた儀式。
一度は死した亜矢にグリアが与えた、『仮』の心臓。
その心臓にグリアが毎日欠かさず『命の力』を注ぎ込む事によって、仮の心臓は、365日後に完全な物となり、蘇生する事が出来る。
そして、その心臓を持つ人間の魂にも、膨大な力が宿る。
その『完成された魂』を食べる事により、死神は永遠の命を手に入れられる。
だが、365日経った日にその魂を食べなければ、長期間力を消費し続けた反動が全て死神自身の体にふりかかり、死神は消滅してしまう。

魂を喰われる事、それは人間にとって『死』。

最後の口移しの後に生きていられるのは、グリアか亜矢、どちらかしかない。
何のつもりでグリアがこんな危険な儀式を行おうとしたのか、真意は分からない。
だが亜矢は、グリアがどんな選択をしようと受け入れるつもりでいた。
結論や結果は、亜矢にとって一番の問題では無かったから。

「………これが、最後の『口移し』ね」

亜矢はグリアの眼を真直ぐ見つめる。

「ああ、『口移し』はな」

グリアもまた、少し見下しながら、亜矢の眼を見返す。

「『口付け』ならこれから先、いくらだって出来るだろ?」

グリアが意地悪そうに笑う。

「やめてよ、冗談じゃない」

そうは言うが、亜矢の心は不安に似た感情に揺れる。
『これから先』は、あるのだろうか?
どちらかが生き、どちらかが死ななければ完成しない儀式の後で。