ふっと、オランが真面目な顔になる。

「コイツには、人間との契約はまだ早えんだよ」

それを聞いて、亜矢は何も言えなくなった。
まだ幼いコランが、人間界に来てしまったせいで。
コランが亜矢の願いを叶えようとして失敗し、倒れてしまったあの日の事。
人間界の環境に耐えきれず、体調を悪くした今回の事。
まだ幼いという事もある。やっぱり、まだ家族の元に……魔界にいるべきなのだと。それがコランの為であると思える。
だが。
その時、コランの力強い口調がその沈黙を破った。

「兄ちゃん……オレの『黒い本』は、消滅しちゃったんだ」
「ああ、知ってるぜ」

黒い本。それは、魔界と人間界を繋ぐ扉で、その本がないとコランは両方の世界を行き来できない。
だが、その本は何故か消滅してしまった。
その本がリョウの手によって消滅させられた、という真実は今は誰も知らないのだが。

「オレ、自分で本を復活させる。そして、いつか自分の力で魔界に帰る。………だから、今はアヤの側で…頑張るんだ!」

小さいながらも力一杯、コランは兄を見据え、気持ちを伝える。
そうか、と亜矢は思った。
人間界に留まる事は、コランにとって修行の意味でもある。
一人前の悪魔になるために、一人で目的を果たす事が出来るように。
年齢がどうこうじゃない。コランは必死に、大人になろうとしている。
多少、背伸びをしてはいるが。

「よく言ったな、弟」

意外にも、オランの反応はそれを否定するものでは無かった。

「いいぜ。だったら、自分のチカラで帰ってみせな。だが、ソレとコレとでは話が別だぜ」

オランは再び、亜矢に近寄った。

「ちょ、ちょっと!?」
「オレ様の妃になりなぁ、亜矢」
「な、ちょっと何すっ……やめてー!!」

亜矢が右手を振り上げ、オランの頬を叩こうとしたが、あっさりとその手首をオランに掴まれ、逆に動きを封じられる。
ニヤリ、と余裕に満ちた笑いに背筋が凍る。

「魔王サマを叩こうとした女は初めてだぜ。……気に入ったぜ」
「きゃーー!!やだっ、放してっ!助けて、コランくんーー!!」
「兄ちゃんのバカーーー!!」

バタバタといきなり騒がしくなった亜矢の部屋。
だが突然、オランが立ち上がった。

「……さて、オレはそろそろ帰るぜ」

え?と、亜矢は拍子抜けたようにオランを見上げる。

「帰るって、魔界に?」
「ああ。魔界の王ともなると、ヒマじゃねえんだよ」

さっきと言ってる事違うじゃないっ!と、亜矢は心でツッコミを入れるが、それを口にしてオランを煽るような事はしたくない。

「あばよ、また来るぜ。その時は……覚悟しときなぁ?」

意味深な言葉を残して、オランは部屋のドアから出て行こうとする。

「人間らしく、玄関のドアから帰るとするぜ。ヒャハハハ!!」

一人で笑いながらドアの向こうへと去っていくオラン。
魔界の王ともなると、自由に人間界と魔界を行き来できるのだろう。
なんだか、嵐みたいな人だった。
亜矢はどっと疲れるが、ある事を思い出した。

「………コランくん、すぐ戻ってくるから、ちょっと部屋で待っててね」
「うん!オレ、アヤの言う事聞くぜ!」

素直なコランの反応が嬉しく、でもどこか罪悪感をも感じる。