コランを助けてあげられる手段、それを知っているのはグリアとリョウしかいない。
下手にコランに人間と同じ薬を飲ませて、悪い反応でも起こしてしまったら…。
そう考えると、むやみに看病が出来ないのである。
息を切らせ、走り続けて。
ようやく、亜矢は学校へと辿り着いた。
だが突然、校門の前で何者かが立ち塞がり、走る亜矢の行く手を阻んだ。

「………よお。遅刻だぜ、あんた」

ニヤリと笑いながら、その男は息を切らせている亜矢を高い身長で見下ろしている。
紫の髪に、褐色の肌。
ネクタイを緩めに締めたその姿。年齢的に大人なのに、どこか不良っぽい。
その男に、亜矢は見覚えはない。
亜矢がただ、その男を不思議そうに見上げていると、彼はククっと笑った。

「挨拶はどうしたよ?挨拶は基本だって、センセイに習わなかったかぁ?」

どこか、見下したような、遊んでいるような。
亜矢は先日の美保の言葉を思い出し、ようやく両足を揃えて立つ。

「……もしかして、教育実習の先生?」
「ああ、魔王サマだ。覚えておきな」

変わった名前だなぁ、それに『サマ』って?と亜矢は色々と疑問に思うが、それ所ではない事も思い出す。
亜矢は軽く頭を下げると魔王の横を通り抜け、校舎に向かって走り出す。
だが。

「待ちな、亜矢」

背後から響いて来た、魔王の声。

(えっ?なんで、あたしの名前を……?)

驚いた亜矢が振り返ったその一瞬。
目の前の景色の変化に、亜矢は驚愕して足を止めた。
学校の校庭、校門、外の町並み。
それらの自分の回りにあったはずの景色が、一瞬にして消えた。
そして、気が付けば真白、『無』の空間に立っていたのである。
その空間に立つのは亜矢と魔王、2人きり。
目的地を見失った亜矢は、目の前の魔王をただ見つめる。

「な、なにこれ…どうなってるの!?」

亜矢は辺りを見回し、動揺しながら言う。
だが、亜矢はすぐに我を取り戻した。
そして、魔王を鋭く睨む。

「まさか、あなたが!?あなた、一体……!?」

すると、魔王は満足そうに笑った。

「へえ、察しがいいな?気に入ったぜ」

察しがいいも何も、今までにもこういう体験をした事がある亜矢にとって、だいたいの予測がつくようになってきた。
それに魔王という男は、どこかグリアに似ていたから。

「あなたの目的は何?今は時間がないの。急いでいるのよ」

こんな場所に立たされながらも、亜矢は気丈に振る舞う。
はやく、コランを助けてあげたい。今はその一心で。

「オレ様の名はオラン。魔界一の悪魔だぜ」
「悪魔!?」

亜矢は思わず身構える。
だが同じ悪魔でも、このオランとコランでは全く別の存在に思える。
悪魔本来の凶悪、邪悪さというのが全身から感じ取れる。
ここにいてはマズイ、と身体が無意識に危険信号を発しているようだ。
これも、死神から与えられた心臓のチカラなのだろうか。

「オレの目的はなぁ?」

そう言いながら、オランは亜矢にじりじりと近寄る。
亜矢はオランを強く見据えながらも、押されるようにして後ろに下がる。
だが、何も存在しない空間なのに、背中に何か見えない壁のようなものが当たり、亜矢はそれ以上身を引く事が出来なくなってしまった。
まるで、亜矢の反応を楽しむように。そして、じらすように。
オランは亜矢のすぐ目の前に迫ると、顔を近付ける。
亜矢はその時、目の前に映るオランの顔が、誰かに似ていると思った。
赤の瞳。どこか、吸い込まれそうな——綺麗な色だと思った。

「や……めてっ!!」

オランが必要以上に顔を接近させてきたので、亜矢は顔を背けて拒絶してみせる。
全身が思ったように動かない。何かの力が働いているのだろうか?

「オレと契約しな、亜矢」
「!!」

亜矢の頭の中が一瞬、真白になった。まるでこの空間と同化するように。
悪魔との契約、それは『口付け』によって成立する。