結局、その日はグリアは学校へは来なかった。
一日の授業を終えて下校し、マンションへと帰った亜矢とリョウ。
二人は、『死神』という表札がやけに目立つ、グリアの部屋のドアの前に立つ。

「そう言えばあたし、死神の部屋に入った事ってないのよね」

ドアを開けたら、その先は死神界へと繋がってたりして…?
とか想像を巡らし躊躇している亜矢に構わず、リョウはドアをコンコンと叩く。

「グリア、いる?」

数回ドアを叩いても、中からは何の反応もない。

「死神、いないのかしら?」
「ううん、いるよ。気配で分かるから。………グリア、入るよ?」

そう言うなり、了解も得ずリョウはお構いなしにドアノブに手をかける。

「りょ、リョウくんっ?」

平然とした顔で大胆な行動に出る天使に、亜矢は目を丸くする。
どこか、恐いもの知らずなリョウなのだ。
だいたい、気配で分かるのなら『いる?』と問いかけるのは違う気がするが。

「リョウくんってすごいわね」
「ん、何が?」

相変わらず邪気のない、文字どおり天使の笑顔だ。
鍵はかかっていないらしく、すんなりと玄関のドアは開いた。

「簡単にドアが開くって事は拒否されていないみたいだよ。行こう、亜矢ちゃん」
「え、ええ……」

やっぱり、この天使はただ者じゃないなあ、と亜矢は改めて思った。
玄関から中に入り、リビングを見渡す。

「へえ〜、中は意外と普通なのね」

内装はそれほど凝っている訳ではなくシンプルだったが、人が普通に暮らす為の必需品は全て揃っているように見られた。

「こんなの、何に使うのかしら…」

亜矢は、何気なく置かれていた冷蔵庫に向かってツッコミを入れる。
死神は人の魂を食べて生きるのだから、基本的に人間の食べ物は必要ないのである。
まあ、最近は魂の代わりに人間の食べ物を食べて栄養補給しているみたいだが。
どうやら人間界に降り立った死神グリアは、人間に興味を持ったのか、暮らしそのものを人間に真似てみようと思い、部屋の内装もそれらしくしたのだろう。

(本当に暇人なんだから、死神は)

いちいち心でツッコミを入れてみる亜矢。
だがリョウはそんな亜矢に構わず、どんどん奥へと進んでいく。
目的は、あくまでグリアの様子を見る事だった。
そして、ある一室のドアを開けると、そこにはグリアの姿があった。
だが、そこにいたグリアの姿を見て、亜矢は………気が抜けた。
グリアは、ベッドで寝ていたのである。
とはいっても横になっているだけで、しっかりと開いた瞼から鋭い視線でこちらを睨んでいる。だが、ベッドで寝たままなだけに迫力がない。

「ったく、勝手に来んじゃねえよ……!」
「それはボクに言ってるの?心配して来たのに…」
「他に誰がいるってんだよ。心配なんざいらねえ」

何となくリョウとグリアが険悪な雰囲気の中、亜矢が間に入って本来の目的を告げる。

「あんた、昼寝してて学校に来なかった訳?」

ちょっと、遠回しに皮肉っぽく言うのもいつもの事。

「んな訳ねえだろうが……!!」

そうは言うが、どうもグリアの口調はいつもの余裕と力強さがない。
彼らしくもなく、どこか弱々しささえ感じる。
やはり、どこか具合でも悪いのだろうか。
その答えを探る以前に、リョウがすでに気付いたようだ。

「やっぱり、力を使い過ぎたんだね?いくらお前でも、最近は無茶しすぎだよ」

うわ、穏やかな顔してグリアの事を『お前』とか言っちゃうんだ!とか、亜矢は密かに別の部分で驚いてみせたりする。

「力を使い過ぎたって、どういう事なの?」

いまいち状況が飲み込めない亜矢は、答える気がなさそうなグリアの代わりにリョウに向かって聞く。

「グリアは毎日亜矢ちゃんに『命の力』を注いでいる上に、最近は死神の主食であるはずの『人の魂』を狩る事も控えていたみたいだから」

「え……、それって………」

亜矢はグリアの方へと視線を移す。
グリアは不機嫌な顔をしてフイっと顔を横に向けた。
リョウは一瞬、言葉の間を開けたが、小さく続けた。

「グリア自身にも相当、負担がかかっているんだろうね…」

ハっと、亜矢は一瞬、息を止める。

(それってもしかして、あたしのせい………!?)

毎日、口移しによって『命の力』を亜矢に注ぎ続けた死神グリア。
亜矢にとってそれは不本意な事だったが、彼が自分を生かしてくれるというのは本気らしい。
いつも口移しの時には——、口付けをする時の彼の眼は、真剣だったから。
その一瞬だけは、信じられた。言葉ではなく、何かで伝わってきたから。

バッ!

亜矢は突然立ち上がった。
背中を向けて走りだすと、ドアの手前でグリアとリョウの方を振り返る。

「人間の食べ物でも、少しは栄養の代わりになるんでしょ!?あたし、コンビニで何か買って来る!!ちょっと待ってて!!」

「おい、亜矢っ…!」

バタン!

グリアの声も届かず、亜矢は部屋から出て行ってしまった。