そして、午後の授業、5時間め。
ついにその事態は起こった。
亜矢が突如感じた、息苦しさを伴った心臓の痛み。
この、心臓発作(亜矢は経験した事ないが)に似た胸の苦しみは…!と、亜矢は胸を押さえながら机の上に頭を伏せた。
その変化に、いち早く気付いたのはもちろんグリア。
(どうしよう、こんな時に命切れだなん……て…!)
今は授業中。休み時間まで、あと30分以上はある。おそらくもたないだろう。
昨日キス(口移し)されたのは何時だったっけ?と、亜矢は思い返してみる。
正確にはキスではないし、そんな事思い出したくもないのだが、頭の中で言葉を選んでいる余裕がなかった。
亜矢の心臓を機能させる『命の力』が切れるのは、24時間だったはず。
その度に亜矢はグリアに『命の力』を注いでもらわなければならない。
『口移し』という方法によって—。
考えても解決するはずもなく、机に伏している亜矢を見かねたのか、グリアが突然、席を立った。
「センセイ、春野サンが具合悪そうなのでオレが保健室まで連れていきます」
(なっ!?)
亜矢は顔を上げた。
だが、わざとらしく聞こえたグリアの敬語口調にツッコミを入れる力もなく。
一瞬、教室内がザワっとなったが、亜矢の顔色が本当に良くなかった事も幸いして(?)、その授業を担当していた教師は許可した。
「歩けるな?行くぜ」
亜矢だけに聞こえるように小さく耳元で囁く。
亜矢はグリアに体を支えてもらいつつ、二人は教室を出た。
二人が向かったのは保健室ではなく、教室を出てから廊下を曲がった階段の前。
これは屋上への階段であり、授業時間中という事もあって、今ここを通る者はそういないだろう。
亜矢を階段に座らせると、グリアはしゃがんで亜矢と向かい合った。
やれやれ、と相変わらず意地悪そうな、それでいて楽しそうな——
もう、何度も見てきた死神の表情だ。
「ったく、初日からこんなんでどうするよ?」
「…………」
亜矢は言い返せない。
好きでこんな身体になった訳でもない。
それでも確かに、自分は生きる事を望んだのだ。
「さて、さっさと済ませるぜ」
グリアは亜矢の肩を掴み、その身体を引き寄せたが—
亜矢は顔を上げようとしない。
「やっぱりこんなの、気が進まないわ」
苦しさのせいか、亜矢の息が乱れ、声が震えている。
「こだわってる場合かよ?」
拒否すれば死ぬ。それは亜矢も解っている事のはず。
すると、決心したのか亜矢は突然、パっと顔を上げた。
だが、ギュと両目をつぶり、それは何かを耐えるような仕草だった。
「…ホラ、目つぶってるから早くして!」
ある意味、これは亜矢なりに決心した末の行動なのだが。
その行動が滑稽に見えたのにも関わらず、グリアの口から吐き出されたのは溜め息。
「ガキ」
そう小さく言うと、グリアは唇でなく亜矢の耳元に唇を近付ける。
「口移しが嫌じゃなくなる方法、教えてやろうか?」
「え、なに?」
突然側で囁かれた言葉に、亜矢は瞼にこもる力を緩めた。
「オレ様の事を好きになればいいんだ」
「えっ……?」
ふいに両瞼を開き、亜矢が目を見開いた瞬間。
重なった、感触。
状況を把握する間もなく、深く、暖かい感覚が体内を巡って。
昨日もそうだった。不思議と、この瞬間だけは抵抗を感じない。
「目つぶっても何も変わらねえ、だったら開けてな。その方が楽しいぜ?」
生命の力を吹き込む儀式が終わり、亜矢は何故か呆然としていた。
本物の自分のモノではない、仮の心臓の鼓動が速い。
何、何これ…なんで…?
亜矢は先程のグリアの言葉を思い出し、首を振った。
『オレ様の事を好きになればいいんだ』
そして、今になって言葉を返す。力なく、でも自然と唇が動き出す。
「そんな事、ありえないじゃない……」
「あぁ?」
気の抜けた声でグリアは聞き返した。
亜矢は慌てて話を変える。
「それにしても不覚だったわ。まさか学校でこんな事になるなんて。これからは、命の補充は夜の時間帯にするべきね」
この先、また学校でこのような事態になっては、安心して学校生活も送れない。
命の力の機能時間は、もって24時間。
夜に命を吹き込んでもらえば、少なくとも学校で尽きる事はなくなるだろう。
「言い忘れてたけどな、それはあくまで目安だ。多少の誤差は生じるぜ」
「なっ!?」
落ち着いてきたはずの亜矢の表情が一変した。
「毎日、いつ命が尽きるか分からねえ、くらいに思った方がいいんじゃねえか?」
これまた、大きな落とし穴。亜矢は口をパクパクさせた。
「何よそれー…!?」
グリアはシっと口の前で人指し指を立てた。
今はどこも授業中。亜矢はグっと感情を抑え、口を固く閉じた。
「さて、オレは教室に戻るが、亜矢は保健室で少し寝てな。どうせ昨日はあんま寝てねえんだろ?」
意外な優しさを含んだグリアの言葉を、亜矢は意外に思った。
確かに、具合が悪いという事になっている亜矢がこのまま教室へ戻っては不自然だ。
そして、寝不足というのも確かだった。
眠れなかったのは、これから先の事を考えて頭を悩ませていたせいなのだが。
「誰のせいだと思ってるのよ」
口ではそう言うが、亜矢は表情を柔らかくして……微笑んだ。
世話好きなのか、意地悪なのか、優しいのか……まだ、掴みきれない死神。
それでも今は、確かに彼の中の何かを見つけた。新しい何かを。
「ありがとう」
自然と出たその言葉。
「ああ?何だって?」
だが、グリアは聞こえてなかったフリをしていつもの調子で聞き返す。
新しい学校生活の始まりは、死神と少女の物語の始まりに過ぎない。
ついにその事態は起こった。
亜矢が突如感じた、息苦しさを伴った心臓の痛み。
この、心臓発作(亜矢は経験した事ないが)に似た胸の苦しみは…!と、亜矢は胸を押さえながら机の上に頭を伏せた。
その変化に、いち早く気付いたのはもちろんグリア。
(どうしよう、こんな時に命切れだなん……て…!)
今は授業中。休み時間まで、あと30分以上はある。おそらくもたないだろう。
昨日キス(口移し)されたのは何時だったっけ?と、亜矢は思い返してみる。
正確にはキスではないし、そんな事思い出したくもないのだが、頭の中で言葉を選んでいる余裕がなかった。
亜矢の心臓を機能させる『命の力』が切れるのは、24時間だったはず。
その度に亜矢はグリアに『命の力』を注いでもらわなければならない。
『口移し』という方法によって—。
考えても解決するはずもなく、机に伏している亜矢を見かねたのか、グリアが突然、席を立った。
「センセイ、春野サンが具合悪そうなのでオレが保健室まで連れていきます」
(なっ!?)
亜矢は顔を上げた。
だが、わざとらしく聞こえたグリアの敬語口調にツッコミを入れる力もなく。
一瞬、教室内がザワっとなったが、亜矢の顔色が本当に良くなかった事も幸いして(?)、その授業を担当していた教師は許可した。
「歩けるな?行くぜ」
亜矢だけに聞こえるように小さく耳元で囁く。
亜矢はグリアに体を支えてもらいつつ、二人は教室を出た。
二人が向かったのは保健室ではなく、教室を出てから廊下を曲がった階段の前。
これは屋上への階段であり、授業時間中という事もあって、今ここを通る者はそういないだろう。
亜矢を階段に座らせると、グリアはしゃがんで亜矢と向かい合った。
やれやれ、と相変わらず意地悪そうな、それでいて楽しそうな——
もう、何度も見てきた死神の表情だ。
「ったく、初日からこんなんでどうするよ?」
「…………」
亜矢は言い返せない。
好きでこんな身体になった訳でもない。
それでも確かに、自分は生きる事を望んだのだ。
「さて、さっさと済ませるぜ」
グリアは亜矢の肩を掴み、その身体を引き寄せたが—
亜矢は顔を上げようとしない。
「やっぱりこんなの、気が進まないわ」
苦しさのせいか、亜矢の息が乱れ、声が震えている。
「こだわってる場合かよ?」
拒否すれば死ぬ。それは亜矢も解っている事のはず。
すると、決心したのか亜矢は突然、パっと顔を上げた。
だが、ギュと両目をつぶり、それは何かを耐えるような仕草だった。
「…ホラ、目つぶってるから早くして!」
ある意味、これは亜矢なりに決心した末の行動なのだが。
その行動が滑稽に見えたのにも関わらず、グリアの口から吐き出されたのは溜め息。
「ガキ」
そう小さく言うと、グリアは唇でなく亜矢の耳元に唇を近付ける。
「口移しが嫌じゃなくなる方法、教えてやろうか?」
「え、なに?」
突然側で囁かれた言葉に、亜矢は瞼にこもる力を緩めた。
「オレ様の事を好きになればいいんだ」
「えっ……?」
ふいに両瞼を開き、亜矢が目を見開いた瞬間。
重なった、感触。
状況を把握する間もなく、深く、暖かい感覚が体内を巡って。
昨日もそうだった。不思議と、この瞬間だけは抵抗を感じない。
「目つぶっても何も変わらねえ、だったら開けてな。その方が楽しいぜ?」
生命の力を吹き込む儀式が終わり、亜矢は何故か呆然としていた。
本物の自分のモノではない、仮の心臓の鼓動が速い。
何、何これ…なんで…?
亜矢は先程のグリアの言葉を思い出し、首を振った。
『オレ様の事を好きになればいいんだ』
そして、今になって言葉を返す。力なく、でも自然と唇が動き出す。
「そんな事、ありえないじゃない……」
「あぁ?」
気の抜けた声でグリアは聞き返した。
亜矢は慌てて話を変える。
「それにしても不覚だったわ。まさか学校でこんな事になるなんて。これからは、命の補充は夜の時間帯にするべきね」
この先、また学校でこのような事態になっては、安心して学校生活も送れない。
命の力の機能時間は、もって24時間。
夜に命を吹き込んでもらえば、少なくとも学校で尽きる事はなくなるだろう。
「言い忘れてたけどな、それはあくまで目安だ。多少の誤差は生じるぜ」
「なっ!?」
落ち着いてきたはずの亜矢の表情が一変した。
「毎日、いつ命が尽きるか分からねえ、くらいに思った方がいいんじゃねえか?」
これまた、大きな落とし穴。亜矢は口をパクパクさせた。
「何よそれー…!?」
グリアはシっと口の前で人指し指を立てた。
今はどこも授業中。亜矢はグっと感情を抑え、口を固く閉じた。
「さて、オレは教室に戻るが、亜矢は保健室で少し寝てな。どうせ昨日はあんま寝てねえんだろ?」
意外な優しさを含んだグリアの言葉を、亜矢は意外に思った。
確かに、具合が悪いという事になっている亜矢がこのまま教室へ戻っては不自然だ。
そして、寝不足というのも確かだった。
眠れなかったのは、これから先の事を考えて頭を悩ませていたせいなのだが。
「誰のせいだと思ってるのよ」
口ではそう言うが、亜矢は表情を柔らかくして……微笑んだ。
世話好きなのか、意地悪なのか、優しいのか……まだ、掴みきれない死神。
それでも今は、確かに彼の中の何かを見つけた。新しい何かを。
「ありがとう」
自然と出たその言葉。
「ああ?何だって?」
だが、グリアは聞こえてなかったフリをしていつもの調子で聞き返す。
新しい学校生活の始まりは、死神と少女の物語の始まりに過ぎない。