「君を大事にするよ」
「は、はい。よろしくお願いいたします。ロウド陛下……」
 
 私、ディーヴィア・ルージェー。
 十二歳になった翌月、隣国マロウド王国国王ロウド陛下に輿入れした。
 ロウド陛下は今年で三十四歳になられた方で、私の出身国マーゼリク王国はマロウド王国に隣接するキュオウド帝国に圧をかけられており、属国を避けるために同盟国のマロウド王国国王ロウド陛下の三番目の側室になったのだ。
 ロウド陛下はすでに正妃様と側室がお二人おり、正妃様と側室お二人にはそれぞれお子様がいた。
 私はあくまでも政治のための生贄。
 貴族として生まれた以上、お家のため、お国のために操を捧げる覚悟はできていたけれど、年頃ではなく初潮もまだ迎えていない私が二回り以上年上の男性の妻になるなんて――。
 
「あ、あの、ロウド陛下……今宵は初夜なのですよね……? こ、こちらの貴族たちは……?」
「うん? 見届け人と、用向きのある文官たちだ。なにも気にする必要はないぞ?」
「……!?」
 
 初夜は十人以上の見届け人と文官に囲まれ、心と体が引き千切られそうな痛みにぐちゃぐちゃになった。
 その後の王妃様や側室お二人との初対面のお茶会はもっと最悪。
 
「陛下との閨ではずいぶんな痴態だったとか」
「まあ、隣国では旦那様を満足させる術を教わったりいたしませんの?」
「致し方ございませんわ。陛下はとにかく若い血筋の確かな娘を所望なさったそうですから」
「ほほほ、王妃様は陛下より二つも年上ですから、たまには味の違う娘も……と思われたのかもしれませんわね」
「ほほほほ」
「まあ、おほほほほほ」
 
 地獄だ。最悪だ。もう家に帰りたい。
 王妃様や側室お二人の耳にも初夜の痴態が知れ渡り、廊下を通るだけで「初夜はずいぶん……」と嘲笑う声が聞こえてくる。
 一人きりになりたくても、実家から連れて来た侍女たちすら王妃や側室お二人からの嫌がらせを警戒して離れることはない。
 陛下のお渡りがある夜は毎回二十人以上の人間がついてくるし、行為は全部見られるのが普通。
 一人寝で涙を流す時、声を殺さないと次の日には城中に噂が流れる。
 幼い私の心は一ヶ月でボロボロ。
 二年後、十四歳の私がいたのはギロチンの前。
 隣国からロウド陛下を篭絡するために来た、この国の国費を私情で圧迫した悪女――そういう冤罪をかけられて処刑台に登らされた。
 初潮を迎えた若い女に陛下が通い詰めるようになったことで、王妃様たちの怒りを買ったのだ。
 私は胎にロウド陛下の子を入れたまま、落ちてきた巨大な刃に首を落とされる。
 この胎の子さえ、王妃たちに「誰の子かわからない」「不貞の証」などと言われていた。
 そしてこんな時まで、王都の広場を埋め尽くすほどの平民に見られる。
 この国の人間は私の死まで大勢で”見る”。
 稀代の悪女と呼ばれて、公開処刑される私を……娯楽として……!!
 
 ああ、もうやだな。
 私の人生なんだったの?
 マロウド王国なんて、滅んじゃえばいいのよ。
 どうにでも、なれよ……!
 あーあ……できることなら……もう誰にも見られたくないな。
 落ちた首は晒し首だろうから、無駄、か………………。
 
「いいわよ。その願い、叶えてあげましょう」
『だ、誰?』
 
 赤い、血のようなルージュが弧を描く。
 完全な漆黒の闇の中から、黄金に輝く髪を靡かせた際どいドレスの美女が現れた。
 本当に誰……?
 私の転がった頭を拾い上げ、滴る血で顎やドレスを汚しても笑みをたたえたままの美女。
 
「あなたを過去に帰してあげる。貴族の籍を捨て、深淵の森にいるアタクシの下へ来なさい。弟子にしてあげる。アタクシの跡を継いでちょうだい」
『あなたは、誰なの』
 
 私の思想を読み取る謎の女。
 私の疑問に彼女は赤い目を細めた。
 
「アタクシの深淵の森に棲む金の魔女。大陸を走るルディール山脈に魔力を流し、金や宝石、魔物を生み出すのが仕事」
『ま、魔物を生み出す……!?』
「そうよ。でも怖がる必要はないわ。だってどうでもいいでしょう? 人間の世界なんて」
『………………』
 
 憎悪が沸き上がる。
 そうね、どうでもいい。
 マロウド王国も、私をあんな国に差し出した故郷マーゼリク王国もきっかけを作ったキュオウド帝国も、人間の国は全部全部どうでもいい……!
 全部全部許せない。全部全部全部……!
 
『わかったわ。深淵の森ね?』
「あなたが嫁入りする、その話が出る前の五年前に戻すわ。貴族の籍を捨てて、アタクシのところへいらっしゃい。巻き戻して最初の夜、迎えを送るわ。約束(・・)よ」
『約束するわ』
 
 魔女が笑みを深くして、私の頭を漆黒の中に手放す。
 そうよ、どうでもいい。
 私の心も体も子どもも見殺しにしたこの大陸の人間は、全部、どうでもいい!
 
 
 
「――――――」
 
 チュンチュン、と小鳥の声に目を開ける。
 どこからどこまでが夢だったのだろう?
 夢じゃないといいのに、と思いながら目を擦り、上半身を起こす。
 
「え」
 
 手が小さい。
 顔を上げて、両手を眺める。
 子どもの手だ。
 嫁入りした頃よりも、もっと小さい。
 
 ――『あなたが嫁入りする、その話が出る前の五年前に戻すわ。』
 
 魔女の声が響く。
 じゃあ、アレは夢ではなかったの?
 ベッド、部屋、窓の外、そして鏡台まで見まわす。
 あまりにも懐かしい、マーゼリク王国、ルージェー侯爵家本宅二階の私の部屋。
 ベッドから降りて、柔らかな絨毯の上を歩き、窓の前に立つ。
 間違いない、懐かしい、私の生家の庭が見える。
 磨かれた窓ガラスに映るのも、腰入りから五年前……七歳の私の姿だ。
 
「やっぱりロウドは変態ね」
 
 今から五年後だって十二歳。
 二年後だってたったの十四歳。
 そんな小娘を差し出すマーゼリク王国も、打診されて断らなかった両親も、全部私の敵よ。
 窓ガラスに映る自分の顔の険しさに気がついて、スッと表情のリセットを行う。
 一瞬でも一人になれないあの国で、常に笑顔を浮かべていなければなにを言われるかわからない。
 
「お嬢様、そろそろ起床のお時間です――あら? 一人で起きられたんですか?」
「……アメリア? ……ええ、起きました」
 
 笑顔を張りつけたまま振り返る。
 この女。アメリア。この女も……なにをぬけぬけと。
 マロウド王家からマーゼリク王家に対して『侯爵家以上の若い子女を妻に』という打診に対して、年頃のルマイア侯爵令嬢ではなく、私を推薦したのはこの女。
 ルマイア侯爵令嬢は打診当時十八歳。
 この女、私の侍女であるアメリアとは同級生だった。
 この女が私マロウド王家への生贄に相応しいとお父様に打診しなければ……!
 
「ど……どうかされたのですか? あ、あの……」
「どうもしませんよ。顔を洗いたいので、桶を置いてくださる?」
「は、はい。すぐに」
 
 確かに、七歳の私はここまで淑女教育が進んでいるわけではないわよね。
 あの地獄のような監視国で過ごしてよかったところは、常に人の目が合ったから毒殺の心配が極めて低かったことと王妃教育が異様に身に着いたことくらいかしら。
 顔を洗い、カジュアルドレスを纏い二階の食堂で食事を取る。
 この国は社交界デビューまで親と同じテーブルについて食事を取ることはない。
 社交界デビューはおおよそ十二歳から十四歳。
 私は形だけデビューして、そのままマロウド王国に輿入れした。
 両親と食事を取った回数は片手の数。
 
「ごちそうさま」
「あ、あの……ほ、本当にどうなさったのですか? お嬢様……」
「なにが?」
「いえ、あの……か、完璧で……いつの間にそこまで……? 昨日までは……」
「魔女と取引したの」
「え?」
 
 七歳の頃の私は、親と会えない寂しさでよく癇癪を起したから当然ね。
 急に自分で起床し、ドレスを着せられ、完璧な所作で食事を終わらせれば奇妙にも思われる。
 優しく微笑みながら本当のことを教えてあげると、アメリアの口元が引き攣った。
 この大陸で「魔女と取引した」は、二つの意味を持つ。
 魔女と取引をした――魔女に愛を捧げることで、その国を治める権利を与えられる。
 または、魔女に願い事をする時、魔女が指定するものを捧げて取引を行う。
 後者の場合は魔女の住処まで赴かねばならないが、前者は魔女に愛されて莫大な義務と権利、財産を得ることができる。
 私は屋敷から出ていないから、私の「魔女と取引した」という言葉を信じるのならそれは私が魔女の寵愛を与えられたという意味に受け取れる。
 
「ま、魔女と……? な、なにをお考えなのですか?」
「ふふふ」
 
 笑ってごまかし、夜までの間組まれていた授業を受ける。
 この年齢だと長い文章の書き方。
 手紙の枕詞や、王族、格下の貴族、同棲、異性、仕事相手など、手紙の書き方は幅広い。
 王妃教育にも携わったことのある家庭教師のご婦人に「素晴らしい。完璧です! 予習をしっかりされたのですね!」と大絶賛をいただいた。
 なんなら「これほど完璧であれば、シュドー王子の婚約者候補になれますわ」と太鼓判を与えられる。
 シュドー王子とはこの国、マーゼリク王国の第二王子。
 私と同じ七歳。
 この国の王太子は国王陛下の指名制だから、第二王子も十分王太子の可能性がある――が、もちろん冗談じゃない。全力でお断りよ。
 笑顔で先生に「ありがとうございます」と完璧なカーテシーでお礼を言うと、先生は「素晴らしいわ」とまた褒めてくれた。
 入口に立つアリシアの表情はますます青くなっているように見える。
 
「ルージェ侯爵様と侯爵夫人には大変すばらしかったとお伝えしておきますね。また来週、今度は刺繍の授業でお会いしましょう」
「はい、楽しみにしております」
 
 先生がお帰りになったのは夕方。
 部屋に戻ってから部屋着に着替え、お風呂。
 お風呂のあとは夕飯。
 一階から両親仕えの使用人が二階に上がってきて、「食後に談話室へ」と言付けをもってきた。
 食事が終わってから一階に下りると、滅多に会えない両親が揃って待っている。
 
「聞いたぞ、ディーヴィア。完璧な立ち居振る舞いと手紙の書き方で、このままならジュドー王子との婚約も難しくないだろうといわれた。お前の勉強態度では無理かと思っていたが、そういうことならジュドー王子との婚約を視野に手回しをしようと思っている。ディーヴィア、お前自身はどうだ?」
「……もちろん、喜んで。そのような栄誉、わたくしには身に余るとも思いますけれど……我が家から王子妃を出せればお父様のお力になれますわよね?」
「そうだな。では、そのように手回しを始めよう。明日以降も王子妃に相応しい淑女になるために励むのだぞ」
「はい。頑張ります!」
 
 両親の望む姿を演じて、夜も遅いので、と挨拶をしてから二階の自室に戻る。
 これから睡眠時間なので、アリシアも頭を下げてから部屋から出て行く。
 迎えを寄越すと言っていたけれど、どうやって――
 
『もう、親との別れは済ませたかしら?』
「はい」
 
 聞こえた声に答えると、白銀の毛並みの狼がベッドの前へ現れた。
 白銀の狼は赤い瞳を持っており、私をジッと見つめてくる。
 
「私を魔女様の下へ連れて行ってくださるかしら」
『どうぞ、こちらへ。我が背に乗ってください』
「ありがとうございます」
『持って行くものはなにもないのか?』
「ございませんわ。なにもかも捨てていきます。今着ている部屋着くらいかしら」
 
 白銀の狼の背に跨り、いつでもいいです、と答えると横たわっていた狼が立ち上がる。
 そしてどうするのだろうと思っていたら、ガラス扉の方に向かって走り出す。
 ぶつかる、と思ったらガラス扉を通過して、夜空に飛び出した。
 三日月が輝く夜空は、とても美しい。
 美しい、と思った自分に少し驚いてしまう。
 私にまだ、月や星空を美しいと思う心が残っていたのね?
 三十分ほど上空を駆け抜けると、深淵の森が見えてきた。
 白狼が森の中心部に向けて急降下していく。
 見えてきたのは黄色い薔薇に覆われた小さな城だ。
 黄色い金の柵、屋根、空中庭園にも黄色い薔薇が咲き誇っている。
 城の横には湖。
 全体的に金と緑、青に溢れた、美しい古城だ。
 白狼は空中庭園に降り立つと私を乗せたまま城の中へ入った。
 冷たい印象を受ける石作りの城内は、人の気配が一切ない。
 辿り着いたのが大きな観音開きの扉の前。
 触れてもいないのに扉が開いていく。
 
「ようこそ」
 
 玉座に座るのは夢で見た金の髪の魔女。
 足を組み、紙を手で横に流し、笑みを深めて私を出迎えてくれた。
 私は丁寧にカーテシーでお辞儀をしてから、笑みを返す。
 
「改めて、アタクシは金の魔女。そなたの名は?」
「ディーヴィア・ルージェーと申します。ですが、今し方家を捨ててまいりましたので、ただのディーヴィアですわ」
「それでいい。魔女は持たざる者。その代わり世界と繋がり”世界を使える”。世界のあらゆるものをこの胎で生み出し、与え、そして育み奪う。聖女のように癒しと守りを与えるだけの女ではなく、創造と破壊を司る」
 
 顔を上げる。
 世界の創造と破壊。
 神に祈り、癒しの力と魔物を阻む結界を生み出す聖女は、教会に所属し各国でもっとも強い祈りの力を有するものを大聖女として国の代表聖女とする。
 今まで聖女こそ素晴らしいものだと思っていたけれど、彼女の話を聞くと魔女の方が上位存在のようね。
 確かに魔女は世界に五人のみ。
 西の金の魔女、東の銀の魔女、南の虹の魔女、北の白い魔女、空の黒い魔女。
 この世界を創造した女神マアテラの”五人の娘たち”。
 魔女たちは世界の調律者。
 人類の”姉”たち。
 
「今そなたが使っている名前とは別に、魂の名を自らで知ることにより魔女の資格を得られる。五十年ほど修行の(のち)、金の魔女の魂をそなたの魂の中に入れて融合すれば、次の金の魔女の完成だ」
「お元気そうに見えますが、なぜ魔女の地位をわたくしに引き継がせようと……?」
「肉体の”アップデート”。魔女の肉体の限界はだいたい五百年。魔物を生み出し続けると、人間の願いを喰らっても胎に宿る魔力が衰退してしまうのだ」
 
 なるほど、魔女としての仕事ができなくなるのね。
 でも、まだ魔女の業務がよくわからないわ。
 それに――
 
「あの、どうして私が次の魔女に選ばれたのでしょうか?」
「女の胎の魔力も個体差がある。お前はかなり潤沢な魔力を持っている上、元々の選出基準に世界への強い憎しみと絶望を抱いている者が好ましい。憎悪は反転すれば愛になる。魔物の母として、人類の姉として愚かで矮小な人類を愛してあげなければいけないの。今はまだ憎しみと絶望だけだろうけれど、上位存在である”魔女”になれば人間なんて哀れで可愛いものに見えてくる」
 
 そう言って真っ赤なルージュが弧を描く。
 美しい金の髪を靡かせながら、長い足を組み直す魔女。
 人間の上位存在。
 だから人間を可愛らしく思えるなんて……そういうものなのだろうか?
 
「さて、早速お前に魔女になるための資格――自分の魂の真名を知ってもらおう。その魔法陣に乗って、床に寝そべりなさい。目を閉じると、おのずと真名が見えてくる」
「わかりました」
 
 魔女の指差した方に、金色の魔方陣が浮かび上がる。
 言われた通り、魔方陣の中心に横たわり芽を閉じた。
 しばらくはなにもなかったのに幼い体はだんだんと眠気が勝ってくる。
 
「すや……すや……♪」
『寝てしまったな』
「ふふふ……まだ生まれたてだからな。寝るのが仕事だ。こんな幼い赤子を下界に置かねばならないのは、いささか心苦しくなってしまう」
 
 体が温かいものに包まれた。
 自分が眠気に負けて、淡い黄色い雲の上に眠る夢を見る。
 ――ヴィヴィアロードプリシア。
 浮かんだ名前、これは私の魂の名前だ……。