『ラビアンジェ、何故淑女科にいなかった』

 ちょうどあいつの学年である2年生の、初めて専攻科の授業が行われた日の昼休みだ。

 ミハイルは授業が終わると急いで教室からいなくなったからどうしたのかと思っていたが、2年の淑女科を見てきたらしい。
食堂に向かう途中の中庭で、あいつは兄のミハイルに捕まっていた。

『あらあら?
私の専攻は魔法具科でしてよ、お兄様』
『何故断った?
公女として学ぶ機会を自ら棒に振るとは。
お前がすべき事は魔法具作りではないだろう』

 妹に向けるにはかなり剣呑な眼光だが、他ならぬあいつは全く気にしていない。

 というか、まさかあいつは魔法具科に入ったのか?!

『ふふふ。
左様ですわね。
ですが魔法具科も楽しそうでしてよ?』

 いつものような淑女の微笑みではなく、どこか嬉しそうな、能天気な言葉にはさすがのミハイルもいくらか毒気を抜かれたようだった。

 私と共に向かっていた内の1人、彼らの義妹であるシエナがハッとした顔で一言言った。

『お義姉様、まさか成績がよろしくなくて淑女科にすら入れなかったのかしら』
『うわ、本当かよ。
あり得ねえ』

 共にいたヘインズがシエナの言葉に顔を歪ませ侮蔑の表情で向こうのあいつを見やる。

 私もヘインズ同様、特に確認もせずにその言葉が正しいと思い込み、呆れ返った。

 そもそも高位貴族の女生徒が希望するのは淑女科か魔法科だ。
それに騎士科を加え、その3つに高位貴族は集中的に希望し、魔法具科は下級貴族ですらも人気が無く、平民が大半を占める。

 いくらあいつでも自ら望んで魔法具科を選ぶとは、さすがに考えられなかった。

 いつもの淑女の微笑みではないところを見ると、断ったというよりも断られたに違いない。
取り繕いきれなかったみたいだな。

『それに私がロブール家から享受した権利分の義務は既に果たしておりましてよ?』
『どこがだ』
『ふふふ。
気づいてらっしゃらないなら、それでもよろしくてよ』
『また、お前は……』

 いつもの淑女らしい微笑みに戻した顔を兄に向け、はぐらかした。
と、この時は何一つ疑わずにそう思っていた。

 四大公爵家の公女が享受した権利は計り知れないはずだ。
無才無能であらゆる義務から逃げるあいつが、義務など果たせているはずがない、と。

 ミハイルは苛立ったように睨みつけてその場を後にし、あいつもどこかへ行ってしまった。

 そんなミハイルは四大公爵家が1つであるロブール家嫡男として、次期当主として常に義務を意識して生きているように思う。

 そして手厳しいのは同じだけの義務を妹にも求めていただけじゃないだろうか。
確かに教師が言ったように、思い返せばあいつに詰め寄るミハイルは軽んじたり蔑んだりはしていない。

 シエナもロブール家に引き取られた初日に教養の必要性や公女の責任について滾々と聞かされ、翌日にはミハイルによって講師が手配されていたらしい。

 シエナの話では、どうやら昔から教育に関する手配は夫人ではなくミハイルが行っているようだ。

 シエナが勉強をサボればどこまでも追いかけ、隠れていれば必ず探し当て、滾々淡々と説教をされたと聞いた。
市井暮らしで学ぶという事に不慣れなシエナも早々に逃げるのは諦めたと、この後食堂で昼食を取りながら当時を思い出して顔色を青くしながら話していたのを遠い昔のように思い出す。

 そういえば報告書にはあいつが兄からも逃げている様子も書かれてあった。

 あのミハイルから逃げ続けるとか、あいつは猛者か。
王子妃教育からも今のところ逃げているし、ある意味逃げの才能はある。
無才ではなかったようだ。

『もしや誰かから全く真逆の事でもお聞きになりまして?
良い機会ですから1つはっきりさせるならば、私は1度も婚約を望んだ事もありませんし、今も継続など望んでおりませんわ。
公女としての立場があるから王家と公爵家の決まり事に拒否もしていない。
それだけでしてよ』

 報告書を読み、あいつと初めて会話らしい会話をして、あの日の中庭のあいつの言葉の意図に思い当たる。

 何年か前までの報告書を読む限り、あいつはロブール公爵邸の自室ではなく、離れと呼ばれる粗末な小屋に召使いもなく1人で住んでいた。