人の気配に己の宮を出た貴妃は、人影を見つけて近づく。すると落ち葉を踏んだのか、音をカサリと立ててしまった。

「何者か。名を名乗れ」

 そう言ったのは貴妃ではない。対峙し、貴妃を睨んだ殿方だ。

 鋭くも凛とした声主の手には、貴妃の()()で見覚えがある剣。
 冷たく光る抜き身の刀身が貴妃の首に沿わされた。

 その時、雲間から月光が辺りを照らす。

 (そら)に浮かぶ望月(もちづき)が照らすは、藤色の髪。陽光の下で見るならば、殿方の瞳は紫紺色。

 貴妃にとっては随分と遠い記憶()の中でしか見る事の叶わない、さるお方と同じ色。

――この後、この殿方に首を切られる貴妃。更にそのその二日後……。

「あちきの肉ー!!!! 返すでありんすー!!!!」

 貴妃はそう言って懐から金の延べ棒をサッと掴み、(あやかし)の黒い翼を目がけて全力投擲。

「フギャッ」
「んっふっふっふっ。逃しんせんよ、子猫ちゃん」

――空へと逃げそうになった妖を金の延べ棒で地に止め、不敵な微笑みを浮かべて妖に迫る貴妃。

 後に悪妃とその名を轟かせた貴妃の後宮生活は、嘘とも思えるそんな始まりだったとか。


(後宮悪妃伝其の一、序)