「こ、これは……」

 ヘレーナ嬢は、ドルギア殿下に手をかざしたまま固まっていた。
 彼女は、優れた魔法使いである。だからこそわかったのだろう。私のかけた魔法が、複雑であるということが。

「魔法というものは、時折絡まった糸のようだと言われることがあります。解こうと思ったら、逆に結びを固くしてしまうかもしれない。魔法を解くというのは、繊細さと大胆さが求められるもの。まあ、こんなことはヘレーナ嬢なら言わずともわかっていますか」
「こ、こんなもの、どうやって……」
「ヒントを出してあげましょうか? 最初に触れるのがどの糸であるか……ああ、これですね」

 私はドルギア殿下に手をかざして、魔法を少しだけ解いた。
 それを理解したヘレーナ嬢は、なんとも言えない表情を向けてきた。怒り、絶望、感謝、それらが入り混じった感情が伝わってくる。
 そして彼女は、再びドルギア殿下と向き合った。手がかりを得たことによって、再び挑戦する気になったということだろう。

「……あ、ああ」
「ヘレーナ嬢、どうかされましたか?」
「む、無理よ。こんなの……どうやったって」
「二つ目はここですね。さあ、ここまでヒントを出すなんて、大サービスですよ? ここからはヘレーナ嬢の力で頑張りましょう。諦めなければ、道は開けます」
「そんな領域の話では……」

 ヘレーナ嬢は、悲痛な言葉を発していた。
 自分では、その魔法を解くことはできない。それを何よりも深く感じ取っているのだろう。

「あ、あははっ……」

 ヘレーナ嬢はその場でゆっくりと崩れ落ちて、力なく項垂れた。
 彼女は、魔法を解くのを諦めたのだ。それが不可能であることを、優れた魔法使いであるからこそ、すぐに理解したのだろう。
 私はこの魔法を自発的に解くことはない。つまりヘレーナ嬢は、自らが狂信的な愛を向ける人から、永遠に覚えられないことを悟った。だからもう、笑うことくらいしかできないのだろう。

「もう、終わりね……」
「……まさか」

 次の瞬間、ヘレーナ嬢は自らの頭に手をかざした。
 それからすぐに魔法が行使された。それが何の魔法であるか、それはヘレーナ嬢の状態を見れば明らかだ。

「……」
「自らの記憶を消しましたか。ドルギア殿下に覚えられない世界に絶望して……」
「あ、う?」
「既に赤子同然といった所ですか。今度はまともに育ってくれると良いのですが……さて、どうしましょうかね。まずは騎士団に連絡するべきでしょうか」

 ヘレーナ嬢がこんな状態になった以上、もうお姉様に危害を加えることはないだろう。
 それなら、私としてこの結末に異論はない。騎士団は文句を言うかもしれないが、それに関してはどうでもいいことだ。
 問題は、お姉様がこのことで傷つくかもしれないということである。その辺りに関して、何か良い言葉などを今から考えておかなければならない。