「ドルギア殿下、どうかご冗談はやめてください。私……このヘレーナのことを、お忘れになったっとでもいうのですか?」
「その……すみません。あなたのことが、僕にはわからない。なんだ、この奇妙な感覚は……」
「そ、そんな馬鹿な。どうして、私のことが……私の名前を呼んでください。ヘレーナ嬢と呼びかけてください」
「何を言っているのか、わかりません。すみません。僕には、あなたを呼ぶ言葉が見つからない」

 ヘレーナ嬢の懇願に対して、ドルギア殿下はゆっくりと首を振った。
 優しい彼のことだ。お姉様のことをあれ程までに批判した相手の懇願だって、いつもなら聞いたかもしれない。
 しかし今の彼には、どれだけ努力したってそれはできない。この私が魔法をかけたのだから、そんなことができる訳がないのである。

「エ、エルメラ嬢……あなた、ドルギア殿下に一体何をしたのですか!」
「曲がりなりにも魔法使いであるなら、知恵を働かせて欲しいものですね。ですが今は気分がいいので、特別に教えてあげます。ドルギア殿下には、魔法をかけたのです。ある人物に関する記憶を消して、その人物のことを永遠に認識できなくなる魔法を」
「な、そんな魔法は……」
「私が作りました」

 本来私は、ヘレーナ嬢にこの魔法を使おうと思っていた。
 お姉様やドルギア殿下に関する記憶を彼女から消せば、とりあえず安全は確保できる。そう思っていたからだ。
 無論それでも良かった訳ではあるが、多くの罪を犯した彼女には罰を受けてもらわなければならない。だから、彼女が最も絶望しそうなことを考えて、実行したのである。

「あなたがいくら思っても、ドルギア殿下はあなたのことを覚えられません。哀れですね」
「ふ、ふざけないで。このっ……」
「この魔法を解く方法が、ないという訳ではありません。開発した私は、当然解く方法を知っています。私を殺してしまったら、解けなくなるかもしれません」
「そ、それは……」

 ヘレーナ嬢は、私に対して魔法を使おうとするのをやめた。
 先程まで威勢の良かった彼女が、このようにしおらしくしているのは、なんだか笑えてくる。
 それで腹の虫は、少しは収まった。故にここは、慈悲の心を持って、彼女に接してあげるとしよう。

「ヘレーナ嬢、ここは一つチャレンジしてみませんか?」
「チャ、チャレンジ?」
「ええ、類稀なる才能を有するあなたならば、私の魔法を解ける可能性があるかもしれません。ドルギア殿下には、少し眠ってもらって……さあ、あなたの愛の力で記憶を目覚めさせる挑戦をしましょう」

 私は、ドルギア殿下にそっと手をかざして彼を眠らせる。
 するとヘレーナ嬢は、力なくこちらに近づいて来た。可能性に賭ける気になったのだろう。魔法使いとしてのプライドもあるかもしれない。
 ヘレーナ嬢は、ゆっくりとドルギア殿下に手をかざす。私がかけた魔法を解くために。