アリアドネとスティーブは並んで歩いていた。
「ありがとうございました、スティーブ様」
「え? 何故俺にお礼を言うんだ?」
「それは私がエルウィン様の前でリアと名乗った時に、すぐに気がついてくれたことです」
「ああ、あれか? 大将にアリアドネのことが知られてしまったら大変だからな。もしバレたら越冬期間が終わり次第、あの大将のことだ。アイゼンシュタット城を追い出してしまうかもしれないからな」
半分冗談めかしてスティーブは言ったのだが、アリアドネはその言葉をまともに受け止めていた。
「追い出す……」
アリアドネはポツリと呟いた。その時、一瞬ダリウスの言葉が耳に蘇ってきた。
『越冬期間が終ったら、一緒に俺の国へ行かないか?』
(もし、そうなったら……本当に行き場が無くなってしまったら、いっそダリウスの国へ行って見るのもいいのかも……。でもダリウスと一緒に国へ行けば、世話になってしまうことになるわ。そうすると迷惑をかけてしまうかも……)
アリアドネは誰にも迷惑をかけずに、これから先もず生きていきたいと考えていたのだ。
「どうしたんだ? アリアドネ」
不意にアリアドネが口を閉ざしてしまったのでスティーブが尋ねた。
「いえ、何でもありません。でもエルウィン様に私がアリアドネだとバレてしまえば、やはり出ていかざるを得ないかと思いまして」
その言葉にスティーブは焦った。アリアドネがこの城から出ていくことなど、考えてもいなかったからだ。
「えぇっ!? な、何だって!? 本気でそんな事言っているのか!? 大体行くあてなんかあるのか!?」
「それはこれから考えます。でも、もし出ていかなければならなくなった時はヨゼフさんにも声をかけて、このまま城に残ることをヨゼフさんが希望すれば、その時は私1人でここを出ていこうかと思います」
スティーブはその言葉に耳を疑った。
「アリアドネ……それは駄目だっ!」
「何が駄目なんですか?」
その時、地下通路の奥で声が響いた。その声の主は……。
「まぁ……ダリウス」
「ダリウス……?」
スティーブは心の中で舌打ちした。
(またあいつか……? いつもいつも俺がアリアドネと一緒にいると、どこからともなく神出鬼没に現れて……)
しかし、アリアドネはそんなスティーブの胸の内に気付くこともなく、こちらへ向かって近づいてくるダリウスに話しかける。
「どうしたの? ダリウス。お城と仕事場をつなぐ連絡通路までわざわざやってくるなんて」
「今朝、仕事場に行ってみればアリアドネの姿が見えないからマリアさんに尋ねたんだよ。そうしたらアリアドネはエルウィン様の礼服を選ぶ為に城に行っているって聞かされたから様子を見に行こうかと思ってここまで来たのさ」
ダリウスはアリアドネの正面に立。
「何だって?」
その言葉にスティーブの眉が険しくなる。
(領民が城の者たちに許可も得ずに城へ入ってこようとしたのか?)
通常であればそれは考えられないことだった。そこでスティーブは一言注意しようとスティーブに声をかけた。
「お前……確か、ダリウスとか言ったな?」
「はい、そうです。あ、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。こんにちは、騎士団長スティーブ様」
ダリウスはスティーブに頭を下げると続けた。
「勝手に地下通路を通り抜けて城内へ入ろうとした事、大変申し訳ございませんでした。ただ、どうしてもアリアドネが心配になってしまって、いても立ってもいられなくなってしまったのです。何しろ彼女が向かった先はこちらの城主様でしたから。つい気がかりで様子を見に行こうとしてしまったのです」
「……何だって?」
妙に意味ありげな言葉に、更にスティーブの眉が険しくなった――
「それは一体どういう意味なんだ? エルウィン様にアリアドネが呼ばれると何故気がかりなんだ?」
スティーブはエルウィンをよくからかうことは合ったが、それでもアイゼンシュタット城の城主として、騎士として尊敬していた。だからエルウィンを悪く言う者は許せなかったのだ。
「お言葉通りですが? 私が何も知らないとでも思っているのですか? 本当はアリアドネは城主様の妻となるべく、この城へやってきたのですよね? それなのに、城主様は無下にも追い払おうとした。だから彼女はこんな下働きに身を置いているのではありませんか?」
ダリウスは臆すること無くスティーブの前で言い切った。
「ダリウスッ!?」
アリアドネがダリウスの言葉に目を見張る。
「お、お前……!」
スティーブは殺気をこめてダリウスを睨みつけた。
仮にもスティーブはこの城の第一騎士団長であり、その強さは諸外国にまで知れ渡る程であった。それなのにスティーブが睨みつけても全く動じることのないダリウスに言いようのない違和感を感じていた。
(この男……。一体何者だ? この俺の殺気を込めた目を見ても動じることがないなんて。本当にただの領民なのか?)
一方、スティーブの殺気に怯えているのはアリアドネの方だった。いつもにこやかに笑みを浮かべ、朗らかなスティーブしか目にした事が無かったアリアドネは、その変貌ぶりに驚き……足がすくんでしまった。
アリアドネが怯えている様子にダリウスは気付いていた。
「アリアドネ、おいで」
ダリウスはアリアドネの腕を掴んで自分の方に引き寄せ、アリアドネをスティーブから守るように囲込む。
「スティーブ様、アリアドネが怯えているじゃないですか。か弱い女性の前で殺気を放つのはおやめください」
穏やかな言い方では合ったが、その眼光は鋭かった。いつものスティーブならこのような事ぐらいでは引かないが、アリアドネが絡んでくるとそうはいかない。
「あ
「す、すまないっ!ア リアドネッ!」
スティーブは瞬時に殺気を消すと、アリアドネに謝った。
(まずい……いつもの癖がでてしまった。彼女の前なのに殺気を放ってしまうなんて)
他の者達から恐れられてもいい。
だが、アリアドネからは自分に対する恐怖心を抱いて欲しくは無かった。
「い、いえ……少し驚いただけですから……」
しかし、まだアリアドネの身体は震えている。
「大丈夫か? アリアドネ」
ダリウスはアリアドネの髪を撫でながら尋ねてくる。その様子もスティーブを苛立たせた。
(この男……俺がアリアドネに好意を抱いているのを知っていてわざとやっているんだな)
しかし、ここで怒りを顕にすればますますアリアドネから怖がられてしまう。そう思ったスティーブは拳を握りしめた。
「アリアドネ、今日はエルウィン様の礼服を選んでくれてありがとう。それじゃ俺は行くよ。これから葬儀に参列しないとならないからな」
「いえ、お役に立てて光栄です」
アリアドネはダリウスの腕の中で返事をした。
「スティーブ様。アリアドネをここまで連れて来て下さってありがとうございます」
何処か皮肉を込めたダリウスの物言いにスティーブはカチンときたが、冷静に答えた。
「レディーを守るのは騎士として当然だからな。それじゃ、またなアリアドネ」
「はい、スティーブ様」
アリアドネの返事に笑顔で応えたスティーブは踵を返すと、マントを翻し、大股でその場を立ち去って行った。
ダリウスが立ち去るとアリアドネはすぐに訴えた。
「ダリウス……手を離してくれる?」
アリアドネは未だにダリウスの腕の中にいたのである。
「ああ。ごめん」
ダリウスが手を離すと、アリアドネは距離を取った。
「……困るわ……あまりスティーブ様の前でこういう事をされると……」
アリアドネの言葉にダリウスは顔をしかめた。
「何故だい? まさかスティーブ様に気があるとでも?」
「いいえ、そう言う事ではないわ。ただ私は本来、エルウィン様の妻となるべくこの城にやってきたのだもの。その事をスティーブ様もシュミット様もご存知なのよ? だからこんな勘違いされるような真似はしないでもらいたいの」
「アリアドネ。まさか君はエルウィン様の妻になろうと考えているのか?」
ダリウスの声が震えている。
「いいえ! だって私はエルウィン様から拒絶されたのよ? それはありえないわ。でも……」
(エルウィン様に……妙な誤解はされたくない……)
それがアリアドネの本心だった――
ランベールの葬儀は越冬期間という事もあり、式に参列したのはアイゼンシュタット城に住まう者たちのみであった。その人数は僅か200名ほどであり、何とも寂しい葬儀となった。
その参列者たちを前に、エルウィンは立派に喪主を務めていた――
礼拝堂の最前列にはランベールの側近であったドミニコ、バルド、オズワルドの姿があった。
「……全く、仮にも前城主の弟という身分でいらしたランベール様の葬儀がこんなに質素だとは」
ドミニコが忌々しげにエルウィンの姿を見つめながら口に出した。
「ああ、本当にその通りだ。しかも犯人だってまだ分かっていないのにあっさり捜索をやめた挙げ句、さっさと葬儀をあげてしまうとはな」
剣を掲げて弔事の言葉を述べるエルウィンを忌々しげに睨みつけながらバルドは拳を握りしめた。
しかし、オズワルドだけは一言も口を開かず腕組みをしながらただ黙ってエルウィンの様子を眺めていた。
「おい、オズワルド。黙っていないでお前も何か心に思うことが無いのか?」
隣に座るバルドがイライラした様子でオズワルドに声をかけた。
「……皆さん、先程から私語が多いですねぇ……仮にもランベール様の葬儀なのですから少し口を閉じられてはいかがです? ほら、御覧なさい。城主様の姿を。青二才のわりになかなか見事に喪主をつとめているではありませんか」
「なっ……!? き、貴様……騎士のくせに生意気なっ!」
ドミニコが怒りの目をオズワルドに向ける。
「そうだ! 何様のつもりだ!」
バルドもオズワルドを睨みつける。
「……お静かに。我々は派閥争いに負けたのです。これからのことを考え、自分の身の振り方を考えることですな」
オズワルドは静かに言う。
「「……」」
その言葉にバルドとオズワルドは口を閉ざし、オズワルドは視線を移した。
彼の視線の先には別の席に座るまだ幼いランベールの息子たちがいる。2人の少年達の側には彼の侍女を務める女性もいる。
「……」
オズワルドは少年たちと侍女を不気味な視線でいつまでも見つめていた――
****
午後3時――
「ふ〜……気疲れした」
礼服を脱ぎ、いつも着慣れている騎士団の制服に着替えたエルウィンは乱暴に執務室の椅子に座った。
「お疲れさまでした。エルウィン様。とてもご立派でしたよ」
シュミットはエルウィンの前にコーヒーを置いた。
「お、コーヒーか。これはいいな」
エルウィンは嬉しそうに笑みを浮かべると、早速カップを手に取る。
「……うん、いい香りだ。シュミット、お前ますますコーヒーを淹れる腕があがったな」
カップに鼻を近づけ、香りをかいだエルウィンは早速コーヒーを口にした。
「……美味い」
そして長ソファの上で腕組みをして不機嫌そうに座るスティーブをチラリと見ると、シュミットを手招きした。
「いかが致しましたか? エルウィン様」
「一体、スティーブはどうしたんだ? 随分機嫌が悪そうじゃないか?」
エルウィンはシュミットに耳打ちするように尋ねた。
「ええ……その事なのですが、葬儀に参列したときからずっとあの調子なのです」
シュミットも囁くように答える。
「何? そうなのか?」
「ええ、私にもさっぱりです」
シュミットは首を傾げる。
「全く……こっちは慣れない葬儀の喪主を務めて疲れているっていうのに、室内にあいつの殺気が充満して息苦しくたまらん」
エルウィンはため息をつきながらコーヒーを口にした。
「……」
シュミットはいらついているスティーブを見つめた。
(スティーブはエルウィン様の着替えが終わった後、アリアドネ様を連れて仕事場へ向かった……。恐らくそこで何か不快な出来事があったに違いない。あのスティーブをここまで苛つかせるなんて……)
そして次にエルウィンを見た。
エルウィンも慣れない葬儀の喪主を務めたことで、その顔には疲労が浮かんでいる。
(エルウィン様と剣でも交えればスティーブの気も紛れるし、エルウィン様の精神的な疲れも取れるかもしれないな……。よし、後ほどエルウィン様と剣を交えるように2人に声をかけよう)
シュミットは自分の考えに頷いた――
19時――
本日の仕事を終えたアリアドネ達は寮で皆と一緒に食事を取っていた。
「そう言えばセリアだけどね。さっき食事を届けに行ったんだけど、もうだいぶ熱は下がっていたよ。ただ、大事を取って明日も仕事を休むように言ってあるけどね」
寮長のマリアが大皿から鶏の煮込み料理をサーバースプーンで自分の皿に取り分けながら話した。
「そうなんですか? それは良かったです」
丸パンにディップソースを塗っていたアリアドネは嬉しそうに返事をした。
「ああ、そうそう。セリアがお礼を言っていたよ。今日はエルウィン様の礼服合わせを代わりに引き受けてくれてありがとうって」
「いえ、そんな。大したお役に立てたかは分かりませんが」
するとイゾルネが会話に加わってきた。
「何言ってるんだい? 私達の代表でランベール様の葬儀に出席したビルが言っていたけど、エルウィン様のお召し物はとても素晴らしかったと褒めていたんだよ。何しろあの方は美丈夫だからね〜私も見てみたかったよ」
「確かにエルウィン様はお美しい方ですから、何を着ても素敵だと思います」
アリアドネは思った感想を素直に述べた。
(そう、このアイゼンシュタット城の城主に、まさに相応しいお方だわ……)
そして思った。ランベールの死に直結する原因を作ってしまった自分は、越冬期間が終わってもここに残ってもいいのだろうか……と。
****
その頃のアイゼンシュタット城――
「それにしても、久々にお前と手合わせしたが一段と腕を上げたのではないか?」
エルウィンはダイニングルームで料理を前にワインを飲みながら上機嫌でスティーブと話をしていた。
「いえいえ、まだまだ大将には敵いませんよ。さすがは『戦場の暴君』と呼ばれるだけのことはあります」
大分ワインが回ってきたスティーブは赤ら顔になっていた。
「お前。俺がその名前で呼ばれるのを嫌っているのを知っているだろう?」
エルウィンはワインを煽るように飲みながらジロリと睨みつけた。
「まぁまぁ……いいじゃないですか。酒の席の無礼講ということで」
「フン! まぁ、いいとしよう。何しろずっと憂鬱だった叔父上の葬儀がやっと終わったのだからな!」
再びエルウィンはワインを水のように流し込む。
「お? 大将、いい飲みっぷりですね〜。俺も負けてられないな」
するとあろうことか、スティーブはワインの瓶を握りしめるとラッパ飲みし始めた。
「エルウィン様もスティーブもいささか飲み過ぎではないですか?」
先程から殆ど料理に手を付けず、ワインばかり飲み続ける2人にシュミットは呆れたように声をかけた。
「いいじゃないか、シュミット。今日は不愉快なことがあったんだから硬いこと言うなって」
スティーブは顔を赤らめながらシュミットを見た。
「そう、それだ。お前にしては珍しいこともあるもんだ。葬儀の終わった後、何であんなに殺気走っていたんだ?」
エルウィンが半分酔いが回った状態でスティーブに尋ねた。
「ええ、あったってもんじゃないですよ。くそっあいつめ……俺のリアに……しかも勝手に城に入ってこようして……」
スティーブが頭をグラグラ動かしながらブツブツ言い始めた。どうやら先程のワインのラッパ飲みが効いたようである。
「何だ? リアとは確かあの領民のことだったよな? あいつって誰のことだ?」
エルウィンはスティーブに尋ねるも……。
ゴンッ!
いきなり鈍い音がダイニングルームに響き渡った。スティーブはテーブルに頭を打ち付けたのである。
「……おい? スティーブ?」
「スティーブ?」
エルウィンとシュミットが同時に声をかける。
すると……。
「グゥ……」
何とスティーブが寝息を立て始めたのだ。
「な、何だ!? こいつ……寝てるぞ?」
エルウィンが呆れたように声を上げる。
「……ええ。寝てますね」
「くそ! 何なんだ? 折角今の話を聞き出そうと思っていたのに……」
エルウィンは忌々しげに腕組みをすると次にシュミットを見た。
「シュミット。お前、もしかして何か心当たりあるんじゃないか?」
「え?」
(本当は心当たりが無きにしもあらずだが……下手にダリウスの事を話してアリアドネ様の正体がエルウィン様にバレてもまずいしな……)
「いえ。さっぱり分かりません」
シュミットは素知らぬふりをすることにした。
「ふ〜ん……そうか」
そしてエルウィンは再びワインを飲み始めるのだった――
翌日――
すっかり体調の良くなったセリアが少し遅れて仕事場にやってきた。
「おはよう、アリアドネ」
糸紡ぎをしているアリアドネに声をかけてきた。
「おはようございます。セリアさん。もう体調は良くなったのですね? 食堂で姿を見かけなかったので、まだ具合が悪いのかと思っていました」
「いいえ、大丈夫よ。エルウィン様に呼ばれてお城に行っていたの。それで今朝は皆と一緒に食事が出来なかったのよ」
そしてセリアはアリアドネの隣に座ると自分の持ち分の糸を紡ぎ始めた。
「そうだったのですか。エルウィン様に呼ばれていたので不在だったのですね」
スピンドルに羊毛を巻き取りながらアリアドネはセリアの話を聞いている。
「ええ、具合はどうかと色々尋ねてこられたわ。だからもう大丈夫ですと返事をしたの」
「エルウィン様はセリアさんのことが心配だったのですね」
「そうね。でも気にかけてもらえて嬉しいわ。私がエルウィン様の専属メイドを辞めてもう10年にもなるのに、今も度々声をかけてくれるから」
「余程エルウィン様はセリアさんを慕っているのでしょうね」
手際よく毛糸を紡ぎながらアリアドネは相槌を打ちながら思った。
(やっぱりエルウィン様は世間では恐ろしいイメージを持たれているけれども本当はお優しい方なのかもしれないわ)
「ありがとう、アリアドネ。私の代わりにエルウィン様の礼服を選んでくれてお陰で助かったわ」
「いいえ、お礼を言われるほどのことではありませので……でもお役に立てて光栄です」
「ええ、きっとエルウィン様も喜ばれたと思うわ。ところで話は変わるけどね……」
その後もアリアドネとセリアは女同士の話に花を咲かせながら毛糸紬の仕事を続けた。
****
同時刻――
シュミットとエルウィンは執務室で仕事をしていた。
「……なぁ、シュミット」
書類に目を通しながらエルウィンはシュミットに声をかけた。
「はい、何でしょうか? エルウィン様」
シュミットは顔を上げてエルウィンを見た。
「今朝……久しぶりにセリアを私室に呼んで一緒に朝食をとったのだ。セリアの具合も悪かったし、叔父上の事でも話があったからな……。セリアも子供に会いたいのではないかと思ったし」
「……そうですね。それでセリアさんはウリエル様に会えたのですか?」
「ああ。ウリエルだけ呼ぶのは変に怪しまれるだろうからミカエルも呼んだ。今朝は俺とミカエル、ウリエル、そしてセリアの4人で朝食を取ったのだ」
「ウリエル様の様子はどうでしたか?」
「いや、別に。いつもとあまり様子は変わらなかった。何しろミカエルもウリエルも叔父上とは殆ど顔も合わせること無く暮らしていたからな……。それにウリエルは自分の母親がセリアであることを知らない。だから不思議そうな顔でセリアを見ていた」
「……セリアさんは自分がウリエル様の母親であることを伝えるのを望まれてはいませんからね」
「そうだ。それにセリアが叔父上との間に子供を産んだことを知っているのはほんの僅かな者たちだし……。叔父上の目もあったから自由に会わせてはやれなかったが、もう亡くなったんだ。これからは少しずつ2人を会わせてやることが出来ればと思ったんだ」
「なるほど……。それは良い考えですね」
シュミットは頷いた。
「それで……その時に出た話だが……」
エルウィンは言いにくそうにシュミットを見た。
「エルウィン様? どうかしたのですか?」
「ああ……。セリアに言われたのだが……」
そこゴホンとエルリンは咳払いした。
「俺の式服を合わせてくれた……リア? だったか? お礼をしたのかを尋ねられたんだ。やはりそういう場合、礼はするべきだったのだろうか?」
「お礼ですか?」
(普通なら使用人が主の為に尽くすのは当然だが、一応アリアドネ様はエルウィン様の妻となるべくお方だったからな……それでセリアさんはそのようなことを口にしたのかもしれない)
そこでシュミットは答えた。
「そうですね。ですがお礼の言葉は述べられたので良いのではないですか?」
「う、うむ……。だがセリアに何という言葉で礼を述べたのか尋ねられたのだ。だから『今日は助かった』と述べたと言ったら、ため息をつかれてしまった。……やはり、その様な言い方ではまずかったのだろうか?」
エルウィンはいつになく真剣な眼差しをシュミットに向けてくる。
「……エルウィン様。ひょっとして……」
「何だ?」
「そんなにその女性のことが気になるのですか?」
「何? 違うっ! そんなんじゃないっ! もういい! この話は終わりだ!」
エルウィンはムスッとした表情で、再び書類に目を落とした。
「エルウィン様……」
その様子を見てシュミットは思った。
(やはりエルウィン様はアリアドネ様のことが気になっているようだ……)
と――
長い廊下をオズワルドは足音を響かせ、歩いていた。
やがて、1つの部屋の前に来ると足を止めた。ここはランベールの2人の子供達の部屋の前である。
――コンコン
オズワルドは迷うこと無く扉をノックした。
「はい」
すぐに中から返事が聞こえ、扉が開かれた。
姿を現したのはミカエルとウリエルの年若い侍女である。
「あ……オズワルド様、ご機嫌麗しゅうございます」
侍女はドレスの裾を持ち上げ、頭を下げた。
「……よい。顔をあげよ」
「……はい」
侍女は顔を上げて、恐る恐るオズワルドを見た。
「お前、名は確か……」
「はい、ゾーイと申します」
「確か、ウシャルネ子爵家の三女だったか?」
「はい、さようでございます。2年前からミカエル様とウリエル様の侍女としてこちらで勤めさせて頂いております」
「ミカエル様とウリエル様はおいでなのか?」
「はい、今は読書の時間ですのでお2人とも静かにされています」
「中へ入らせてもいいかな?」
それは有無を言わさぬ強さがあった。
「は、はい……どうぞ……」
ゾーイは震えを押し殺して返事をした。
「……失礼する」
オズワルドは部屋の中へ入ると、まっすぐにミカエルとウリエルの元へと向かっていく。
(やはりオズワルド様は恐ろしい人だわ……心の内がさっぱり読めない。これだったらまだランベール様の方が分かりやすい方だったわ……)
オズワルドはアイゼンシュタット城では得体の知れない人物として、別の意味で恐れられていた。
10年ほどまえにランベールに連れられてこの城に来てからは、彼の右腕として常に影のように立っていた。
剣の腕前も素晴らしく、決して戦場に出て戦うことの無いランベールの代わりに戦に出て、数多くの功績を成し遂げ……あっと言う間に騎士団長の地位にまで上り詰めた人物であるが、経歴や年齢は一切不詳だった。
外見は20代とも30代とも見て取れる。
「ミカエル様、ウリエル様。読書中ですが少々お話宜しいでしょうか?」
オズワルドはミカエルとウリエルの前に立つと声をかけた。
「はい……」
ミカエルは恐る恐る顔を上げてオズワルドを見た。ウリエルは怯えた様子で黙っている。
「ミカエル様、ウリエル様。最近エルウィン様とご一緒に食事をされましたね。どうでしたか? 久しぶりにエルウィン様にお会いされて」
「はい。とても楽しかったです。エルウィン様は色々な話をしてくれるので。戦場での話や、諸外国の話など……どれも興味深いものばかりでした」
幼い頃のエルウィンにそっくりなミカエルは怯えた様子でオズワルドに返事をした。
「さようでございましたか……ミカエル様もウリエル様もエルウィン様を慕っておりましたからな……ただ、お父上に気を使われて中々お会いできなかったでしょうが、これからは思う存分お会いになると宜しいでしょう」
「え……い、いいの……?」
ウリエルがその時初めてオズワルドを見た。
「ええ、勿論ですとも。もう何物にも遠慮されることはありません。きっとエルウィン様もお2人を快く受け入れてくれることでしょう?」
そして次にオズワルドは背後に立っているゾーイに声をかけた。
「ゾーイ」
「は、はい……」
「お前はミカエル様とウリエル様の侍女なのだ。必ずお2人をエルウィン様の元へお連れする時はついていくのだぞ?」
「は、はい……」
その言葉にゾーイは顔を赤らめた。
実はゾーイはエルウィンに密かに恋心を抱いているのをオズワルドは知っていたのだ。
(フフフ……ミカエルとウリエルをエルウィンのところに通わせ、奴の弱みを握るのだ。ついでにこの女をエルウィンの元に送り込んでやろう。いくら堅物だからと言っても所詮、奴もただの男なのだからな……)
オズワルドは今後の計画を頭の中で練り上げ……不敵な笑みを浮かべた――
ランベールの葬儀から1週間程経過した日のことだった。
この日、シュミットは葬儀の後処理で執務室を不在。スティーブは地下訓練所で騎士たちの剣術の訓練の指導にあたっていた。
一方、エルウィンは……。
「全く……俺だって剣術の指導にあたりたいのに……シュミットの奴め……」
エルウィンはブツブツ言いながら剣の手入れをしていた。シュミットからは自分がいなくとも仕事をするようにと言われていたのだが、とてもではないが今のエルウィンにはやる気が出ないでいた。
「毎日毎日書類と睨みあって本当にいやになってくる……。年々書類が増えてくるのは一体何故なんだ……?」
ブレイドにヤスリをかけながらエルウィンは、ふと思った。
「そうだ……シュミットもいないことだし、久々に領民達のところにでも行って来るか? あのリアとかいう娘にも改めて礼を言ったほうがいいかもしれないしな……」
思わず自分の考えを口に出した時――
――コンコン
扉がノックされる音が聞こえた。
「誰だ?」
声を掛けると、扉の向こう側から声が掛けられた。
『エルウィン様、ミカエル様とウリエル様がエルウィン様にお会いしたいと言うことで伺ったのですが宜しいでしょうか?』
聞き覚えのない声で返事があった。
「何? ミカエルとウリエルが? 分かった、入れ」
「失礼致します」
扉が開くとミカエルとウリエル、そして侍女のゾーイが執務室の中に入ってきた。
「エルウィン様、こんにちは」
「こんにちは」
ミカエルとウリエルがエルウィンに頭を下げる。
「ああ、2人とも。よく来てくれたな」
エルウィンは笑みを浮かべて2人を迎え入れた。
「エルウィン様。私達の為にお時間を頂き、ありがとうございます」
ゾーイはドレスの裾をつまむと挨拶をした。
「ああ、別に構わないが……そうだ。ミカエル、ウリエル。俺はこれから仕事場の様子を見に行くのだが、どうだ? 一緒に行くか?色々な作業している姿を見ることが出来るから楽しいぞ?」
エルウィンはミカエルとウリエルの2人を交互に見ながら尋ねた。
「本当ですか? 僕、行ってみたいです」
「僕も!」
ミカエルとウリエルが目をキラキラさせながら頷く。
「よし、それじゃ行くか」
そしてエルウィンは立ち上がり、剣を腰にさすと2人を見た。
「俺について来い」
「「はい」」
返事をする2人。
早速エルウィンはミカエルとウリエルを連れて執務室を出るとゾーイも後からいて来た。
(何だ? この女……)
そこでエルウィンは足を止めてゾーイを振り返った。
「何だ? 何故お前までついてくる?」
その言葉にゾーイは驚いた。
「え? あ、あの……私はミカエル様とウリエル様の侍女ですから」
「2人なら俺が仕事場まで連れて行くが? それとも俺が信用出来ないのか?」
「い、いえ。決してその様なことではありません。ですが、ミカエル様とウリエル様のお供は必ずするようにドミニコ様とバルド様から命じられておりますので」
本当はその様な命令などされていなかったが、エルウィンとの距離を近づけたかったゾーイは必死だ。
するとエルウィンの眉が険しくなる。
「チッ……! あの2人の命令か……」
舌打ちをしながらますます機嫌が悪くなるエルウィンを見てゾーイの焦りが募る。
(ど、どうしよう……。余計にエルウィン様を苛立たせてしまったわ……)
「あ、あの……私……」
「仕方あるまい」
エルウィンはため息をついた。
「え?」
「あの2人の命令ならお前も言うことを聞くしか無いのだろう。では皆で行くぞ」
踵を返すエルウィンにゾーイは嬉しそうにお礼を述べた。
「あ、ありがとうございます!」
しかしエルウィンは返事をすることもなく、3人を連れて仕事場へ足を向けた。
もはや彼の頭の中からはゾーイの存在は完全に消えていた。
その代わりに頭の中を占めていたのはセリアとアリアドネの事のみだった――
「僕、仕事場に行くの初めてなんです。僕達が食べているチーズもそこで作られているんですよね?」
仕事場を目指して長い地下通路を歩きながらミカエルがエルウィンに尋ねてきた。
「ああ、それだけじゃない。他に非常食も作っているし、糸紡ぎや織物だってやっている。俺たちがこうして暮らしていけるのも彼等の働きがあってのことだ。だから日々感謝の気持ちを忘れないことだな。それが例え、彼等の上に立つ身となってもだ」
エルウィンの言葉を背後で聞きながらゾーイはその美しい横顔にすっかり見惚れていた。
(本当にエルウィン様は何て美しい方なのかしら。彼の素顔があまり世間で知られて無くて本当に運が良かったわ。いくら『戦場の暴君』と呼ばれていても、あの美しいお顔を見れば、どんな令嬢だって恋に落ちてしまうかも知れないもの。私は本当に運が良かったわ。初めはアイゼンシュタット城に行くように父から命じられた時は嫌で嫌でたまらなかったけど、こんなに素敵な方とお会いできたのだもの……。おまけにエルウィン様には幸い女性の影が全く見えないわ。あの方の目にとまれば、ひょっとすると……)
既にゾーイの頭の中にはエルウィンの妻となり、彼の隣に立つ自分の姿を想像していた――
****
「アリアドネ。今日は一緒に作業出来て嬉しいよ」
仕事場の一角に設けられた厨房ではアリアドネの隣で仕事をするダリウスの姿があった。今日の2人は干し肉の加工作業に入っていたのだ。
「私、まだあまりこの仕事をしたことが無いから上手に作れるか不安だわ。ダリウスは慣れているの?」
鹿肉の塊を前にアリアドネは困った様子でダリウスに尋ねた。
「ああ。任せておけよ。肉は俺が切るから、アリアドネは調味液を作ってくれるか? 分量は……」
アリアドネは言われたとおりにハーブや塩、胡椒などの材料を次々と大鍋に入れていく。そして隣ではダリウスが鹿肉の脂身を落とし、薄切りに切っている。
中々の手さばきにアリアドネは関心したように尋ねた。
「ダリウスは干し肉作りに慣れているのね?」
「それは当然さ。何しろ戦場では……」
「え? 戦場?」
アリアドネはその言葉に目を見開いた。
「ダリウス、貴方はただの村人なのに戦場にいたことがあるの?」
「あ、それはほんの僅かな時間だよ。料理人としてついていったことがあるだけさ」
「そうだったの……でも料理人として戦場に行ったなんて恐ろしくなかった?」
アリアドネは眉を潜めた。
「いや、大丈夫さ。俺みたいな戦えない男は前線に出ることはまず無いから。安全地帯に残って、そこで騎士や兵士達の為に食事を用意していただけだからな」
ダリウスがそこまで話した時――
「お〜い、ダリウス。ちょっとこっちに来て手を貸してくれないか?」
別の男性作業グループからダリウスが呼ばれた。
「ああ! 分かった!」
大きな声で返事をすると、アリアドネに声をかけた。
「すまない、ちょっと手伝ってくるから悪いな。少しの間1人でやっていてくれるか?」
「ええ、分かったわ。後はお肉を切るだけよね? やってみるわ」
「頼む。それじゃ、また後で」
ダリウスはアリアドネに手をふると、男性グループの方へ向かった。
「それじゃ、やってみようかしら」
アリアドネは腕まくりをすると、包丁を手に鹿肉を切り始めた――
****
「うわ〜……仕事場って、とっても大きいんだ〜!」
「ひろ〜い!」
初めて仕事場へやってきたミカエルとウリエルはその大きさに圧巻されていた。中では大勢の下働きの中に混じって領民達も働いている。
「どうだ? お前たち」
「はい、とても興味があります」
「楽しい!」
エルウィンが尋ねると、ミカエルとウリエルが交互に返事をする。
その時。
「エルウィン様ではありませんか!」
責任者のビルがいち早くエルウィンの姿を見て駆け寄ってきた。
「今日は一体どの様なご用向でいらしたのですか?」
「ミカエルとウリエルに仕事場を見学させるために連れてきたのだ」
「左様でございましたか……」
エルウィンとビルが話をしている間、ゾーイは眉をしかめて仕事場の様子を見つめていた。
(一体、何なの? ここは……。皆薄汚れた身なりで働いて、おまけに色々な匂いが入り混じっているから、気分が悪いわ。何だって子爵家の私がこんなところに来なくてはならないのよ)
ゾーイは典型的な貴族の考えを持っていた。平民たちや自分よりも身分の低い者を見下すような人間だったのだ。
(エルウィン様とお近づきになりたくて来たのに……)
その時、突然エルウィンの言葉がゾーイの耳に飛び込んできた。
「ところでリアは今日は何処で作業をしている?」
「ええ、リアなら今日は干し肉加工の仕事をしていますよ」
「そうか、ならそこに行ってみるか? 2人とも」
(リア? リアって……誰……?)
何処か嬉しそうな顔でミカエルとウリエルに語りかけるエルウィンにゾーイは一抹の不安を感じた――
ダリウスが別の作業場に呼ばれた後、アリアドネは1人で干し肉の加工作業を行っていた。
羊肉の塊を慎重に包丁でスライスしている時……。
「リア」
不意に背後から声をかけられた。
「はい?」
振り向いたアリアドネは驚いた。何とそこにはエルウィンが立っていたからだ。しかも彼の側には2人の少年がついている。
「あ……こ、これは城主様。ご機嫌麗しゅうございます」
アリアドネは慌てて会釈し、2人の少年と目があった。2人とも黒髪で青い瞳をしており、エルウィンによく似ていた。
子供が好きなアリアドネは思わずその愛らしい姿に笑みを浮かべた。
「まぁ……なんて愛らしい……。はじめまして、私はリアと申します」
アリアドネは2人の少年にも丁寧に挨拶をした。
「はじめまして、ミカエルです」
「僕……ウリエルです」
「ミカエル様にウリエル様ですか? 本日は足を運んで頂き、ありがとうございます」
「2人は叔父上の子供達なのだ。今日は仕事場を見学させようと思って連れてきた。ついでにお前に礼を述べようと思ってな」
エルウィンがアリアドネに説明した。
「え……? 私にお礼ですか?」
「この間礼服を選んでくれただろう? あの時は時間が無くてちゃんと礼を言えなかったからな。お前のおかげで助かった。感謝する」
「い、いえ。領主様のお手伝いをするのは当然のことですから」
アリアドネは慌てた。まさかエルウィンがわざわざ自分にお礼を言いに来るとは思ってもいなかったからだ。
「いずれ何らかの形で謝礼を出そう。何か望みはあるか?」
「いいえ。何もありません。本当にお気持ちだけで十分ですので…」
「ふ……ん? そうか?」
すると、いい加減退屈になってきたのか、ミカエルとウリエルが口を挟んできた。
「エルウィン様、僕達チーズ作りを見に行きたいのですけど」
「早く行きたいです」
ウリエルはエルウィンのマントを引っ張る。
「わ、分かった。よし、それじゃ行くか」
(本当は叔父上のことでもう少し、この領民に話があったのに……仕方あるまい)
「それではな」
「はい、領主様」
エルウィンはアリアドネに声をかけると、ミカエルとウリエルを連れてチーズ作りの作業場へと向かった。
その後ろ姿を見届けていると、再びアリアドネは声をかけられた。
「ねえ。そこの貴女。少しいいかしら?」
「はい?」
振り向くと、そこにはこの作業場にはとても似つかわしくない、品の良い細身のドレス姿の若い女性が立っていた。その身なりから、アリアドネは目の前に立つ女性は貴族であると判断した。声を掛かけてきたのは勿論、エルウィン達についてきたゾーイである。
「貴女、一体誰なの?」
ゾーイは睨みつけながら強い口調でアリアドネに質問した。
「え……? 私はこちらでお世話になっておりますリアと申します」
(この方は、きっとエルウィン様の関係者ね。知らなかったわ……。この様な身分の女性もこの城に住んでいたなんて。でも何故私を睨んでいるのかしら?)
アリアドネは目の前のゾーイに警戒し、偽名を名乗った。
「嘘をおっしゃい。何かエルウィン様と関係がある人なのでしょう? そうでなければこんな所で働く女性にエルウィン様が親しげにするはず無いでしょう?!」
ゾーイはますます怒りを募らせてアリアドネを睨んだ。
彼女は自分の容姿に自信を持っていた。栗毛色のウェーブの髪に、大きなヘーゼルの瞳の彼女は実際、愛らしい姿をしていた。
しかし、ゾーイは目の前に立つアリアドネの美貌には敵わないと瞬時に悟った。
「何よ……そんな小汚い身なりで、しかもすごく獣臭い匂いをさせてよくも平気でエルウィン様の前に立てるわね」
ゾーイはわざとハンカチで鼻を押さえて軽蔑の目をアリアドネに向ける。
「え……?」
小汚い身なりと獣臭いと言われ、途端にアリアドネの顔が羞恥で赤く染まる。
「エルウィン様は貴女みたいな底辺の女が気安く近づけるようなお方じゃないのよ? いい気にならないで頂戴」
険しい顔でゾーイはピシャリと言ってのけた。
「そ、それは……」
アリアドネが言葉に詰まったその時。
「何をしているんだ?」
そこへダリウスが2人の前に現れ、そしてゾーイを睨みつけた――