8時半――

「ではエルウィン様、セリアさんを連れて参りますね」

執務室の机に向かって座るエルウィンにシュミットは声をかけた。

「ああ、頼む。それと執務室はやめだ。セリアを俺の私室に来るように伝えてくれ。式服は俺の部屋に置いてあるからな」

「はい、かしこまりました」

シュミットは執務室を出た。

(やはりエルウィン様はセリアさんを信頼しているのだな……彼女以外は誰一人女性を私室に招いたことは無いし)

言うなればセリアはエルウィンにとって、年の離れた姉のような存在であった。

「久々に2人だけにしてさしあげよう。積もる話もあるだろうし……」



****

「えっ!? 何ですってっ!? アリアドネ様が代わりに……ですかっ!?」

仕事場にセリアを迎えに来たシュミットは驚いた。まさか体調を崩したセリアの代わりにアリアドネがエルウィンの式服選びに名乗りを上げたとは思いもしなかったのだ。

「は、はい……そうですが……」

アリアドネは戸惑っていた。何故シュミットがこれほどまでに驚くのか分からなかったからだ。

「ええ、そうですよ。何故そんなに驚かれるのですか?」

アリアドネの隣に立つマリアは腰に腕をあてている。

「で、ですが……」

シュミットは焦っていた。
焦りの理由は2つあった。

1つは、もし万一エルウィンにアリアドネの正体がばれてしまったらアリアドネだけでなく、現在療養中のヨゼフまでただではすまないかもしれない。
尤もシュミットもスティーブにしろ、エルウィンの怒りを買うだろうが、そんな事は些細な問題では無かった。
要はアリアドネが再び傷つけられないかが心配だったのだ。

そしてもう1つはシュミット自身の気持ちの問題だった。
エルウィンの着る式服をアリアドネが選ぶ……その光景を思い浮かべるだけで、訳の分からない気持ちがシュミットの胸にこみ上げてくる。

「あ、あの……? シュミット様?」

「どうしたんです?」

アリアドネとマリアは先程から口を閉ざし、うつむくシュミットに声をかけた。

「あ、も、申し訳ございません! ではすぐに参りましょう、アリアドネ様」

「はい、どうぞ宜しくお願い致します」

アリアドネは頭を下げた。

(そうだ、余計な考えは捨てなければ。今は一刻も早くエルウィン様の元へ行かないと……遅れる方が余程まずい)

そしてシュミットはアリアドネを伴って、エルウィンの私室へと向かった――


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城の中は大勢の騎士や兵士、それにメイド達やフットマン達が葬儀の準備の為、慌ただしく廊下を行き来していた。
彼らはシュミットに連れられて歩くアリアドネを興味深気に見つめ、何やらコソコソと話している。

「あら? あの女性……誰かしら?」

「さぁな、でもあの格好……下働きか領民じゃないか?」

「そう言えばエルウィン様が女を巡って兵士を恫喝したことがあったな……」

「その後、ランベール様とも揉めたらしいわ」

その言葉がアリアドネの耳に飛び込んできた。

「!」

(やっぱり……あの時の話がもう噂になっているのだわ……)

エルウィンとランベールの確執をより一層深めてしまった原因が自分にある事はアリアドネは分かりきっていた。
思わず俯くと、すぐにシュミットが気付いた。

「アリアドネ様、気にすることはありません。いずれ噂も無くなるでしょうから。それでもまだ何か言ってくるような者がいれば私の方から彼らにきつく言って聞かせますので」

「はい……ありがとうございます」

アリアドネは弱々しく返事をした。

****

「こちらがエルウィン様の私室です」

ひときわ大きな真っ白な扉には、2頭のドラゴンが向かい合わせに後ろ足で立っている木彫りのレリーフがはめ込まれていた。
アリアドネはその立派な造りに思わず目を見張った。

「まぁ……なんて見事なレリーフ……」

「はい、実はアイゼンシュタット家の紋章はドラゴンのマークなのです」

シュミットは説明すると、扉をノックした。


――コンコン

「エルウィン様、宜しいでしょうか?」

ガチャッ!

すると間髪あけずに笑みを称えたエルウィンが扉を大きく開け放した。

「来たのか? セリア! ……え? お前は……!」

エルウィンはアリアドネの姿に驚いた。

「……城主……様……?」

またアリアドネも初めて見るエルウィンの笑顔に驚いていた。

そしてシュミットはエルウィンとアリアドネが互いに見つめ合う姿を複雑な心境で見守っていた――