アリアドネがアイゼンシュタット辺境伯の元へ嫁ぐ覚悟を決めたその日からステニウス伯爵家は慌ただしくなった。
まず、一番最初に行われたのはミレーユを避暑地として利用している領地に行かせる準備から始められた――


****

「ちょっと! 何してるのよっ! そのドレスも持ってくのよっ! 愚図ねっ!」

ミレーユは自分の出立の準備をしているアリアドネを怒鳴りつけた。

「は、はい! 申し訳ございません!」

アリアドネは頭を下げると、すぐにクローゼットからミレーユに指摘されたドレスをハンガーから取り外すと、丁寧にたたんで衣装ケースにしまう。

「ほら、ぐずぐずしないで頂戴! あの水色のドレスも持って行くのだからシワにならないように丁寧に畳むのよ!」

ミレーユはアリアドネに指示しながら、自分はお気に入りの恋愛小説を読んでいる。そして嫌味たっぷりにアリアドネに言った。

「私みたいに沢山物を持っていると大変よね。あれもこれも持って行く準備をしないとならないから苦労するわ。でも、その点お前はいいわね。持ち物と言えば支給されたメイド服と下着位でしょうから」

しかし、心穏やかなアリアドネはミレーユの嫌味な態度にも気に留めず返事をする。

「はい、そうですね。私は何も持って行く物がありませんので、すぐに準備を終えられます。お陰様でミレーユ様の出立のお手伝いをさせて頂くことが出来ます」

「……あ、そうっ!」

ミレーユはアリアドネが堪える様子が無いので拍子抜けしてしまった。

(全く……もっと悲し気な顔や悔し気な態度を取れば面白いのに、ここまで無反応の対応するなんて面白みも何ともないわ。挙句の果てに私よりも先に結婚するのだから何だかとっても不愉快だわ!)

呆れたことに、ミレーユはアリアドネが自分の身代わりで結婚するのに、自分よりも早く嫁ぐことになるアリアドネに嫉妬していたのだった……。



****

 翌日午前10時――

ステニウス伯爵は避暑地へ向かう為に馬車に乗り込んだミレーユとマルゴットの見送りに、アリアドネを伴って城のエントランス前に出ていた。


「それでは領地まで気を付けていくのだぞ」

ステニウス伯爵は笑みを浮かべながら2人に声をかけた。

「はい、お父様」

「ええ。勿論よ。ところで……」

ジロリとマルゴットはアリアドネを睨み付ける。

「何故この娘が私達の見送りに来ているのかしら?」

その言葉にアリアドネの肩がビクリと跳ねた。

「も、申し訳ございません」

頭を下げて謝罪しながらアリアドネは心の中で思った。

(やっぱり私はお見送りに来るべきでは無かったのに……何故お父様は私までここに呼んだのかしら)

「いや。私がアリアドネをここに連れて来たのだ。お前たちが避暑地に辿り着く頃にはアリアドネはここにもういない。これがお前達と顔を合わせる最後だと思ったからな」

ステニウス伯爵は説明した。

「フン……確かに言われてみればその通りね」

マルゴットはアリアドネを鼻であしらった。

「さぁ、アリアドネ。お前はこの2人に散々お世話になったんだ。もう二度と会う事は無いだろうから、きちんと最後にお礼を言うのだ」

伯爵はアリアドネに命じた。

傍から見れば、何と勝手な物言いだと思われても仕方ない言葉だった。アリアドネはこの2人の世話をしたことはあるけれども、1度たりとも世話を焼いてもらったことは無かった。
それでは何故伯爵がわざわざこの場にアリアドネを呼んだかと言うと、理由は自分の若かりし頃の過ちでメイドを身ごもらせ、さらに出産させてしまった贖罪をアリアドネ自らに負わせたかったからなのであった。

「マルゴット様、ミレーユ様。18年間私をこちらに置いて頂き、ありがとうございました」

アリアドネは馬車に乗り込んだ2人に深々と頭を下げた。この台詞すら、実の父親であるステニウス伯爵に言う様に命じられたものであった。

「まぁいいわ。もう二度とあんたに会う事はないんだしね」

ミレーユは頬杖をつきながらアリアドネを見た。

「目障りだからさっさと出て行きなさいよ。嫁ぎ先で、くれぐれも私達の品位を落とすような真似はやめなさいよ」

実の娘のミレーユを棚に上げ、マルゴットはアリアドネに釘を刺した。

「はい、心に留めておきます」

アリアドネは再び頭を下げた。

「よし、別れの挨拶はこの位で良いだろう」

伯爵は自ら馬車の扉を閉めると御者に馬車を出すように命じると、すぐに馬車は走り出して行った。その姿を見届けると、伯爵はアリアドネに声をかけた。

「よし、今からお前の輿入れの準備をするぞ。あの2人がいればギャアギャアと騒いで準備の妨害をしてくるだろうからな」

「え……?」

(もしかして私の結婚準備を行う為にお姉様とマルゴット様を避暑地に行かせたのかしら?)


アリアドネは父の初めて自分に向けてくれた心遣いに感動したが……すぐに真意に気付き、ショックを受けるのだった――