「何だ?」

エルウィンは足を止めるとアリアドネを振り返った。『戦場の暴君』と恐れられている相手を前に、アリアドネは緊張しながらも口を開いた。

「例え、他の領地の方々や…敵国の人々が『アイゼンシュタット』の城の人達をどんなふうに言おうとも……私も、ここで働く人々や領民の人達も皆さん全員、感謝しております。命を懸けてこの国を守る為に戦って下さっている事も、厳しい冬を乗り切るために領民達を受け入れて下さっている事も中々他の領主では出来ない事です。本当にありがとうございます」

「……」

エルウィンはアリアドネの言葉を黙って聞いていた。

「あの……城主様……」

(どうしよう……もしかしてまずい事を口にしてしまったのかしら……)

エルウィンが何も返事をしないので、アリアドネは慌てて謝罪した。

「も、申し訳ございません! 勝手な事を口にしてしまいました」

「何故謝る?」

「え…?」

恐る恐る顔を上げると、そこにはじっとこちらを見つめているエルウィンの姿があった。

「領民からそう言って貰えるのは悪くないな」

エルウィンは少しだけ口元に笑みを浮かべた。

(え……? わ、笑った……? あの辺境伯様が……?)

「今まであまり領民達と話をする機会が無かったからな。ましてこんな1対1でなど尚更だ。貴重な話を聞くことが出来た」

「お、恐れ多い事です」


「今後は、越冬期間中はもっと領民達と会話の場を設けた方がいいかもしれないな」

(え……?)

アリアドネに緊張が走る。

「よし、それでは戻るか」

そしてエルウィンは再び、前を向くと歩き出した。

「はい」

アリアドネは返事をすると、エルウィンの後を追う様について歩き始めた。が……生きた心地がしなかった。

(どうしよう……私はこの城で下働きとして置いて貰っているのに、辺境伯様は私の事を領民だと思っていらっしゃるわ……もし、私が領民では無いとバレてしまったら……)

自分が剣を向けられそうになった恐怖が蘇って来る。

すると不意にエルウィンが歩きながら再び声をかけてきた。

「……冬場の仕事はきついのか?」

「え……?」

「その手……随分手荒れが酷そうだ」

「い、いえ。これでも大分改善されたので、大丈夫です」

「……そうか」

一瞬、エルウィンはチラリとアリアドネを見ると再び前を向いて歩き始めた。

(まさか……手荒れを見られていたなんて……)

何て目が良い人なのだろう……とアリアドネは思った。



 やがて廊下を歩いているとメイドやフットマン……そして騎士や兵士達と廊下で会ったが、先程の騒ぎが全員に伝わっているのだろう。だれもがエルウィンを見かけると、慌てた様に頭を下げる場面にアリアドネは何度も遭遇した。

(やはり、エルウィン様は城の人達に恐れられているのね)

そんなエルウィンがアリアドネは少しだけ哀れに思えた。


「……チッ」

不意にエルウィンが忌々し気に舌打ちをすると、足を止めた。

「あの……? 城主様……?」

アリアドネは不思議に思って、声を掛けると突然エルウィンは自分の首に巻いていた紺色のクラバットを外し、アリアドネに差し出してきた。

「あ、あの……?」

途惑っていると、エルウィンは言った。

「……まずい奴が来た。それを被って、なるべく顔を隠しておけ」

「は、はい」

何の事やらアリアドネにはよく分らなかったが、言われた通りにクラバットを広げて頭から被り、顔を隠した。

その時――


「聞いたぞ、エルウィン。お前は私が招き入れたメイド達を怒鳴りつけたそうじゃないか?」

前方から声が聞こえてきた。

「叔父上……」

エルウィンは忌々し気に口を開いた――