エルウィンの青い目がアリアドネを射抜くように見つめている。その青く澄んだ目に思わずアリアドネは見惚れかけ……ハッとなった。

(そうだわ、助けて頂いたのだからお礼を言わなくては!)

「危ない所を助けて頂き、ありがとうございました。城主様」

そして頭を下げた。
先程は思わずエルウィンの青く澄んだ瞳を見つめ返してしまったが、考えてみれば彼はこの地を守る辺境伯であり、『戦場の暴君』と恐れられている男。迂闊に目を遭わせてはいけない相手だと言う事をアリアドネは一瞬忘れていた。

(そうよ……それに私は押しかけ妻として、辺境伯様から追い払われているのだから……。怪しまれたらどうすればいいの……?)

アリアドネの心臓は激しく脈打っていた。

しかし、エルウィンの口から出た言葉は意外な物だった。


「大丈夫だったか? 先程強く腕を握られていたが……」

「え……?」

驚いて思わず顔を上げると、そこにはじっとアリアドネを見つめているエルウィンの姿があった。

「は、はい。大丈夫です。何ともありません。……お気に掛けて頂き、ありがとうございます」

アリアドネは再度頭を下げた。

「その足元に置かれたブリキのバケツ、ひょっとすると炭を運んで来たのか?」

エルウィンはアリアドネの足元に置かれたバケツを見て尋ねてきた。

「はい、そうです。メイドの方達に頼まれましたので」

「ああ……あいつらか。あんな奴らは正規のメイドではない。他のメイド達とは部類が違うからな。メイドの仕事なんか殆どやっていない。第一あいつらの本来の仕事では無いからな」

エルウィンは忌々し気に言った。

「……そうなのですか…」

アリアドネは何と返事をすれば良いか分らず、曖昧に答えた。

「とにかく、お前のような若い娘はあまり城内へ来ない方がいい。城の中にはたまにあいつらの様に質の悪い男達がいるからな。全くふざけた連中だ……。これも全部叔父のせいだ」

エルウィンの最後の言葉は小さすぎて、アリアドネの耳には聞き取れなかった。

「あ、あの……城主様……」

アリアドネはこの後、自分はどうれば良いか分らずに恐る恐るエルウィンに声をかけた。
するとエルウィンはアリアドネを振り向く。

「戻るぞ」

「え?」

「作業場で仕事をしていたのだろう? 1人で戻るとまたああいう輩に遭遇し、危ない目に遭うかも知れないからな。俺が連れて行ってやる」

「え?」

アリアドネは驚いた。まさかエルウィンの口からそのような言葉が出て来るとは思わなかったからだ。

「何だ? 何か言いたい事でもあるのか?」

「い、いえ。まさか城主様にそのようにお声を掛けて頂けるとは思わなかったものですから。……有難うございます」

「領民を守るのも城主の仕事だからな。行くぞ」

エルウィンは踵を返すと、アリアドネの前を歩き始めた。


(辺境伯様は私が領民だと思っているのね)

前を歩く背の高いエルウィンを見つめながらアリアドネは思った。
よくよく考えてみると、アリアドネは初めてエルウィンと対面した時にヴェールを被っていた。
そして顔を見せる為にヴェールを外そうとすると、エルウィンに止められたのだ。

(私の事が誰か分らなくても当然よね)


すると前を歩くエルウィンが不意に話しかけてきた。

「この城がこんな状態になるのは越冬期間中だけだ。越冬期間が終われば、ほとんどの騎士や兵士はこの城を開けて戦いに赴くからな。だが……以前はこんな事は無かった。城の風紀がこれ程までに乱れてしまったのは俺が城主になった3年前からだ。こんな事だから我々は野蛮人だとか田舎者だとか、陰口を叩かれ、国の国境を守っているのに馬鹿にされてしまうんだ……。あいつらのせいで『アイデン』の品位が落とされている」

アリアドネは不思議でならなかった。何故辺境伯ともある人物が、自分にこのような話を持ちかけて来るのか分からなかった。

(ただ、これだけは伝えたい……)

「あの……城主様……」

アリアドネは思い切って、前を歩くエルウィンに声をかけた――