「ご苦労だった。お前は下がって良いぞ」

ハロルドはアリアドネを連れて来たフットマンに声をかけた。

「はい、それでは失礼致します」

フットマンは一礼すると、部屋を去り際に扉を閉めて出て行った。

――バタン

扉が閉まると、たちまちアリアドネに緊張が走る。何故ならハロルドとミレーユとは血の繋がりがあるものの、家族とは到底呼べない間柄だったからだ。所詮、この3人とアリアドネは伯爵家の人間たちと彼らの下で働かされているメイド……いや、それ以下の関係だったからである。


「お呼びでしょうか……ハロルド伯爵……。マルグリット様、ミレーユ様」

アリアドネは深々と頭を下げた。

「喜ぶが良い、アリアドネ」

ハロルドがアリアドネに生まれて初めて笑みを見せた。

「え……?」

その様子にアリアドネは我が目を疑った。すると次にミレーユが声をかけてきた。

「貴女の嫁ぎ先が見つかったのよ。感謝しなさい」

「そうよ。お前のような卑しい身分の者には勿体ない程の縁組なのよ。嬉しいでしょう?」

マルゴットは嫌味たっぷりに言う。

「え……?嫁ぎ……先……?」

(一体どういう事なの……?)

アリアドネは訳が分からず戸惑っているとハロルドが口を開いた。

「実は国王陛下より、ステニウス伯爵家の令嬢をアイゼンシュタット辺境伯に嫁がせるように命令が下ったのだ。そこで今回アリアドネ。お前にミレーユの代わりに嫁いで貰う事にしたのだ」

「えっ!? そ、そんな……!」

アリアドネは我が耳を疑った。自分がミレーユの代わりに嫁ぐなど到底無理だと思った。

「あら何よ。この結婚に不満だと言うの?」

ミレーユは恐ろしい眼つきでアリアドネを睨み付けてきた。

「まさか行きたくないと逆らうつもりなのかしら? また手の平を鞭で叩かれたいの?」

マルゴットの言葉にアリアドネは震えるも、口を開いた。

「い、いえ……そういう事ではありません。わ、私はこの通り貴族令嬢としての嗜みなど一切持ち合わせておりません。とてもミレーユ様の代わりに嫁ぐ等無理です。私のような者が辺境伯の元へ嫁げばステニウス伯爵家の名に傷をつけてしまいます。どうぞご容赦願えないでしょうか……?」

小刻みに震えながらもアリアドネは自分の意見を述べた。

「いいのよ! お前はそんな事気にしなくても。それに辺境伯は心のおおらかな方なのよ。大体変に頭の良い女よりも多少馬鹿な女の方がお相手の男性にとっては好ましいのよ! 変な気を回すのはおよしなさいっ!」

マルゴットはアリアドネが辺境伯の事を何一つ知らないのをいい事に、口から出まかせを言った。

(フフフ……。アリアドネは貴族社会を知らないから辺境伯がどれ程暴君で血に飢えた男か知らないわ。アリアドネがミレーユの代わりに自分の元へ嫁いで来た事を知れば、ひょっとすると彼は激怒してアリアドネを殺すかもしれないわね。何しろ血に飢えた暴君と呼ばれている位なのだから。どのみち、この娘を送ってしまえば厄介払いが出来るものね)

この3人の中で誰よりも一番アリアドネを憎んでいるマルゴットは心の中で恐ろしい事を考えていたのである。

「そ、そうなのですか? 辺境伯は……心のおおらかなお方……なのですね?」

「ああ、そうだ。何しろ辺境伯自らが、ステニウス伯爵家の娘を妻に娶りたいと国王陛下に申し出たのだからな」

あろう事か、ハロルドまでもが実の娘であるアリアドネに嘘をついた。

「その通りよ。アリアドネ。きっと辺境伯は貴女を大切にしてくれるわ」

(フフフ……。嫁ぎ先で騙した罰を受けてしまえばいいわっ!)

ミレーユは醜い辺境伯にアリアドネが体罰を受ける姿を思い浮かべ、ほくそ笑んだ。

「私を……大切に……?」

一方、誰よりも優しさや愛情を渇望していたアリアドネにとって、この婚姻は素晴らしいものに思えてきた。

(そうよね……。きっと辺境伯と結婚すれば、今よりも幸せになれるかもしれないわ。どうせここにいても私は厄介者なのだから)

「分りました。ミレーユ様の代わりに私が辺境伯の元へ嫁がせて頂きます」


アリアドネが心を決めた瞬間だった――