シュミットとヨゼフはアリアドネの涙を見て驚いてしまった。
「辺境伯様のお気持ちは良く分りました……。た、ただでさえ妻を望んではおられなかったのに……勝手に押しかけたうえに私は存在すら知られていない……妾腹の娘なのですから。拒絶されて当然です……。本来であれば姿を現すのもおこがましい存在なのに……」
肩を震わせ、絞り出すように話すアリアドネの姿は見るに堪えない程であった。
「アリアドネ様……本当に申し訳ございませんでした……」
シュミットにはもはやひたすら謝罪する事しか出来なかった。しかし、謝れば謝る程にアリアドネの心を傷つけてしまう事も自分で理解していた。
(一体どうすればアリアドネ様の心を救って差し上げる事が出来るのだ……!)
シュミットは自分の取った浅はかな行動を激しく後悔していた。自分たちの領地を守る為に、アリアドネを犠牲にしてしまったと思うと申し訳なくてたまらなかった。
「アリアドネ……可哀相に。そんなに泣かなくても大丈夫だ。私がずっと傍についているから……」
ヨゼフがアリアドネの肩に手を置いた。
「ヨ、ヨゼフさん……」
アリアドネは涙に濡れた瞳でヨゼフを見つめる。
「私はアリアドネが誰よりも気立てが良いのを知っている。同じステニウス伯爵様の娘として生まれておきながら、母親が正妻では無いと言うだけで差別をされて使用人として働かされながら、何一つ文句を言う事も無く、頑張っていた事をな。実はお前をこの城に連れて来ようと決めた時から、アリアドネを見守っていこうと決めていたのだよ。だからお前は1人じゃない」
ヨゼフは静かに語る。
「あ、ありがとうございます……ヨゼフさん……」
アリアドネは涙交じりにヨゼフに礼を述べた。
一方、シュミットはそんな2人の様子を呆然と見つめていた。
(そんな……まさかアリアドネ様が伯爵家で使用人として扱われていたなんて。何と酷い事をするのだろう。エルウィン様だってアリアドネ様の境遇を知っておられたら、このように無下に追い出す事は無かったかもしれない)
「アリアドネ。これからどうする? 2人で何処か旅をして住みやすい場所を見つけて一緒に親子として暮らして行くか? 何、私は年だがまだまだ働けるさ。私はお前の望みに従うよ」
ヨゼフの言葉にシュミットは提案してきた。
「それではこちらでも出来るだけの事はさせて頂きます。お金もご用意しますし、寒さをしのげる馬車も用意させて頂きますので」
しかし、アリアドネは首を振った。
「いいえ、御用意して頂かなくても大丈夫です。その代わり……」
アリアドネは顔を上げた。もうそこに涙は無かった。
「私をここの下働きとして置いて頂けないでしょうか?」
アリアドネの突然の申し出にシュミットは驚いた。
「アリアドネ様!? 本気で仰っているのですか!?」
「はい。本気です。私には……もう帰る場所はありません。父からは二度と戻って来ないように言われているのです。それに今更何所に行けば良いかも分りません。ここの使用人の女性の方々は皆とても良い方たちばかりでした。ずっとここに置かせて頂きたいと昨晩思いました。どうかお願い致します」
「私からもお願い致します」
その様子を見たヨゼフも頼み込んできた。
「お、お待ち下さい。お2人共、どうか顔を上げて頂けませんか?」
シュミットに言われ、2人は顔を上げた。そこで再びシュミットは口を開いた。
「アリアドネ様。ここ、アイゼンシュタット城は普通の貴族たちが住まう城とは全く違うのですよ?」
「はい、知っています。厳塞要徼《げんさいようきょう》と呼ばれ、敵国からの侵略を防ぐための砦のような城なのですよね?」
「ええ、そうです。なので、この城で働く者は全て戦闘要員なのです。勿論戦いを専門にした騎士たちは大勢いますが、万一敵がこの城を攻めてきた場合、我々は一丸となって立ち向かわなければなりません。その為男性使用人達に限らず、下働きとして働く女性達ですら、いざとなれば武器を手に戦うのですよ? しかもこれから厳しい冬がやってきます。辺りは一面の雪に覆われ、この城は完全に孤立します。……尤もこの期間は流石に敵国からの侵攻はありませんが、冬もとても住みにくい場所なのです。それ故、エルウィン様は貴女をこの城から出て行かせようとしたのです」
シュミットには分っていた。何故エルウィンが決して妻を娶ろうとしないのか、その理由も。それは悲しいエルウィンの過去にある事も。
「ええ、分っております。戦う事は出来ませんが、怪我の治療なら出来ます。私は母を亡くしてから8年間ずっとメイドとして働いてきました。家事なら得意です。決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?」
アリアドネは再びシュミットに頭を下げた――
「で、ですが……」
シュミットはあまりにも突然のアリアドネの申し出に驚いた。まさかこの城に使用人として置かせてもらいたいと願い出てくるとは思いもしていなかった。
けれどアリアドネは真剣な目でじっと自分を見つめてくる。
「まさか本気なのですか?」
「はい、本気です。お願いです。私をここの使用人として、置いて下さい」
「ですが……」
尚も言い淀んでいると、再びヨゼフも頭を下げてきた。
「どうか私からもお願いします。アリアドネの望み通りにしてやって下さい。幸いにも辺境伯にはアリアドネの顔は見られておりません。仮に何処かで2人が顔を合わすような事になったとしても、辺境伯にはアリアドネだとバレてしまうことはありません」
「……確かにその通りですが……しかし……」
シュミットはアリアドネとヨゼフに関して負い目がある。本来であれば2人の望む通りに下働きの使用人として城に置いてあげるのが筋なのだろうが、それでもまだ迷いがあった。
(自分が安易に国王に報奨金とステニウス伯爵令嬢を貰い受けると書簡を送ったばかりにアリアドネ様とヨゼフさんがエルウィン様に城から追い出される羽目になってしまった。だが、この城の生活はアリアドネ様にはきついと思うのだが……それに……)
シュミットには更にもう一つ、心配事があった。それはアリアドネがこの城に似つかわしくない程に若く、美しい女性であるという事であった。
この城の騎士の中には昨日アリアドネに無礼を働いた部類の粗暴な騎士達も僅かながらいる。その様な不逞の輩が存在する場所にアリアドネを置いても良いのだろうか?
(アリアドネ様の様に人目を引くような美貌の女性がこの城にいて、果たして無事でいられるかどうか……)
自分が常に目を光らせていられれば良いのだろうが、あいにくそうはいかない。何故なら事務処理が苦手なエルウィンの補佐と言う重要な役割がシュミットにはあったからだ。
(やはり……難しいだろうな……)
「ですがアリアドネ様。この城には騎士でありながら、昨日あなた方に無礼な振る舞いをした輩もおります。その様な者たちがいる場所で暮らすのは危険だと思うのです」
「それは……」
途端にアリアドネは意気消沈してしまい、俯いてしまった。
「アリアドネ……」
そんな彼女をヨゼフは気の毒そうに見つめる。
(エルウィン様がアリアドネ様の立場をはっきり皆の前で宣言してくれれば、身の安全を保証する事が出来るのに……。だがそんな事は不可能だ……)
シュミットはテーブルの上で組んだ両手に力を込めた。
するとその時――
「いいじゃないか、シュミット。この2人を城に置いてやれよ」
扉の奥から声が響き渡ると同時に部屋の中にスティーブが現れた。
「スティーブッ! お、お前、いつからそこに!?」
シュミットはいきなり現れたスティーブに驚き、立ち上がった。
「あ……」
部屋に入ってきたスティーブにアリアドネは見覚えがあった
(あの方は確か昨日門番に掴まった私を助けてくれた方……)
「アリアドネ……あの方はもしや……」
ヨゼフも気づいたのだろう。アリアドネに声をかけてきた。
「ええ、あの方は……」
戸惑うアリアドネとヨゼフを前にスティーブは頷いた。
「いつから俺がここにいたかって? 最初からいたさ」
「何だって? 最初からだって?」
シュミットは眉をしかめた。
「ああ、そうさ。お前がこの方達を連れてここに向かっているのを偶然目にしたから後をつけてきたのさ」
「……盗み聞きとは達が悪いな……」
「別に盗み聞きするつもりは無かった。只、中に入るタイミングを図っていただけだ。別にいいんじゃないか? こんなに頼んでいるんだから城に置いてあげたって。大体こんな事になってしまったのは俺たちのせいでもあるわけだし」
「だが……」
「俺が奴らに言い聞かせる。もし御令嬢やご老人に無礼な働きをしようものなら、この俺が許さないとな。もし少しでも昨日のような行いをすれば厳罰に処してやる。どうだ?」
「それは……」
(スティーブはアイゼンシュタット城の将軍。彼の言う事なら連中も素直に従うかもしれない……)
「なら、スティーブ。アリアドネ様とヨゼフさんの身の保証を約束してくれるのだな?」
「ああ、勿論だ。騎士に二言はない」
「当然エルウィン様には内緒だぞ?」
「それくらい分かっている。当然だろう?」
「なら、お前にお2人を頼む」
スティーブの提案をシュミットは承諾することにした。
「よし、決まりだな」
スティーブは頷くと、次にアリアドネとヨゼフの方を振り向いた。
「私はこの城の騎士団長のスティーブと申します。アリアドネ様、ヨゼフさん。我々はあなた方を歓迎致します。これからよろしくお願い致します」
そして2人に笑みを浮かべた――
「よし、話は決まったな。それじゃ俺があなた達を寄宿舎まで送りますよ」
スティーブが2人に声をかけた。
「ありがとうございます。」
「これからよろしくお願い致します」
アリアドネとヨゼフは丁寧にスティーブに頭を下げた。
「え? お前が連れて行くのか? 騎士達の訓練はいいのか?」
シュミットが尋ねた。
「ああ、いいんだ。あいつら朝の6時からつい先ほどまで大将に猛特訓受けさせられていたからな……少し休憩させてやらないと」
スティーブの言葉にシュミットは苦笑した。
「そうか……朝の6時から……」
(きっと昨日の事で相当腹を立てられたのだろう。まぁ事情が事情なだけに、陛下に文句を言う事は無いだろうが……)
昔からエルウィンはむしゃくしゃする事が起こると、騎士達に半ば強制的に猛特訓を受けさせていたのだ。
「それより、お前の方こそ早く大将の所へ戻った方がいいぞ。まだ執務室の机の上には書類が山積みになっているからな」
「ああ、分った。すぐにエルウィン様の元へ行く」
そんな2人の会話を黙って聞いていたアリアドネだったが、不意にシュミットに話しかけて来た。
「シュミット様」
「はい、何でしょうか?」
シュミットは笑みを浮かべてアリアドネを見た。
(アリアドネ様は不幸な生い立ちの女性だ。出来るだけ親切にして差し上げないと……)
「お忙しいのに、わざわざお時間を割いて頂き、ありがとうございました」
「いいえ、それでは私はもう行きますが……何かお困りの事があれば、私か……」
するとスティーブが手を上げた。
「俺に言って下さい」
「はい。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
アリアドネに続き、ヨゼフも礼を述べた。
「それではお先に失礼致します」
シュミットは2人に頭を下げると、急ぎ足でエルウィンの元へ向かって行った。
「さて、俺達も行きましょう」
「「はい」」
スティーブに促されてアリアドネとヨゼフは返事をした――
****
アイゼンシュタット城の荒涼とした中庭をスティーブが先頭に立って歩きながら話しかけて来た。
「それにしても…お2人だけでこのような辺境の地に無事に辿り着くことが出来て、本当に運が良かったです」
「え?」
「どういう事なのでしょうか?」
ヨゼフが前を歩くスティーブに尋ねた。
「ええ。この領地は北部に位置し、『レビアス』王国の中では最も過酷な環境下に置かれているのですが、基本的にこの国は肥沃な大地に覆われ海にも恵まれている、非常に裕福な国なのです。それ故にこの国は常に他国からの侵略の危機に脅かされています。そして最前線に立って他国からの侵略を防ぐ為に戦うのが我々の使命なのです」
「はい、知っています。皆さん、本当に命を懸けてこの国を守って下り…感謝しかありません」
「え…?」
アリアドネの言葉にスティーブは不意を突かれたかのような気持ちになってしまった。今まで他の領地に住まう人々から一度たりとも、その様に言われた事が無かったからだ。彼らは皆、アイゼンシュタットの者達は血の気が多くて好戦的な人種なのだから『レビアス』王国の為に戦うのは当然だと思っていたからだ。
(けれど…この女性は他の人達とは違う考えを持っておられるようだ…)
スティーブは少しだけアリアドネに興味が湧いて来た。
そして再び話を続けた。
「そう言って頂けると、我々としても嬉しい限りです。ありがとうございます。それで先程の話の続きになりますが…その為、このアイゼンシュタット領地には宿場町等に敵国の間諜が紛れ込み、些細な争いが勃発する事が度々あるのです。ですがその様な争いに一切巻き込まれる事も無く、無事に城まで辿り着くことが出来たのですから…あなた方は運が良かったです」
「あ…」
アリアドネはスティーブの話を聞き、改めてゾっとした。
(そうだったのだわ…私達が旅の途中で恐れるのは狼だけでは無かったのだわ…)
ヨゼフもその事に始めて気付いたのだろう。隣を歩くアリアドネに言った。
「アリアドネ、本当に我らは運が良かったのだな」
「はい、そうですね…」
「いや~だから正直言って驚きましたよ。まさかお2人だけで無事にここまで辿り着けたのですから…あなた方の名はこの地に伝説として残るかもしれませんね」
「まぁ、で、伝説ですか…?」
「何だか照れ臭い話だな」
「ええ、伝説ですよ」
スティーブは自分の話ですっかり青ざめてしまったアリアドネとヨゼフの為に、軽い冗談を言ってその場を和ませた―。
アリアドネ達と別れて、1人執務室の前にやってきたシュミットは扉をノックしながら声をかけた。
――コンコン
「エルウィン様……いらっしゃいますか?」
「……ああ。入れ」
「それでは失礼致します……」
返事が聞こえたのでカチャリと扉を開けて執務室の中へ入ると、目の前に置かれた大きな書斎机にはエルウィンの姿が無い。あるのは山積みにされた書類と、からっぽの大きな背もたれ付きの椅子だけである。
「エルウィン様? どちらにいらっしゃるのですか?」
エルウィンの姿が見えない事で、シュミットは辺りを見渡した。
「ここだ……」
「え?」
声の聞こえた方向を見ると、そこにはページの開いた本を顔の上に乗せ、長ソファの上に寝そべるエルウィンの姿があった。
「ふぅ……」
シュミットは溜息をつくと、ソファの上で寝そべるエルウィンの傍に近付き、顔の上から本を取り上げた。
「エルウィン様、本は顔の上に乗せるものではありません。読むものですよ」
「……そんな事位分っている」
エルウィンは目を閉じながら答える。
(本当にこうして静かにしていると彫刻の様に美しい上品な顔だちなのに……)
「おい、何を考えて俺の顔を見ている?」
エルウィンは目を閉じながらシュミットに尋ねてきた。
「いいえ。いつになったらここから起き上がって、書類にサインをしていただけるのかと思っただけです。このままでは領民達が冬を越せなくなりますよ? それでも良いのですか?」
「……チッ。相変わらず嫌味な奴だ」
エルウィンは目を開けて、起き上がると漆黒の髪をかき上げてため息をついた。
渋々書斎机に向かうと忌々し下にシュミットを睨みつけた。
「大体、俺はペンを握るよりも剣を握る事が専門なのだ。事務作業は全てお前の仕事だろうが!」
「エルウィン様。いつまでそのような事を申されるのですか? 貴方がここの城主を引き継ぎ、既に3年になるのですよ? それともなにか心にわだかまりがあって仕事に手が付かないのですか?」
シュミットの言葉にエルウィンがピクリと反応する。
「……別にそんなものは無い。分ったよ……やればいいんだろう? やれば」
「はい。そうです」
シュミットの返事にエルウィンは再びため息をつくと、書類に向き合い始めた。
その様子を見たシュミットもエルウィンの書斎机の脇に置かれた自身の机に向かい、仕事を始めた。
カチコチカチコチ……
少しの間、規則正しく時計が秒針を打つ音と紙の上にペンが走る音が続いていたが、やがてエルウィンはシュミットを呼んだ。
「……シュミット」
「はい、何でしょう?」
「お前、今朝もいなかったな。一体何所へ行っていた?」
「え? ええ。城内の様子を巡回していただけですが?」
「ふ~ん……そうか。何かいい事でもあったのか?」
「えっ!?」
突然のエルウィンの言葉に、普段は平気で無表情を装えるシュミットは狼狽えてしまった。
そんなシュミットの様子を訝し気な目で見つめるエルウィン。
「ゴホン」
そこでシュミットはわざと咳ばらいをするとエルウィンに尋ねた。
「いいえ、何一つ普段と変わった事はございませんが?」
「そうか? 俺の気のせいか?」
「ええ、そうでしょうね」
「ならいい」
そして再び書類に目を落としたエルウィンはポツリと呟いた。
「……無事に宿場町を出ただろうか……」
シュミットが聞こえないフリをしたのは言うまでも無かった――
スティーブがアリアドネとヨゼフを連れて離れにある女性用宿舎へと戻って来ると、丁度倉庫からジャガイモをザルに入れて運んできた寮長のマリアと遭遇した。
「寮長、今朝も早くからご苦労様」
スティーブは早速声をかけた。
「おや? 誰かと思えばスティーブ様がアリアドネを連れて来てくれたのかい?」
「ああ、そうさ。まだお2人はこの城に不案内だからな」
アイゼンシュタット城は特殊な構造をしている。それは敵の侵入を防ぐ為、城の中は場所によっては一部迷路の様に入り組んでいる区域もあるからだ。慣れない者がそこに足を踏み入れようものなら、たちまち城の中で迷子になってしまう事もあり得る。
「お帰り、アリアドネ。それにヨゼフさんだっけ?」
マリアは背後にいたアリアドネとヨゼフに声をかけた。
「ただいま戻りました。シュミット様は忙しそうだったのでスティーブ様が代わりにここまで連れて来て下さいました」
アリアドネが返事をすると、次にヨゼフが一歩進み出て来るとマリアに頭を下げて来た。
「貴女が寮長のマリアさんですか。アリアドネをどうかよろしくお願い致します」
「まぁまぁ、これは御丁寧に……。アリアドネはとても仕事が出来るので助かっていますよ」
マリアもヨゼフに頭を下げた。するとそこへ先程アリアドネと一緒に仕事をしていたカリナとデボラが野菜が大量に入った籠を背負ってアリアドネに声をかけてきた。
「お帰り、アリアドネ。へ~まさか今度はスティーブ様がねぇ……」
「成程……シュミット様だけにとどまらなかったと言う訳だ」
カリナとデボラの意味深な発言にスティーブは訳が分からず首を傾げた。
「2人共……一体何を言ってるんだ?」
「まぁ分らなければ別にいいのですけどね~」
「ええ、そうね。スティーブ様は鈍そうなお方ですし……」
2人はスティーブを揶揄うような口ぶりで、歩き去って行った。
「全く……。あの2人は一体何なんだ?」
腕組みしながら首を傾げるスティーブにアリアドネは遠慮がちに声をかけた。
「スティーブ様。私なら大丈夫ですので、もう行っていただいてもよろしいですよ? お忙しいのですよね?」
「あ、いえいえ。俺は戦が起きたり、有事の時以外は左程忙しくないんですよ。シュミットと違ってね。あいつはエルウィン様の執事のような仕事をしているのでかなり多忙なんですよ。何かあれば、俺を頼って下さい。いいですか?」
「は、はい……何かあればスティーブ様……ですね?」
ついアリアドネは返事をしてしまった。
「はい、そうです」
笑みを浮かべて返事をするスティーブに半ば呆れながらマリアが口を挟んできた。
「ほらほら。次はヨゼフさんを男性用宿舎に連れていくんじゃないですか?」
「あ、そうでした! お待たせして申し訳ありません。直ぐに行きましょう」
スティーブは頭を掻きながらヨゼフに頭を下げた。
「いえいえ、そんな私のような者に騎士様が頭を下げるなんておやめください」
「そうですか……? では参りましょう。それではまた伺いますね」
スティーブは笑顔でアリアドネに手を振るとヨゼフを伴って男性用宿舎へと向かった。
「スティーブ様って中々面白い方ですね」
マリアと2人きりになったところでアリアドネが声をかける。
「そうだね~。本人は無自覚って言うのも面白いよ。ところでアリアドネ……」
突然マリアが真剣な顔をするとアリアドネに向き直った。
「はい、何でしょう?」
「城の中は通って来たのかい?」
「いえ、通っておりませんが……」
「そうか……そうだよね。あのお2人の事だから、それ位はちゃんと配慮されているだろうし……」
マリアが安堵した様子を見せたのでアリアドネは尋ねた。
「あの、城の中に何があるのですか? 一部迷路があるのは分りましたが……」
「城の中ではメイド達が働いてるのさ」
「え? メイド……? あ、つまりこのお城では下働きの上にメイドの方たちが仕事をしていると言う訳ですね?」
「ああ、そうだよ。それにメイド達は私達と違って皆若い。だからアリアドネが城の中へ入ったらメイドに間違われてしまうかもしれない。そうなると大変な事になるかもしれないからね」
「あの、メイドに間違われると何がどう大変なのでしょうか……」
アリアドネにはさっぱり分らなかった。
「実はね……」
マリアはアリアドネの耳元でそっと囁いた。
「え……?」
アリアドネはその話に驚き、目を見開いて息を飲んだ――
11月初旬――
アリアドネがアイゼンシュタット城へやってきて3日後。
ついに『アイデン』地方に初雪が降って来た。ここから雪解けが始まる来年の4月まで、この土地は深い雪に覆われ、完全に孤立する事になる――
午前5時――
ガンガンガンガン……!
いつもの様に、まだ夜が明けきらない寄宿舎にマリアの叩くドラの音が響き渡る。
「う~ん……もう朝なのね……」
ベッドの中から起き上がったアリアドネは目をゴシゴシと擦った。
元々アリアドネはステニウス伯爵家ではメイドとして働かされていたので、早起きは得意であった。
ベッドの足元に置いてある室内履きを履き、手早く着がえを済ませて部屋のカーテンを開けてアリアドネは声を上げた。
「まぁ雪が降り始めているわ。これは温かい恰好をした方がよさそうね」
さっそくクローゼットを開け、支給されたカーディガンを羽織り、ニットの膝上の靴下に履き替え、ひもで結ぶショートブーツを履きながらアリアドネは呟いた。
「本当にこのお城は使用人達を大切にしてくれるのね。こんなに衣類や靴を支給してくれるのだもの」
思えばステニウス伯爵家は金持ちであったのに、ケチだった。使用人達は入れ替わりが激しく、アリアドネは最低限の人数で働かなければならなかったので毎日が目の回る忙しさであった。
しかしここ『アイゼンシュタット城』は違っていた。
十分すぎる程に使用人たちを雇い、惜しみなく支給品を与えている。しかもマリア達の話によると、城の備蓄品を困っている宿場町の人々に定期的に分け与えていると言うのだ。そしてそれを決めているのがシュミットであり、エルウィンは認めていたのである。
『エルウィン様は他の近隣諸国の人々からは『血塗れ暴君』なんて呼ばれて恐れられているけど、とても良い領主様なんだよ。まぁ、多少は短気で乱暴でがさつなところがあるけれど……私達からしてみれば可愛い子供のようなものだよ』
アリアドネは着がえをしながら以前マリアが教えてくれたエルウィンの話を思いだしていた。
「あの時のエルウィン様は恐ろしい方に見えたけれど、本当は優しいお方なのかしら……?」
しかし、アリアドネにはエルウィンという男がどういう人物なのかさっぱり理解出来なかった。何しろあの日、初対面で城を追い出されてから一度も顔を合わせてはいなかったからである。
「準備出来たわ。お仕事に行きましょう」
アリアドネは最期にリネンのキャップをかぶり、頭の上で紐を縛って固定すると自室を出た――
****
午前7時――
いつものようにダイニングルームでエルウィンはシュミットと2人で朝食を取っていた。メニューはトーストにベーコンエッグ、チーズに野菜スープ、そしてコーヒーと、至ってシンプルな料理だった。とても城主の朝食とは思えない内容だったが、エルウィンは決して贅沢をするような人間では無かった。
ましてや1年の3分の1近くは戦いに身を投じているような状況で暮らしているのだ。戦況次第では時に飢餓状態で戦う事もある。なのでエルウィンにとっては食事は楽しむ為の物では無く、飢えを満たすような物であった。
2人は向き合って食事をするものの、仕事内容以外は基本口を聞くことは無い。その為、時折聞こえてくるのはカチャカチャとフォークやナイフが動く音のみである。
「シュミット」
食後のコーヒーを飲み終えたエルウィンはシュミットに声をかけた。
「はい、エルウィン様」
「ついに……初雪が降って来たな」
エルウィンは窓の外を眺めた。
「ええ、左様でございますね」
『アイデン』の領民達の様子はどうだ? 薪や食料……不足はしていないか?」
「はい大丈夫です。何しろ今回は陛下からカルタン族を打倒した報奨金の1億レニーを頂いておりますので」
シュミットはわざとアリアドネの事をエルウィンに思い出させる為、話を持ち出した。
「……そうか」
そしてジロリとシュミットを睨んだ。
「……おい、まさか今年も娼婦たちをこの城に招くつもりじゃないだろうな?」
その言葉にシュミットは苦笑した。
「しかし、こればかりは私の一存で……やめさせるわけにも……そんな事をすれば兵士や騎士達から不満が爆発します。それにメイド達にあまり負担を掛けさせるわけには……」
最期の言葉はしりすぼみになってしまう。
「全く……」
エルウィンは溜息をつくと吐き捨てる様に言った。
「いいか。少なくともこの雪解けが終るまでは……あの不快な娼婦たちを俺の傍に絶対に近寄らせるなよっ! 不快な行いをしているメイド達もだっ!」
「はい……承知致しました……」
(やれやれ……今年もまた魔の越冬期間が始まるのか……)
シュミットは心の中でため息をつくのだった――
――朝食後
エルウィンはイライラしながら外出用の青い防寒マントを羽織り、城の外目指して歩いていた。何故防寒マントを身にまとっているのか……それはある場所へ行く為である。
「全く忌々しい……今年もあいつらをこの城に……神聖な『アイゼンシュタット城』に招き入れるなど……!」
エルウィンは娼婦を酷く毛嫌いしていた。
派手な衣装にキツイ香水の匂いを振りまき、男の部屋を出居りしている姿を子供の頃から見ていれば嫌悪感が湧いてくるのは当然であった。しかもその娼婦のせいでエルウィンの家族は崩壊しかけてしまった過去がある。その為、彼が彼女たちを憎むのも無理は無かった。
「!」
長い廊下を歩いていると、エルウィンはこの城で働く若いメイド達の集団に出会ってしまった。彼女達は皆黒のロングワンピースにエプロンドレス姿という出で立ちである。
メイドたちは雪が降ってきたた為、越冬の準備をしていたのだ。
(くそっ……! 何てタイミングが悪いんだ……!)
この城の城主である自分がメイドと鉢合わせをしたくないという理由で引き返すのは癪だった。
彼女達もまた、いざと言う時は武器を持って戦う戦闘要員である。アイゼンシュタット城にとって、大切な使用人たちではあるのだが……それ以外に彼女たちは特別な重要使命を持っている。その使命というものが、潔癖なエルウィンにとってはどうしても我慢出来なかったのだ。
(もういい……あんなメイド達などかまうものかっ!)
エルウィンはそのまま廊下を歩き続けると、すぐにメイド達に気付かれた。
「まぁ、エルウィン様ではありませんか。ご挨拶させて頂きます」
1人のメイドがロングスカートの裾をつまんで挨拶をした。
「エルウィン様。ご挨拶申し上げます」
「いかがお過ごしだったでしょうか?」
「どちらへいらっしゃるのですか?」
次々とメイド達はエルウィンの傍に集まり、挨拶をしてくる。若く、美しく、そして何よりも強い彼はこの城で働くメイド達にとって憧れの存在であったのだ。
エルウィンは群がってくるメイド達が鬱陶しかったので、質問に答える事にした。
「食料貯蔵庫の様子を見てくるだけだ。じゃあな」
ぶっきらぼうに言った。
「はい」
「失礼致します」
「御用があればいつでもお申し付け下さい」
メイド達が次々と返事をする声を背中に聞きながら、エルウィンはそれだけ告げるとその場を足早に歩き去っていく。
「……全く朝から不愉快な……!」
廊下を歩きながらエルウィンは忌々しげに口にした。
赤らめた顔に熱い視線で自分を見つめてくるメイド達は彼にとって、不快でしか無かったのだ――
****
「おかしいな……エルウィン様は一体どちらにいらっしゃるのだ……?」
その頃、シュミットはエルウィンを探す為に城内を歩き回っていた。重要書類があるのだが彼しかサインをする事が出来ない書類だったのだ。
エルウィンを探す為に廊下を歩いていると、先程彼が出会ったメイド達が客人を迎え入れる為の部屋の準備をしていたのだ。
「お仕事ご苦労さまです、皆さん」
シュミットは早速メイド達に挨拶をした。
「こんにちは、シュミット様」
「こんにちは」
「ごきげんよう」
メイド達も次々と挨拶を反してくる。
「ところでエルウィン様を見かけませんでしたか?」
シュミットの質問に代表して1人のメイドが質問に答えた。
「エルウィン様なら、先程防寒マントを羽織ってここを通り過ぎて行きました」
「え? 防寒マントを羽織って……? 外に行かれたのだろうか?」
「ええ、食料貯蔵庫の様子を見てくると言っておられました」
「食料貯蔵庫……?」
メイドの言葉にたちまちシュミットの顔色が青ざめていく。
「た、大変だ……っ!」
シュミットは上着も着ないで城門へと駆け出した。
(食料貯蔵庫のある場所はアリアドネ様が働いているすぐ側だっ! ひょっとすると鉢合わせをしてしまうかもしれないっ!)
エルウィンはアリアドネの顔を知らない。しかし、あの場所で働く女性たちの中では彼女は異質の存在である。
(なんとしてもお2人が会わないようにしなくては!)
シュミットは食料貯蔵庫目指して走り続けた――
その頃アリアドネは他の下働きの女性達と共に保存食倉庫の隣にある加工場で保存食作りを行っていた。
森に入り、兵士と男性使用人達が狩りで仕留めてきた獲物をさばいて女性使用人達の元へ運んでくる。それを皆で干し肉にする為に加工する。
その作業をアリアドネ達は加工場で行っていた。
「私、メイドとして8年働いてきましたけど、非常食を作るのは初めてです」
アリアドネは一緒に作業をしている女性達と話をしていた。
「そうだね、ここは特殊な環境に置かれた城だからね」
「今は厳しい冬を越す為に作っているけれども私達は1年中これを作っているのよ」
「この国は常に他国から狙われているから戦争が多いからね。その為にも非常食は重要なんだよ」
3人の女性達が交互に説明してくれるのをアリアドネは黙って聞いていた。するとそこへ大きな声が背後から響き渡った。
「皆、ご苦労だな!」
「おや! エルウィン様じゃないですかっ! こんなむさくるしい場所まで足を運んで下さるなんて……」
(え……? エルウィン様……? ま、まさか……!)
アリアドネは声の方を振り向き……驚きで息を飲んだ。そこにはエルウィンが笑顔で寮長のマリアと話をしている姿があったからだ。
(エルウィン様が……あんな風に笑うなんて……)
その光景はにわかに信じられなかった。数日前、初めて謁見の間で会ったエルウィンは鋭い目つきと言葉をアリアドネに投げつけてきたからだ。しかし、今の彼はマリアと談笑している。とても同一人物とは思えなかった。
エルウィンは少しの間マリアと話をしていたが、 やがてアリアドネ達の方向へ向かってやって来た。
(そ、そんなまさかここに来るの……っ!?)
アリアドネは慌てて背中を向けた。エルウィンには顔を見られてはいないが、恐らく今の様子ではここにいる使用人達の顔を覚えているのかもしれない……そうなると自分が余所者だと言う事が恐らくバレてしまうだろう。そう思うと気が気では無かった。
アリアドネが焦っている間もエルウィンの足音がどんどんこちらへ近づいて来るのが分る。
「ん……?」
その時、エルウィンはアリアドネの後ろ姿に気付いた。今までに目にしたことも無い見事なブロンドの髪色を目にした時、何故か一瞬エルウィンの脳裏に顔も見ることなく、無下に城から追い払ったアリアドネの事が思い出された。
「おい、お前……」
気付けばエルウィンはアリアドネに声をかけていた。
アリアドネの肩がピクリと動いた。
(もう、駄目……っ!)
その時――
「エルウィン様っ! こちらにいらしたのですねっ!」
シュミットの大きな声が加工場に響き渡った。
「チッ! 何だシュミット。そんな大きな声で……」
エルウィンの舌打ち交じりの声がアリアドネの背後で聞こえた。
(え? シュミット様?)
「こちらにいらしたのですね? エルウィ様っ!」
シュミットは加工場に入ってすぐに、エルウィンがアリアドネの方を向いている事に気付いて急いで声をかけたのだ。
「いたら悪いのかよ…….」
エルウィンは大股でこちらに近付いて来るシュミットを忌々し気に見つめる。
「エルウィン様。大事な申請書が書斎机に置いてあります。その書類はエルウィン様でなければサインできないのです。急ぎの書類ですの大至急お越し下さい」
「分った。すぐに行けばいいのだろう?」
エルウィンは不機嫌そうに言うと、使用人女性達に声をかけた。
「皆、これから長い越冬期間に入る。春になるまで宜しく頼む」
エルウィンは使用人達に頭を下げると、シュミットに連れられて加工場を去って行った。
(よ、良かった……見つかる前にエルウィン様が出て行って下さって……)
アリアドネは安堵のため息をついた。
「どうしたの? アリアドネ」
そこへ先程一緒に仕事をしていた女性が声をかけてきた。
「あ……い、いえ。その……突然エルウィン様が現れたので少し驚いただけです」
「そうだ、アリアドネはエルウィン様に会うのは初めてなんだものね?」
「はい。まさかこんなところにお姿を見せるなんて思わなくて……」
アリアドネはスカートの裾を強く握りしめた。
「越冬期間に入る前は必ず、顔を出すのよ。それに、これからは度々こっちに来るかもしれないわね……エルウィン様の苦手な人たちがここに来るから……」
女性は意味深な事を言ってきた。
「苦手な人達……? 誰の事でしょう?」
(エルウィン様に苦手な人達なんていらっしゃるのかしら?)
「娼館から娼婦達がやってくるんだよ。しかも越冬期間中はこの城に滞在するのさ」
するとそこへイゾルネが現れて説明をした。
「えっ!? しょ、娼婦の方たちが!?」
あまりの話にアリアドネは顔が真っ赤になる。
「そうなんだよ。エルウィン様は猛反対しているんだけどね。……実は外部には殆ど知られていないけれど、この城には影の支配者がいてね……その人物が悪しき習慣を今も続けているんだよ。エルウィン様が苦手な一部のメイド達もその人物がこの城に連れて来たのさ」
「え……?」
それは、アリアドネが初めて知る事実だった――
エルウィンとシュミットは執務室を目指して廊下を歩いていた。
「全く……俺の事をわざわざ加工場まで見に来るとは、お前は余程暇人なんだな」
エルウィンはすぐ背後を歩くシュミットに忌々し気に睨みつけた。
「それでしたらエルウィン様はどうなのです? 執務室には書類が山積みで仕事があるにも関わらず加工場まで行かれていますよね?」
「う……そ、それは……」
そこでエルウィンは先程後姿を見かけた人物を思い出し、シュミットに尋ねた。
「そう言えばシュミット。先程加工場で見慣れない金髪の女がいたようだが……」
「ああ。セリアではありませんか?」
シュミットは心の動揺を隠しながらエルウィンの質問に答えた。
「いや、セリアでは無いと思うが……。セリアの割には小柄だった気がするし……」
「でも後姿しかご覧になっておりませんよね? 私はセリアだと思いましたけど?」
(まさか後姿だけで気付かれたのだろうか? 何て勘の鋭い方なのだ……)
「う~む……そうだったのだろうか……? だが、お前がそう言うなら間違いはないだろう」
「ええ。その通りです」
シュミットはホッとした様子で返事をした。
(ふぅ……危ないところだった。けれどこんなにすぐ人の話を信じてしまうのもどうかと思うが……もう少し、エルウィン様は人を疑うという事を学ばれた方が良いかもしれないな……)
そんな事を考えていると、突然前方を歩いていたエルウィンが足を止めた。
「エルウィン様……?」
すると前方から数人の人物がこちらに向かって近付いて来ると声をかけて来た。
「やぁエルウィン。同じ城に住んでいながら、会うのは10日ぶりくらいか? 何しろお前は私の事を随分避けているからな?」
「叔父上……!」
エルウィンは怒気を込めた声でその人物を睨み付けた。彼はエルウィンの父親の腹違いの弟、ランベール・アイゼンシュタットである。彼の左右には大きく胸元の空いたドレスを着た妖艶な女性と、背後には背の高い顔色の悪い騎士がついている。
ランベールはエルウィンがこの城で最も憎み、嫌悪している存在であった。彼は妾から生まれた存在であり、彼のせいでエルウィンの人生は狂わされてまったと言っても過言では無かった。
「全く……相変わらず血の気の多い奴だ。仮にも叔父である私にそのような目を向けるとはな……お前たちもそうは思わないか?」
ランベールは左右にいる女性達の肩を抱きながらエルウィンを見た。
「叔父上! この城に娼婦を招き入れるのはやめるように再三言ってるはずです! 一体何度言えば理解出来るのですか? 神聖な城にそのような人物を入れないで頂きたい! そればかりではありません。叔父上が連れて来たメイド達もだっ! あのメイド達もこの城には必要無いっ!」
ランベールは娼館上がりの女たちを引き抜いて、戦えるよう訓練を受けさせたうえでエルウィンに断りも無しにメイドとしてこの城で働かせている。
「エルウィン様……落ち着いて下さい。相手はランベール様ですよ?」
シュミットはエルウィンを何とか宥めようとした。ランベールも一応、この城の後継者の血を引く人物なので、頭が上がらない相手だったのだ。
「うるさいっ! シュミット! お前はどちらの味方なのだ!? 叔父上が妙な女たちをこの城に招き入れるから風紀が乱れて全員の士気が下がるんだっ!」
エルウィンはランベールを指さしながらシュミットを怒鳴りつけた。
その様子を見た娼婦たちが口々に言う。
「まぁ……ここの城主様は随分血の気が多い方ですのね? でも悪くないですわ」
「美しいお顔ですこと……。怒った顔もとても素敵」
するとランベールが笑いながらエルウィンを見た。
「ハハハハハ……ッ! エルウィン。お前、随分彼女たちに気に入られたようだな。どうだ? 譲ってやろうか?」
「叔父上っ! 冗談でもそのような事、口にするなっ! 今度今のようなセリフを言おうものなら……幾ら叔父上でもただではすまないからなっ!」
怒りに燃えた目で睨み付けるエルウィンの迫力は凄まじかった。これにはさすがのランベールもたじろいだ。
「な、何て奴だ……。たった1人の血を分けた肉親にそのような目を向けるとは……だ、だからお前の世間の評判が悪いのだ。『血塗れ暴君』などと不名誉な称号で呼ばれおって……」
「世間でどう呼ばれようが関係ない。むしろその様な称号を付けられて有り難い限りだ。近隣諸国の者達が俺を恐れてくれますからね」
「クッ……な、何て生意気な男なのだ! お前たち、行くぞ!」
ランベールは3人を引き連れて急ぎ足でエルウィンの傍を通り過ぎて行った。
エルウィンは下唇を噛み、両手はこぶしを強く握りしめている。
「エルウィン様……」
シュミットが心配気に声をかけた。
「……あの女たちの香水のせいで頭が痛くなってきた……」
「え?」
「気分が悪い……少し執務室で安む」
エルウィンは再び歩き始めた。
「え? エルウィン様! 休むなら仕事が終ってからにして下さいっ!」
「うるさいっ! 俺に指図するな!」
こうして2人は言い合いをしながら執務室へと向かった――