翌日、私たちはすぐに中庭に行った。その日は雲ひとつなく晴れていて、こんな天気のいい日は久しぶりだったから外で話をしようということになったのだ。
 「こんなに天気のいい日は久しぶりだね。」
 中庭に着くと、海がそう言った。天気がいいからか中庭には人がたくさんいた。空いているベンチの横に海が乗っている車椅子を止め、私はベンチに座る。
 「そうだね。こういう天気だと元気が出るよね。」
 私は空を眺めながら言う。真っ青な絵の具にたまに鳥が描き足される。烏も、鳩も、たまに鴎も。色んな鳥が描き足されていって消されていく。
 「うん。」
 しばらくの間、私たちはお互いに黙ったまま、空を眺めていた。こういう時間も少なくはない。毎日一緒にいるから毎日、黙ってそれぞれ好きなことをし、考える時間も大切だ。
 でも、最近は海がいなくなるかもしれないという現実から離れられなくてずっと喋っている方が気楽だった。1人でいると、どうしても海のことしか考えられなくなる。
 だから、寝る時間が怖い。1人で部屋の中で、ベッドに寝そべって天井を眺める時間が嫌だ。部屋の中で勉強している時間が嫌だ。お風呂に入っている時間が嫌だ。1人で病院に向かっている時間が嫌だ。
 海は死なないって信じたいのにやっぱり考え事をしていると現実から離れられなくなる。何をしててもそう。
 たまに話していてもそうなる時がある。家族でご飯を食べている時とかも不意に海のことが頭に浮かんできてぼうっとしてしまう。そんな自分が今はすごく嫌いだ。
 「あと、何回この空を眺められるかな。」
突然海が言った。太陽に照らされた白すぎる海の横顔は光を反射していて、よく見えなかった。
 海はどうしてそんなに冷静でいられるの?
 不思議でたまらなかった。私はこんなにも不安で堪らなくて、死にそうなくらいに怖いのに、当の海は何も怖そうには見えない。
 海は運命を受け入れてる。だから冷静。平然としていて、何も怖くない風を装っている。でも、私は思う。きっと海も怖いって。辛いと思うし、苦しいと思うし、私よりもっと怖いと思う。
 もしかしたら思うんじゃなくてそう信じたいのかもしれない。海も怖いんだって。
 「海、そんな事言わないでよ。この空なんて何回でも見れるよ。海は大丈夫。生きれる。」
 こんなこと言っても何も心に響かない。ただの外野が同情してこう言っている。そうだ、私は同情している。可哀想だと思っている。酷い奴だ。
 「生きれないんだって。もうやめろよ、そう言う、身も蓋もないようなこと言うの。そんな希望に満ちたのと言ったって何も変わらないよ。希望なんかもうないよ。」
 海はそう言う。何も感じていないように。別に何も気にしていないというように。
 私はそんなの耐えられなかった。もう叫びたかった。
 「海。何も変わらないかもしれないけどさ。希望くらいは持とうよ。」
 「雪菜は何も知らないから言えるんだろ。治療されている側にはわかるんだよ。前にも言ったけど、もう余命宣告されてから8ヶ月経ってる。希望無くすのは当たり前だろ?今はもうこんなに弱ってて、車椅子なんだよ?歩くこともままならなくて起き上がることできないことだってあるし。もうすぐ死ぬってことくらいわかってるから。もうそんな希望、与えないでくれよ。」
 海はまっすぐ前を向いていた。海がこんなに諦めているようなことを言うのは初めてだった。
 前も諦めてるって言ってたけど、あれは諦めている口調じゃなかった。受け入れている口調だった。
 でも、今は違う。完全に諦めていて、死をただひたすらに待っているような感じだった。
 小さな声ではっきりと諦めを口にしていた。
 「海、諦めないでよ。辛いとか苦しいとかわかるけどさ…。」
 「分かるわけないだろ!」
 海がこっちを向いて、大きな声で怒鳴った。
 周りを歩いていた人が一瞬立ち止まってこっちを向き、またすぐに歩き出す。
 「雪菜はわかっていない。俺がどれだけ辛い思いしてるか、苦しい思いしてるか。本当は帰れるはずなのに帰る家もなくてずっと病院で暮らして、死ぬのを待つのがどれだけ苦しいか分からないだろ。雪菜には両親もいて、兄妹もいて、親友もいて、家に帰ることだってできる。それに生きれるだろ。」
 海はこっちを向いていた。でも、怒っている顔ではなかった。笑ってもいないけど、怒ってもいなかった。不安に歪んだ顔だった。怖さに歪んだ顔だった。
 「雪菜は。」
海の目から涙が零れ落ちる。まるで、その言葉を言いたくないかのように。
 「雪菜は、死を分かっていない。どれだけ死が怖いかわかっていない。毎晩寝るのが怖くて、起きれないんじゃないかって思うことなんてないだろ?俺はそうなんだよ。毎日毎日、病室で1人、眠れないままでいる。寝たら起きられなくなりそうで、怖くなる。そういうこと、雪菜にはないだろ。だから、わかってないって言ってるんだよ。」
 海は涙を流しながらそう言うと涙を拭って車椅子を回転させた。私はそれをただ見ていることしかできない。
 海、ごめん。
 私にはやっぱり理解できない。死を理解するにはまだまだ早いみたい。
 ごめんね、海。それでも、私は海に希望を捨ててほしくない。海に生きてほしいの。