好きなことか…。具体的に聞いてみたはいいけど、自分に合うものは思いつかない。
 このままソファーに座っているのもなんだから散歩に行くことにした。
 病院には中庭があっていわゆる病棟に囲まれた小さな広場みたいなものだ。
 そこには色んな人がいて、私みたいに小児科に入院している病気や怪我の子供たちやゆっくりとお年寄りが座っている車椅子を押している女性、スマホをいじっている青年など自分が思うままに過ごせる場所になっているみたいだった。
 私は近くのベンチに腰掛け、空を見上げた。
「わあ、綺麗。」
 思わず声を出したのは真っ青な青空に白い飛行機雲が一本、浮いていたからだ。
 周りの建物が視界を遮って空が丸く切り取られているみたいだから余計に綺麗に見える。
 「ほんとだ、綺麗。」
空に見とれていると近くから男の子の声がして視線を向ける。
 男の子は空を見上げながらこちらに向かってくる。
「好きなの?」
「え?」
「あ、空。好きなの?」
 男の子は私より少し離れたところに腰を下ろし、また空を見上げる。
「いや。ううん、好きってわけじゃないよ。ただ、暇で。見上げた空がこれだったから綺麗だなあって。」
「ふーん。」
 男の子はなんだという風な声で言った。
「えっと、あなたは?空、好きなの?」
「いや、好きじゃない。俺は、海の方が好き。」
私は思わずふふっと笑ってしまった。
 こっちに空が好きか聞いてきて好きじゃないと言ったら興味なさげに返事をしたくせにそっちも好きじゃないなんて面白い。
「あ、俺は海(うみ)。波木海(なみきうみ)。君は?」
 海君はそう言って初めてこちらを向いた。海君は整った顔をしていて肌がとても白かった。
 それが長い間、屋外へは出ていないことを語っていた。
「私は新原雪菜。海って名前、いいね。波木海。うん、いい。」
 柄にもなく少し人の名前を褒めてみる。
 海が好きな海君はこの場から離れることはしないようで頭の後ろで手を組み、また空を見上げた。
 「何ていう病気?」
海君はなんの遠慮もなくそう聞いた。
 でも、私はなぜか嫌な気持ちにはならなかった。
 逆にそうやって率直に聞いてくれる方が居心地がよかった。
「まだ検査中だけどたぶん肥大型心筋症だって。」
「そっか。じゃあ生きられるんだ。よかったね。」
 一瞬、少し苛立った。何、生きられるって。病気なだけで充分よくないよ。
 そう思った瞬間、すぐに気が付いた。
 ここには病気の人達がたくさんいるんだって。だから、生きられるだけ、マシってこと。
 「俺さ、まあまあ長い間ここにいるから病気の名前とか大体覚えちゃうんだよね〜。」
 海君は笑ってそう言う。
 そんな悲しいこと言って欲しくなくて話題を変える。
「海君は?なんていう病気?」
「俺は膵癌。あと1年。」
海君の口からぽろっと吐き出された「あと1年」。
 聞かなくてもわかった。海君はあと1年の命なんだ。あと1年しか生きられない。
 それなのにこんなに笑顔でいられる。自分が恥ずかしくなった。運動ができないだけでこの世の不幸者みたいに思ってしまう自分に腹が立った。
 そして話題を変えても悲しいことしか言えないのにずっと笑顔でいる海君がすごいと思った。
「あ、俺、点滴の時間だわ。戻らなきゃ。」
 海君はおもむろにそういうと立ち上がって背を向けた。
「待って。」
 私は自分でもどうしてかわからないくらい自然と立ち上がって海君の背へ呼びかけていた。
「何?」
 海君は立ち止まると笑顔で振り返って聞いてきた。
「あのさ、明日も来る?」
「行くよ。でも、よかったら見舞いに来てほしい。俺、学校行ってなくて友達いなくてさ。新しい友達として見舞い来てよ。」
海君はそう笑顔で言って部屋番号を教えてくれてからまた歩き出した。私はちょっと嬉しくなりながらまたベンチへ戻ろうとした。
「あ、雪菜。」
ベンチに座ろうとすると海君が呼びかけてきた。
「俺の事、海でいいから。んじゃ、また明日。」
それだけ言って海君は走って行ってしまった。
 海。何気なく雪菜と呼んでくれて海でいいと言ってくれた。なんだかすごく青春な感じがした。あと1年の命しかない海は私の最高の友達になりそうな気さえした。