「お前……」

ジロリとアレックス王子は私を睨み付けた。

「…」

 私は無言でアレックス王子を見つめた。
一体いつになったら私は名前で呼ばれる日が来るのだろう? よくよく考えてみれば、今まで私は一度たりともアレックス王子に名前を呼ばれたことは無い。良くて「お前」、後は「おい」。この2つだけである。
そして今、実は私はこう見えても内心静かな怒りを胸の内に秘めていた。自分が本気で怒ればどんな事になるのかは十分に分かっているので、今の今迄ずっと我慢をしてきた。

 でも私がここまで我慢出来たのは全てはミラージュが傍にいたからだ。私が生まれた時からずっと一緒だったミラージュ。彼女がいたから私は理不尽な扱いにも我慢してきた。それなのに目の前にいるアレックス王子はとんでもないことをしてくれた。だって私の大切なミラージュを勝手に他所にやってしまったのだから。

「ん? 何だ? いつもならすぐに返事をするのに何故黙っている?」

アレックス王子は私の異変に気付いたのか、珍しく声のトーンを落としてきた。

「アレックス様。私の名前は「おい」でも「お前」でもありません。レベッカと言う立派な名前があるのですから、名前で呼んでいただけますか?」

するとアレックス王子は腕組みをすると吐き捨てるように言った。

「はん!? 俺にお前の名を呼べと言うのか? 冗談じゃないっ! 俺はなぁ、お前とは結婚する気などこれっぽっちも無かったんだ!しかし父上からは命令され、周囲からは結婚しなければ王位は継がせないと脅され、テーブルマナーも貴族としての常識も何も分からないど田舎の貧乏王家のお前を妻にせざるを得なかったのだぞ!? それなのに名前を呼べだと? 図々しいにも程があるっ!」

プチッ

私の中で1度、何かが切れる音がした。

「そうですか。図々しいお願いだったのですね? それは申し訳ございませんでした。それに先程お話されていた事ですが、テーブルマナーも貴族としての常識も何も分からない……そう言われましたけど私の身上書に書いてありましたよね? そのような教育は一切受けていないと。にもかかわらずアレックス様は私を娶ったのですよ?」

「うるさい! 始めから何も興味がない女の身上書など一々目を通すはずが無いだろう? 第一王族として生まれてきた以上は当然教育を受けていると誰だって思うだろうがっ!」

始めから何も興味がない……?

プチッ

またもや何かが切れる音が聞こえてくる。

「分かりました。なら名前で呼んでいただくのは諦める事にします。ところでミラージュの事でお話を聞きたいのですが……」

「うるさい! あんなどうでもいい女の話は無しだ! それよりももっと大事な話がある。だからわざわざお前の部屋まで足を延ばしてやったんだ。本来ならお前を俺の部屋に呼びつけるところだったが、またお前に意地悪をされて泣いているリーゼロッテがそれを拒否したからな」

ミラージュがどうでもいい女……? 私がリーゼロッテに意地悪をした……?

プチプチッ

あ……マズイ。今2回連続で何かが切れる音がした。私は怒りを鎮めるために深呼吸をした。

「す~……は~……」

「おい? 何をしている?」

アレックス王子が不思議そうに腕組みをしながら私を見た。

「いえ、少し深呼吸を……」

「俺が真剣に話をしているのに、深呼吸だと? ふざけるな! いいか? 俺がお前の部屋に来たのはなぁ……お前がリーゼロッテの仕事を妨害しているからだっ!」

「え? 妨害? 全く訳が分からないのですが?」

落ち着け……落ち着け私……。

「そうだ。お前、今朝わざとゆっくり朝食を食べて、メイドの仕事で忙しいリーゼロッテを困らせただろう!? 彼女はお前のせいで食事を終えたカートを運ぶ事が出来ず、厨房の者たちに怒られたそうだ!」

プチンッ

あ、駄目だ。

ついに私の中で何かが切れる音が鳴ってしまった。

でも、最後まで自分の理性を保たなければ――