「周年イベントが近いからな。君たちにも負担をかけるが、よろしく頼む。ところでやはり、俺や専務の部屋は君たち女性にとっては寒いか?」

 役職者の個室は、秘書の部屋と続き部屋になっている。一応は仕切られているとはいえ、嶺さんは来客のないときは常に内扉を開放しているので、ふたつの部屋はほぼおなじ室温だ。

「いえ、社長が快適にお過ごしになるのがいちばんですから。ね、羽澄さん」
「はい」

 嶺さんが頭上でパントリーの入口に手をついた。
「君たちの働きがあってこそ、俺たちも成果を出せる。だから、羽澄さんは俺の前で我慢してはいけない。部屋の温度は検討しよう。ところでそのハーブティー、懐かしさを誘う香りだな。俺にもくれるか」

 ハーブティーは、私が毎晩、嶺さんに淹れている香りのもの。懐かしさだなんて言われると、否応なしに家での甘い時間を思い出してしまう。もしかして、わざと?
 でも、笠原さんもいる前で思わせぶりに言わないで……!

「っ、すぐお持ちします」
「ありがとう。楽しみだ」

 嶺さんは私の動揺を知ってか知らずか、いつものごとく(さっ)(そう)とした足取りでパントリーを出ていく。
 私は嶺さんの分もハーブティーを淹れるべく、茶葉をふたたび袋から取りだした。ふしぎと、もやもやとした気分が薄れている。
 ……うん、私は私にできることをしよう。
 笠原さんが嶺さんと別の業務をしていようと、私は私。
 私らしく、嶺さんだけ見ていよう。

「……なによ、あれ」

 ふいに、隣で嶺さんの背中を見つめていた笠原さんが苦々しそうにつぶやいた。

「え?」

 訊き返した私は、思いがけない笠原さんの目にたじろいだ。
 やけに暗い光を孕んでいるように思うのは……気のせい?
 笠原さんはすぐに暗いまなざしを消して、「先に戻るわね」と背を向けてしまったけれど。