「『東堂時計は技術で発展した会社だから、技術を担う職人を大事にしなければこの先の発展はない』とおっしゃって」
「やっぱり、若くて体力があって仕事がデキる男は違うわ。御曹司のお手並み拝見っていう気分で見てた人間も多そうだけど、そもそも生まれたときからの超人じゃないと社長にはなれないのよ」

 通永さんに続いて、笠原さんも感心した。
 超人……そういえば、ずっと激務に追われておられたっけ。
 私が社長と初めて会ったときを思い出していると、フォーの残りを食べ終えた笠原さんが水でひと息ついて言った。

「これで既婚じゃなければ完璧だったのに」

 どくん、と心臓が大きく跳ねあがった。飲みこもうとしていた温野菜の豆乳スープのフォーが喉につかえ、()せてしまう。私は慌てて水の入ったグラスに手を伸ばした。

「あら、社長は既婚なの?」
「通永さん、社長の左手見なかったんですか? ばっちり光ってましたよ、薬指の結婚指輪。ね、知沙ちゃん」
「え? そうですね……たぶんですけど」

 たぶんどころか、新社長が着任挨拶をした時には気づいていたけれど。
 ふたりの目が見られなくて、私はまだ半分以上残った温野菜を意味もなくつつく。脈拍がやけに速くなってしまう。

「知沙ちゃん、いつも細かいところまでよく見てるのに珍しいわね」
「プライベートなことですし、じろじろ見たり詮索したりするのもよくないかと……それより、通永さんのお子さんは今年から小学生でしたっけ」

 話題を逸らすと通永さんは「うん」と笑って続けようとしたけれど、笠原さんは強引に話を戻した。

「でも気にならない? あのハイスペックな社長よ? 通永さんも気になりますよね? 間違いなく、お相手は美人でなんでもできるお嬢様よ。料理が得意で、趣味はきっとお茶とお花ね」

 笠原さんがテーブルの上で両手を揃えて()々(そ)とした所作を真似ながら断言する。ごめんなさい、そんな素敵な女性じゃないんです。
 私はすんでのところで謝りそうになるのを、なにもない左手の指を見てぐっとこらえた。私の一存で公表できることじゃない。

 でも、あの新社長の妻が私だなんて、社内に知られたらどうしたらいいんだろう。
 しかも実質的な夫婦関係は一切なく、一緒に住んでさえいないと知られたら――。