「最近、色気が出てきたんじゃない? 知沙ちゃん」

 梅雨どころか台風の進路が連日のようにニュースで報じられるようになる季節のまっただ中、ガラス窓を伝う雨から視線を戻した笠原さんが、思わせぶりな顔をした。

「通永さんもそう思いません? ねえ、あれでしょ? 社長が原因でしょ」

 通永さんがそうねえとあいまいに微笑む向かいで、私は口に運びかけていたベトナム鶏飯(コムガー)を取り落とした。いつものベトナム料理店は、今日は大雨のせいかお客さんもまばらだ。店主であり料理人のベトナム人のおじさんも退屈なようで、ホール係である娘さんと店の奥で雑談している。

「しゃ、社長とはなにもないですよ!? 職場ですし……っ」
「やだ、知沙ちゃんなにを真っ赤になってるのよ。誰も、知沙ちゃんが社長とどうにかなるなんて思ってないわよ。社長は既婚者なんだから」
「そ、そうですよね」
「仮に社長が独身だとしてもよ? 社長なら美人を釣りたい放題なんだから、知沙ちゃんはないわよ」

 美人じゃないことくらい、わかってる。笠原さんと並べば、嫌でも痛感する。
 でも笠原さんの悪気はないだろう言葉に、胸がひりついた。
 うまく笑えずにぎこちなく微笑むと、笠原さんが真顔になって身を乗り出した。

「知沙ちゃん、まさか社長を好きになってないよね? 秘書には多いのよ。下手したら奥さんより長いあいだ一緒にいるわけだから、勘違いする子」
「あら、笠原さんもそのひとりだったりして」

 通永さんが話の矛先を微妙に逸らしてくれて、私はせわしなく脈を打つ胸を押さえてこっそり息をつく。
 笠原さんがサーモンとクリームチーズの入った生春巻きを頬張りながら、あり得ないと笑い飛ばした。