「嶺さん、こちらにいらしたんですか。入っていいですか?」

 言い終えると同時に中から扉が開いて、嶺さんが顔を出した。

「起こしたか。すまない」
「お仕事ですか?」
「やっておきたいことがあってな。寝付けなかったから、ちょうどよかった」

 中に招き入れられ、私は書斎を見渡した。広々としたデスクの上でパソコンのマルチディスプレイが(こう)々(こう)と光っている。
 びっしりと専門書の並べられた、天井高さまでの本棚も目を引く。専門書やマーケティング関連の本などはデスクの端にも積まれている。
 職場では嶺さんはなんでもそつなくこなす超人だと思われているけれど、ほんとうは努力家よね。それを顔に出さないだけで……。
 本棚はちょうど私の目の高さくらいの一段だけ、東堂時計が過去に売り出した腕時計が飾られていて、なんだかそんなことで口元が綻ぶ。
 けれどさりげなく告げられたさっきの言葉が引っかかった。

「寝付けなかったって……人が隣にいたからじゃないですか?」

 私自身も、今夜はいつもより眠りが浅い自覚はあるけれど。でも起きて仕事をするほどじゃない。

「いや、君は関係ない。前からこの生活が続いてる。起こしてしまうなら、先に言えばよかったな」

 嶺さんが、私を書斎の椅子に座らせる。それからデスクに手をついてパソコンの電源を落とした。

「そんなことはいいんです。でも前からって……」
「香港時代からか。ショートスリーパーでもないんだが、三時間ほどで目が覚める。せっかく起きたならと有意義に使うべきだろう。それで仕事をするようになった。朝方にはまた眠る」

 なんでもないことのように言うけれど、私は思わず眉を寄せてしまった。そんなの、疲れが取れないと思う。
 現に、三時間は寝ていると言いながら、今も嶺さんの顔色は()えない。

「嶺さん、私……やっぱりこのまま妻でいるわけにはいかないと思うんです」
「またその話か。俺は離婚しないと――」

「違います」と私は椅子から立った。

「このまま、家事もハウスキーパーさんにお任せして、戸籍の上でだけ妻になるのは気が引けます。だから、嶺さんが安眠するためのお手伝いをさせてください」