「な、ないです! ちっとも。もうじゅうぶん買っていただきましたから」
「……そうか」

 嶺さんの視線がわずかに下がる。
 もしかして、なにかねだったほうがよかった?

「そうだ。よければ、なんですが……」

 ひとつだけ、憧れていたことがある。社員寮では難しかったこと。
 おそるおそる口にすると、嶺さんは包みこむような優しい顔で小さく笑った。



 引っ越しには蕎麦(そば)だろうという嶺さんの提案で、彼の行きつけだというお店で夕食にしてから家に戻った。
 シャワーを浴びて、リビングに戻る。嶺さんは寝室に下がったようだ。私はそっと窓際へ近づいた。
 丸い葉っぱが互いちがいについたような形のシェルフには、手のひらよりもひと回り大きなサイズの鉢植えが飾られている。頬がゆるんだ。
 ――ハーブを育ててみたいんです。
 雑貨屋の帰り、ほしいものを訊かれて口から出たのがそれだった。
 社員寮は残念ながら日当たりが悪く、日当たりに左右されにくい品種ですら育ちが悪かった。だからずっと憧れていたのだ。

(みず)々(みず)しそう、かわいいな……」

 アップルミントのちんまりとした葉っぱは、見るだけで癒される。自然とにこにこしてしまう。
 ここなら南東向きで日当たりは申し分ない。すくすく育ちそう。
 ハーブは繁殖力の高いものが多いから、ひょっとすると育ちすぎて大変かもしれないけれど、それすら想像するのが楽しい。
 思いついて、私はダイニングテーブルからスマホを取ってくると、ハーブたちの写真を撮った。あとで壁紙にしよう。
 生花や観葉植物もふんだんにディスプレイされた花屋で、私は小さな花器に植えられたハーブをいくつか、買ってもらったのだった。

 それにしてもかわいいな。永遠に見ていられる。

「また見ていたのか? なかなか来ないからどうしたのかと思っていた」

 背後から声がして、私は嶺さんを振り返った。待たせてしまっていたらしい。